第八十八話 異国の主従
新学期が始まって暫く経った。リューカはオリビアのクラスメイトとして仲良くやっているようだ。全員が平民の第二女子寮生は相手が他国からの留学生な上にあちらの貴族に相当する身分らしいという事もあって、最初はかなり尻込みしていた。だがオリビアとエイミーが間を取り持った事で打ち解けたようだ。
ある日の午後、寮の屋上で干していた洗濯物を取り込んでると、突然背中に衝撃を受けた。
バランスを崩した俺の胸を、背後から伸びた手が鷲摑みにする。
「今日もいいおっぱい日和だぁ!」
「ぎゃああああ!」
あまりのおぞましさに背筋を震わせながらも犯人を引き剥がし、脳天に鉄拳制裁を加える。
「痛あぁぁ」
「はぁ、はぁ、いい加減にしろ、このセクハラウサギ!」
たんこぶの出来た頭を押さえて蹲る犯人はやっぱりルリだった。
同じ転生した者同士という事もあってすぐに打ち解けたのは良いが―思い返せば少々迂闊だった―、それから毎日こうしたセクハラをかましてくるようになったのだ。
初めてギルドで会ったときもそうだが、兎の半獣人だけあってこいつは挙動が素早く気配を隠すのが上手い。反応速度も含めて以前より性能が上がっている筈の俺が全く防げないのだから、かなりのものだ。
「いいじゃない。減るもんじゃないし」
「精神が磨り減るんだよ!」
涙目になって訴えるルリの主張を両断する。
「だいたい俺は前世男だって言っただろうが!」
「それは聞いたけどさぁ」
最初に素で話してしまった事もあって、ルリには早々に俺の前世が男である事を話した。にも関わらずこいつは俺の胸を揉んでくるのだ。
まったく、男の胸を揉んで何が楽しいんだ。
「今は女の子だろ。大きなおっぱいがあるだろ。動くと揺れる、たわわなおっぱいがあるだろ。それが一瞬で間合いを詰められる距離にあるだろ。女の子同士ならスキンシップの内だろ。これじゃ揉まざるを得ないも当たり前だ」
「いや、その理屈はおかしい」
仮に同性相手だったとしてもセクハラだからな?
「ふーん、でもどうせ毎日自分で揉んで楽しんでるんでしょ?」
「滅多にしねぇよ!」
「ほうほう」
あ、しまった。
「偉そうな事言っといて、やっぱりナタリアさんも男の子なんですなぁ。たまにはするんだぁ?」
俺の失言にルリは鬼の首を取ったかのようにニヤニヤしだした。
「それでぇ、元男のナタリアちゃんはぁ、自分のおっぱい触って気持ちよくなっちゃったのかなぁ?」
「なってねぇ!」
「ふむ、自分でするより他人にされた方が気持ちイイと」
「……」
ルリの言葉で、先日オリビアに身体を拭いてもらった時の事が呼び起こされる。
布越しに優しく触れられた筈なのに、自分で触れるよりも強烈な刺激で、思わず声を漏らしてしまっていた。
「あれ? まさか身に覚えがある? もう誰かとそういう仲になってた?」
「ねぇよ。気色悪い事言うな。男に胸触られるとか考えただけで寒気するわ」
どうなったとしても俺の意識が男である事に変わりは無いんだ。同性愛を否定するつもりは無いし、この外見だと異性愛に見えるかもしれないけど、それでも俺自身が男と恋愛関係になったり、ましてや身体を許したりなんて全力で拒否だ。
「でも自分では触るのね」
「しょうがないだろ! こんな綺麗な身体を自由に出来るってなったらそりゃ触るわ!」
「うわ、開き直った。しかも自分で綺麗な身体って」
「この身体を作ったのは俺じゃなくてご主人様なの! だから俺が俺の身体を褒めたって自画自賛にはならない!」
「はいはい、そういう事にしといてあげるわ」
くっ、こいつ。
「だいたい胸を揉みたいんだったら自分の胸を揉めば良いだろうが」
「揉むほどないんですけど?」
声がマジだった。
「……ごめん」
着物だから目立たないけど、ルリには胸が無い。小さいとか貧乳とか言うレベルじゃない。これはルリが実は男と言うオチではなく、本当に無い。絶対的無乳だった。
「これでも前世ではもう少し、触れば判る程度にはあったの! でも動物に乳房は無いから、半獣人の胸も大きくならないの!」
果たしてそれはあったと言っていいのだろうか。それに獣人や半獣人で胸の大きい女性は普通にいるし。
流石にそれを指摘するのは酷なので言わないが。
「はぁ、少し取り乱したわ。ちょっと気を落ち着けてくる」
「うん」
ルリはふらつきながら、自分とリューカの洗濯物が干してある方に歩いていく。
俺は洗濯物の取り込みを再開しつつ、ルリの様子をちらりと見る。
「スー、ハー、スー、ハー」
深呼吸?
いいえ、干してあった洗濯物に顔を埋めて匂いを嗅いでます。
あれはリューカのスカートかな?
洗濯済みとはいえ、お前……
「見なかった事にしよう」
俺は洗濯籠を抱え、屋上を後にした。
食堂に入った俺は言葉を失った。
休日である今日は寮母さんが休みなので、夕食は寮生が自分で作らなければいけない。去年までは殆どが俺、たまに料理出来る寮生が作っていた。
だが今日はルリとリューカが作ると言ってくれたので彼女達に任せていたのだ。
その結果が今の光景だ。
「今日は私達の国の料理をご用意しました。お口に合えば良いのですが」
テーブルの上に並んでいるのは日本料理、いや、レイバナ料理だった。
前世では別に和食好きというわけではなかったのだが、いざ食べられないとなると恋しいもの。
転生してからこれまで、材料がサペリオン王国に流通してなかったり俺の知ってるものと違ったりで作れなかった。だが諦めていた故郷の料理がここにはあった。
逸る心を抑え、オリビアをエスコートしてから席に着く。
「どうですか、レイバナ国の料理は?」
「凄いですね。初めて見る料理ばかりですがとてもいい匂いがしますね」
隣に座ったルリが得意気に声を掛けてくる。
俺達は互いの立場もあるので、二人だけの時意外は敬語で話すようにしている。
「じゃあ頂きましょうか」
オリビア、俺、エイミー、リューカ、ルリの五人でテーブルを囲み、夕食が始まった。
「ナタリアさん、どうぞ」
「!……ありがとう」
料理だけでなくそんなものまで用意しているとは、流石はルリだ。よく解ってる。
「あ、美味しい」
最初に味噌汁に口を着けたオリビアは即座にそう言った。
「食べ慣れてないけど、なんだか優しい味がする」
オリビアは半分日本人だしな、食べた事が無くてもやっぱりそういうふうに感じるんだろうか。
何にせよ、今は亡き父親の故郷の味に触れてもらえたのは良かった。
「まぁ、ナタリアさん、お箸を使うのがお上手ですね」
リューカが驚いた声を上げる。
俺はさっきルリに渡された箸を使って食べていた。やっぱり和食を食べるなら箸が欲しいと思っていたのだが、ルリはそれを見越し用意していたのだ。
「ホントだ。ナタリアそんなのでよく食べれるわね」
「使ってみると意外と便利ですよ」
慣れるまで難しいかもしれないが、ナイフとフォークより用途は広いものだ。それにやはり和食には箸が映える。
「それにしてもレイバナ料理とはとても美味しいのですね。特にこのお味噌汁は絶品です」
「それは私が作ったのですが、そう言っていただけると作った甲斐がありました」
この味噌汁はリューカが作ったのか。良家の令嬢とあって料理は出来ないかもと思っていたが、それは偏見だったようだ。
いや、良家の令嬢だからこそ花嫁修業をしっかりしているのだろうか?
「こんなに美味しいお味噌汁でしたら毎日でも飲みたいですね」
「まぁ、ナタリアさんたら、ご冗談を」
「いえいえ、私が人間の殿方でしたら放っておきませんよ」
朱の差した頬を押さえて恥らうリューカ。まさに大和撫子と言う表現が似合う。この世界ならレイバナ撫子とでも言うところか。
実際俺の性別が前世のままならかなり惹かれていただろうな。
「ねぇ、リューカさんたらやたら恥ずかしがってるけどどういう事?」
「さぁ?」
「お味噌汁はレイバナ国の家庭料理ですから、『貴女の作った味噌汁を毎日飲みたい』と言うのは求婚の台詞なんです」
頭に疑問符を浮かべていたオリビアとエイミーにルリが説明する。
俺は日本に似たレイバナ国なら通じるんじゃないかと当たりを付けて言ったが、当然冗談だ。
「えぇっ!? な、ナタリア!?」
「あの、お嬢様、冗談ですからね」
「あ、なんだ、冗談か」
急に取り乱したかと思ったら胸を撫で下ろすオリビア。心配しなくてもオリビアに仕えるのが俺の最優先だ。
それにくどいようだが生物でもない俺が求婚したところで仕方が無い。
そもそも外見上は女同士だし。
「でもナタリアさんはレイバナの文化に精通なさっているのですね」
「あ、いえ、以前に何処かで読んだ本に書いてあったのが印象的で覚えていただけですから」
おっと、久しぶりの日本食で浮かれ過ぎていたようだ。前世の知識とは言えないから誤魔化さないとな。
「女なのに『精通』…」
「はったおすぞお前」
横でボソリと呟いたルリに、こちらも小声で掣肘を加える。食事中に下ネタ言うんじゃねぇ。
閑話休題。
寮生全員分作れるなら味噌や醤油なんかも大量に持って来ているんだろうか?
もしそうなら多少分けてもらえるように交渉するのもいいかもしれない。
そんな事を考えながら、楽しい時間は過ぎていった。




