第八十六話 異国の令嬢
ナタリアが眠っている間、不安でどうしようもなくなる時があった。そんな時にはいつも自分に掛けてる重力魔法の負荷を強くして校庭を全力で走ったり、魔闘術の練習をしたりしていた。
ナタリアは目覚めたけれど、もっと強くなれるように続けていこうと思う。
なのでもうすぐ始まる新学期に向けた準備はナタリアに任せて、私は校庭でトレーニングしている。
少し汗をかき始めた頃に技の素振りを中断すると、その人はタイミングを見計らって声を掛けてきた。
「ごきげんよう、オリビアさん」
気配から予想した通り、私の一学年上で生徒会長のシャルロット・パイムネモ先輩だった。
「こんにちは、シャルロット先輩」
シャルロット先輩は縦ロールの金髪と抜群なスタイル、身体の殆どを覆う赤い鱗に足の無い下半身が特徴の、蛇の半獣人だ。
サペリオン王国三大公爵家の一つ、パイムネモ家の令嬢であるシャルロット先輩は見た目が華やかな人でとても人気があり、今も後ろに二人の生徒を連れている。
シャルロット先輩に声を掛けられたのはナタリアが停止している間の事で、何かにつけて親切にしてくれる。でもその親切に裏があるのが判ってるから、あまり近付きたくない。
「そろそろあの件について色好い返事を頂けると嬉しいのだけれど。オリビアさん、生徒会に入ってわたくしを手伝ってくださらない?」
シャルロット先輩が私に親切にしてくれる理由がこれだ。始まりは観学祭の前で、生徒会から観学祭の見回りとその後の正式な生徒会参加を頼まれた。そのとき私は少しでも長くナタリアの傍にいたくて断ったのだけれど、それから時折会いに来てはこの話題を出してくる。
「えーと、あまりそういった事は……それに私の成績じゃあ生徒会に相応しくないですよ」
「確かに座学の成績は最底辺ですわね」
判ってたけど他人に言われると少し傷付くわね。
「ですが実技や模擬戦の成績はトップクラス。特に模擬戦は学年1位。決闘騒動の件も考慮すると今の3年生でも貴女に勝てる生徒は殆どいないでしょうね」
確かに実技は下位魔法じゃなければ大体出来るし、模擬戦も私とまともに戦えるのはマティアスくらいだものね。
自惚れるつもりは無いけど、自信は持って良いと思う。
「貴女に求めているのは事務能力ではなく戦闘力ですわ。秩序を守るには力も必要。学校という限られた空間とてそれは同じですわ。貴女のその類稀な力、わたくしに貸してくださいまし」
誘うように片手を差し出すシャルロット先輩。でもその手を取ったが最後、魔法学校を卒業した後もそのまま逃げられなくなりそうな気がする。
貴族が特定の冒険者を支援する代わりに専属の何でも屋のように使うというのはよくある話だ。魔物の討伐や素材収集に駆り出される程度ならまだ良い方で、中には表沙汰に出来ない仕事をさせられ、最後は切り捨てられるという悲惨な結末を迎える冒険者もいる。
シャルロット先輩の人柄を疑いたくは無いけど、公爵令嬢である先輩が今のうちに私を味方に着けようとしていたとしてもおかしくない。
「ふむ、意外に慎重ですわね。でしたら今回は諦めますわ」
「すみません」
手を取るわけにもいかず、かといってはっきり拒絶するのも躊躇っていると、シャルロット先輩は手を下ろして肩を竦めた。
残念そうな声音に申し訳なくなるが、エイミーにもクリスにもマティアスにも油断しないようにきつく言われている。下手に手を取ったら取り返しがつかなくなる事くらい私にだって判る。
「その代わりと言っては何ですけれど、少しお願いしても良いかしら?」
「ええと、私に出来る範囲でなら」
「たいした事ではありませんわ。今から彼女に学校を案内してあげてくださらない?」
そう言ってシャルロット先輩が指したのは、後ろにいた人間の女の子だ。
「レイバナ国からの留学生のリューカ・ウラドさんですわ。今年度から2年Aクラスに編入しますの。第二女子寮に住む事になりますから、そちらも案内していただけると助かりますわ」
「あ、じゃあ私のクラスメイトで同じ寮生になるんですね。でしたらお安い御用です」
これから一緒に生活する仲間になるんだから、私としてはむしろ大歓迎だ。
「初めまして。どうぞよろしくお願いいたします」
「私はオリビア・エトー・ガーデランドよ。よろしくね」
リューカさんは丁寧に頭を下げた。
レイバナ国って確か東の海を渡ったところにある島国だったかな?
「ではオリビアさん、リューカさんの事、お願いしますわね」
シャルロット先輩は満足そうに笑うと、もう一人の生徒を連れて帰って行った。
残された私はちらりとリューカさんの方を見る。
リューカさんは長い髪を一本の三つ編みにした、柔らかい雰囲気中にも凛々しさを持った不思議な人だった。
「ええと、じゃあまず寮を案内するわね。ついでに着替えてくる時間を貰っていいかしら?」
流石に汗をかいた状態で歩き回るのは嫌なので、せめて汗を拭いて着替える時間くらいは欲しい。
「はい。オリビアさんの休日をお邪魔してしまって申し訳ありません」
「気にしないで。それじゃあ行きましょうか」
「はい」
私達はひとまず寮に向かって歩き出した。
そう言えば私達二人とも髪も瞳も黒なのよね。何だか親近感が湧くわ。
二日目からは普通の生活に戻った。とはいかないのが残念なところ。何しろほぼ半年も眠っていたので、やらなければいけない事が目白押しだ。
まずは学園の授業料と寮の家賃の支払い。生活費は全て俺が管理しており、その殆どを収納空間に入れていたせいもあって今まで滞納していたのだ。学園側がこちらの事情に理解を示してくれていたので問題にはならなかったが、俺が復帰した以上は早めに処理してしまうべきだろう。
休暇中も出勤している事務員さんに復帰の報告と支払いを済ませると、次に向かったのは実験棟にあるアナベルの研究室だ。
アナベルには世話になったので、ちゃんとお礼もしておかなければいけない。
教員も休暇中だったので居るか不安だったが、彼女は当然のように研究室で実験に励んでいた。
「その節は大変お世話になりました」
ソファーに向かい合って座り、丁寧に頭を下げる。
「ふへっ、すっかり元気になったみたいで何よりだわ。と言っても、私は大した事はしてないのだけれど」
アナベルはそう言うが、彼女が診てくれなければオリビアは魔力粉詰まりに気付かなかっただろうし、そうなれば俺が目覚めていたかも怪しい。彼女のしてくれた事は決して小さくないのだ。
「何か御礼を差し上げたいと思うのですが―」
「ああ、そういうのは結構よ。師匠から先払いで貰ってるしね」
オフィーリアが?
また俺の知らないところで根回しをしていたのだろうか。本当に抜け目の無い人だ。
「それに貴女の制作には私も関わってるし、貴女が師匠から錬金術を教わってたのなら私にとっては同門じゃない。妹弟子の面倒を見るくらい当然よ」
言われてみれば、俺とアナベルは同じ人に師事したわけだから同門という事になるのか。
そう考えるとこの不気味な呪術師もどきの錬金術師にも今まで以上に親しみを感じるから不思議だ。
「それで、貴女は何を遠慮してるの? こっちに来て座りなさいよ」
アナベルが声を掛けたのはクリスティナだ。彼女は俺が来てすぐにお茶を淹れてくれてからは、部屋の隅でまるで使用人のように佇んでる。
学園内とは言え、貴族の令嬢がそんな事するものではないと思うのだが。
「いえ、その、私は当事者ではありませんし」
「何言ってるの。貴女だってナタリアのメンテナンスをしていたじゃない」
「そうですよ。クリスティナさんも協力してくださったとお嬢様から聞いてます。私はクリスティナさんにも感謝しているんですよ」
オリビアから聞いた話ではクリスティナは手足などの末端部分を診てくれていたらしい。異常は見付けられなかったらしいが、それでも俺を助けようとしてくれた事には変わらない。
「それにこの件だけでなく、普段からお嬢様の勉強を見て頂いているのです。何か御礼をしなくてはと以前から思っていました」
「だそうよ。せっかくだから受けておきなさいな」
「うぅ、そう言われましても…」
「クリスティナさん、私に出来る事があれば遠慮せずにおっしゃってください」
元から大人しいクリスティナだが、こういう時には堂々と受け取ってもらいたいものだ。でないとこっちの立場が無い。
「あの、それでしたら、一つだけ欲しい物があるんですが…」
「私に用意出来る物であれば何なりと」
遺産全部使い切るような高価な物とか言われたら困るけど、クリスティナがそんな要求するわけ無いよな。
「その、ナタリアさんの神経糸に使っている素材が余っているなら分けてもらいたいんです」
「神経糸に使ってる素材ですか?」
「す、すみません! やっぱりダメですよね!」
「いえ、駄目と言うわけではありませんが」
アリアの鋼糸か。
普段からオリビアが世話になっているクリスティナが相手だ。譲るのも吝かじゃない。
収納空間を開き、中の鋼糸を確認する。
戦闘で使っても終わったらちゃんと回収していたので消費は無いに等しく、収納空間の中には糸球がまだ幾つか転がっている。
その一つを取り出してクリスティナに差し出した。
「解りました。ではこちらを」
「い、良いんですか?」
「はい。今回の件もそうですが、お嬢様も普段からお世話になっておりますので」
「でもこんな希少なものを…」
強度も柔軟性も魔力伝導率も高い特殊金属なんだっけ。俺にしてみれば身内からただ同然で貰ったものなので、いまひとつその価値に実感が湧かないんだが。
「でしたら、これからもお嬢様と仲良くして頂けるとありがたいです。これはその先払いという事で」
本当に貰えるとは思っていなかったのだろうか。クリスティナはすっかり縮こまってしまったので、受け取る口実を作ってやる事にした。
「ぅ、その、はい……あ、でもオリビアさんとは、この件とは関係無く、これからもお友達でいたいと思います」
クリスティナは俯き、小さい声だったがそれでもはっきりと言ってくれた。
実はオリビアが一方的に頼ってるんじゃないかと心配していたんだが、良好な関係を築けているようで安心した。
だったら俺が口出すのも無粋だな。
それから暫く談笑してから、研究室をお暇した。
蛇こそ地球上で最も美しい生物だと思います。




