第八十三話 リ・エンカウンター⑧ ※イラスト有り
ナタリアが倒れて一週間がたった。
まだ目を覚ます気配は無い。
ダームエル先生に報せると心配そうにしていた。
ナタリアが担当していた魔力放出の授業は全クラスで一通り終わっていて、あとは先生達の指導で反復練習するだけだから問題無いみたいだけど。
でもエイミーや寮の皆は凄く困ってた。
エイミーは新しい参考書の原稿を書いて欲しかったみたい。勿論それだけじゃなくて、純粋に心配してくれてるのもあるのだけれど。
寮の皆は休日の食事を作る人がいなくなって混乱してた。料理出来る人は何人かいたけど、寮生全員分を作るのは大変だし、料理上手なナタリアの味に慣れた今では皆の舌が肥えていた。
そして何より私が大変だった。
食事はもとより洗濯や髪の手入れまでナタリアに頼りきっていた私は、今まで自分がどれだけ甘えていたのか思い知らされた。
ナタリアが倒れて二週間がたった。
まだ目を覚ます気配は無い。
アナベル先生はナタリアの身体を細かくメンテナンスしてくれたけど、もうこれ以上は手の施しようが無いらしい。
そもそもナタリアの身体には自動修復機能があるので、それが正常に復旧した今では月に一度の魔力粉の除去以外は特にする事は無いんだとか。
それでも何か可能性があるかもしれないと色々調べてくれてはいるけど、ナタリアの身体の構造はお母様のオリジナルな部分が多いため、弟子のアナベル先生でも理解するのに苦労するようだ。
ナタリアが倒れて一ヶ月がたった。
まだ目を覚ます気配は無い。
アナベル先生がこれ以上研究室で寝かせておいても出来る事は無いと言うので、ナタリアを寮へと移した。
実を言うと私自身、毎日研究室に通うのがつらかった。
授業中もナタリアの事が頭から離れなかった。
夜一人で眠るのが怖かった。
今この瞬間にナタリアが苦しんでるかもしれないと思うと、何も手に着かなかった。
寮に帰ってベッドで眠るナタリアを見ると、安心と不安がごちゃ混ぜになる。
――ああ、今日もちゃんといる。
――まだ目覚めない。
どうしていいのか判らない。
ナタリアが倒れて二ヶ月がたった。
まだ目を覚ます気配は無い。
「ねぇ、ナタリア、たまには思いっきり休むのもいいけど、早く起きないと、私、もう待てないんだからね?」
ベッドの脇に座って声を掛けても、やっぱり返事は無い。
綺麗な身体には傷一つ無く、動かないのが不思議なくらいだ。コメットウルフのブレスで抉られた肩だって、もう完全に直ってるのに。
「告白してからって思ってたけど、こんなに無防備だと我慢出来ないよ」
頬に触れると、人形の肌は人間のものより少し冷たかった。
長い睫毛、整った鼻筋、色のいい唇。作り物だと解っていても、綺麗だという事実は変わらない。
「前にクリスが貸してくれた本に書いてたんだけどね、お姫様は愛する人のキスで目を覚ますんだって」
ベッドに手を突いて覆い被さっても、何の反応も無い。
「本当にしちゃうよ?」
吐息が触れるほどに近付いても、何も言わない。
「好きよ……」
ナタリアの唇は、やっぱり少し冷たかった。
ランプの柔らかい光に照らされた部屋の中、一人の女性が細かな部品を組み上げていく。
彼女は“漆黒の魔女”の異名を持つ、この国、いや、世界でも最高峰の魔導師だった。
「これで身体は完成」
パーツを取り付け、出来上がった物を満足そうに頷く魔女。
彼女が作り上げたのは一体の魔導人形。魔女がこれまで培ってきた技術と集めてきた素材を惜しげも無くつぎ込んだ、これまた世界最高峰の魔導人形だ。
その価値は国宝に指定されてもおかしくない代物だが、この魔導人形が創造られたのは国に献上する為でも、宝物庫に大事に仕舞われる為でもない。愛する娘へのプレゼントなのだ。
「後は記憶装置に基礎知識を記録させれば起動出来るわね」
オブシディアン色の瞳がサファイア色の瞳を覗き込む。
「もう少し待っててね、ナタリア」
そう言って魔女は魔導人形に基礎知識を記録させる為の準備に取り掛かった。
魔導人形が動き出したのは、その直後である。
魔女の部屋で、椅子に座った魔導人形は両手足を外され一切動けない。そもそも今の魔導人形は主人権限により強制的に機能停止させられている状態なのだ。・
「ナタリアの本来の性能なら、あのゴーレムを倒すのは容易。でも今のナタリアの戦闘力はD上位かC下位程度。それも攻撃は魔銃頼りで近接戦は不得手。魔銃が効かない相手に勝つのは不可能」
部屋中に魔力で描かれた魔法陣や呪文が浮かんでいる。
それらは全てナタリアの制御中枢を司る術式を展開したもので、魔女はそれらを見直していた。
「ゴーレムを倒すという目的を持ったまま気絶した事により自我による制約が無くなり、目的達成を最優先する魔導人形としての行動を開始。性能への制限も一時的に開放されたようね」
昨夜繰り広げられた魔導人形とゴーレムの戦闘。
同行していた知己の冒険者から聞いた話と自分が到着した時の状況から、魔女は魔導人形に起きた事を分析していた。
「ナタリアに人間の魂が宿っている事はほぼ間違い無い。問題は今回のように命令出来る人間が近くにいない時に意識を失った場合、命令を優先して暴走同然になる可能性がある事。ナタリアがこの身体を完全に制御出来るようになればその心配は無いのだけれど」
宙に浮かぶ魔導人形の制御術式には何の問題も無い。
だが問題が無い事が問題なのだ。
「それにはこの人形の身体は高性能すぎる。今回は意識が眠っていたから魂への負担は軽かったけど、もし意識がある状態で最大性能を発揮しようとしてしまえば、魂への負担は計り知れない」
魔導人形は魂が無いからこそ制御出来る。だがもしその性能全てを人の魂が受け止めようとすれば、その圧倒的な情報負荷により崩壊するだろう。
「そうさせない為には、魂を少しずつ慣らすしかないわね。性能に制限を掛け、日常的に要求される性能と時間経過に応じて段階的に開放していけば、負担を大幅に軽減出来る筈」
一つの結論に達した魔女は杖を構え、宙に浮かぶ術式を書き換え始めた。
「貴女はもう私の娘なんだから、勝手に壊れるなんて許さないんだからね」
そうか、これは記憶だ。魂が意識しないと知る事が出来ない、この身体の記憶を夢で見ているんだ。
でも、たとえ夢でも、生きているオフィーリアをもう一度見る事が出来たのは嬉しいな。
この人のお陰で、もう一度生きる事が出来た。
この人のお陰で、この世界で生きる力と知識を得られた。
この人のお陰で、この世界で生きる意味を得た。
この恩は一生忘れないよ。
ありがとう、ご主人様。
明るいとも暗いとも着かない空間で、魔族のフルートはこの場を形成する存在の具合を確かめていた。
「おはよう、と言うにはまだ早いか」
フルートは虚空に向かって話しかけるが、答える声は無い。
「かなり馴染んだようだ。この様子だと現在解除されている制限までは大丈夫そうだな」
決して独り言などではなく、相手に向けて話している。
だがその相手の意識はフルートに向いてはいない。
「後は自身がそうあろうと望んでいれば、徐々に開放されるだろう」
相手はフルートを無視しているわけではなく、夢と現実の狭間で意識が揺れている為に反応が鈍いのだ。
そして不可思議な事に、この空間は夢か現実かで言えば夢であった。
「さあ、そろそろ目を覚まし給え。君のお嬢様がとても心配している。これほど主に大事に思われているのは、仕える身としては幸せな事だぞ」
一時的とは言え、最近碌でもない人間に仕えていたフルートは心の底から言った。
「ではさらばだ。機会があればまた会おう」
魔族に背を押され、意識は覚醒へと歩き出す。
「せっかくだ、もう少し楽しませてもらうとしよう」
思い出したように足を止めたフルートは置き土産を残し、今度こそその場から立ち去った。
触れていた唇を離し、それでも離れ難くて綺麗な顔を眺めていると、長く閉ざされていた瞼が開かれた。
「……オリ…ビア…?」
かすれる様な声が私の名を呼ぶ。
嘘じゃない。
夢じゃない。
待ちに待ったナタリアの目覚め。
でも私の口は私の思った事を言ってくれなかった。
「バカ! ナタリアのバカっ! いつまで寝てるのよ! ナタリアが寝てる間、大変だったんだからっ!」
違う。
こんな事が言いたいんじゃない。
『苦しいところは無い?』
『目覚めてよかった』
身体に悪い所は無いのか訊いて、目覚めを喜びたいのに、思ってもいない憎まれ口と涙しか出てこない。
「ナタリアは私のメイドなんだから、ちゃんと仕事してよ!」
横たわるナタリアの胸を叩く。子供が駄々をこねる様で格好悪いと思ったけど、それでも止められなかった。
「……お嬢様…」
まだ本調子じゃないらしいナタリアがか細い声で私を呼び、体温の無い冷たい手が頬に触れる。
「よかった…本当に…無事で」
「っ!」
ずるい。
なんで。
なんで今そういう事言うのよ。
もう怒れないじゃない。
「うん、ナタリアが護ってくれたから。ありがとう」
「泣かないで…オリビア…」
ナタリアの指が私の涙を拭う。
そういう事を簡単にしちゃうところが、本当にずるい。
二年生への進級を一週間後に控えた夜、こうしてナタリアは目を覚ました。




