第七十三話 後期目玉イベント
アナベル先生が黒板に書く音が響く。これが初めての錬金術の授業なんだけど、全然集中出来ない。
原因は判ってる。
この間、ナタリアがお母様の弟子だったらしいアナベル先生に呼び出された。私は午後の授業があるから行けなかったけど、放課後になってナタリアを迎えに行ったら、ナタリアがアナベル先生を押し倒していた。
その光景から、二人の“大人な関係”を想像してしまい、思わず逃げ出してしまった。
その後のナタリアの説明で誤解だというのは解ったけど、あの光景は今でも強烈に焼き付いている。
アナベル先生を見るとどうしてもそれを思い出してしまうのだ。
それともう一つ。ちらりと教室の後ろを見ると、いつも見慣れたナタリアが、見慣れないスーツ姿で立っている。ダームエル先生を通して臨時講師のアルバイトをナタリアは報酬としてたまに他の授業を聞いている。
それは良いのだけど、クラスの中で私一人だけ身内に授業風景を見られているのが何とも居心地が悪い。
「こうして錬金鍋と錬金棒によって素材に魔力を通すのが錬金術の基本になるわ」
アナベル先生の声も黒板に描かれた図も全く頭に入らない。
「先生、錬金鍋より大きなものを作ることは出来ないのでしょうか?」
「その大きさに渡って繊細で迅速な魔力制御が出来るなら可能よ。ただし他に魔力の媒介となるものが必要でしょうけれど」
後でナタリアに、ううん、それこそ絶対集中出来なくなるからクリスに教えてもらおう。
「錬金鍋の役目は素材を術師の魔力で包む事よ。だから大きな素材を包めて魔力を通す媒介で代用出来るわ。一般にはアルコールが良いとされているわね。アルコールは魔力伝導率が高く、蒸発させてしまえば素材への影響が少ないので、取り扱いに気を付けさえすれば優秀な媒介になるわ。これは錬金術以外にも言える事ね」
ナタリアの身体は錬金術で創造られたから、その管理を考えると主人である私も覚えなきゃいけないんだけど、私はこういった細かい制御が苦手だし、ナタリア本人が錬金術を使えるから私の手を必要としていない。
「錬金術は魔力の制御と同様に素材への理解と形状のイメージが重要よ」
実際にお母様から主人権限を引き継いだけど、ナタリアの身体を整備した事は一度も無い。ナタリアは自分で出来るから大丈夫と言ってくれてるけど。
でも私はナタリアの主人なんだし、いつかちゃんと出来るようにならなきゃダメよね。
それで私の手でナタリアを……整備するときって、その……脱ぐのよね。
ナタリアの服を脱がせて、裸にして、あの綺麗な肌に触れて……
私が……
想像しただけで興奮してしまうのが解る。
いけないいけない。
今は授業中なんだから、たとえさっぱり理解出来なくても、せめてちゃんと聞かないと。
「すみません、オリビアさん。ちょっと用事があって、お昼はご一緒出来そうにありません」
「おじょ…オリビアさん、私は午後の授業の準備がありますので、申し訳ありませんが昼食は先に食べていてください」
といった感じで、クリスもナタリアも忙しいので、久しぶりにエイミーと二人だけで昼食を食べていた。
「というわけで、二人とも忙しいみたい」
「そっか。でもまさかナタリアさんが臨時講師になるなんてねぇ。Bクラスにも来てたけど、解り易くていい授業だったし、これは参考書にも箔が付くかな」
エイミーは食事を口に運びながらもお金儲けの事を考えてる。些細な事も商売に繋げるあたり、本当に逞しいと思う。
「でもこれからは忙しくなるね。授業の内容も増えるし、観学祭もあるし」
「かんがくさい?」
私が解らずに尋ねると、エイミーは意外そうな顔をした。
「え、オリビア、観学祭知らないの?」
「うーん、クラスの皆が話してた気もするけど、覚えてない」
「はぁ。オリビア、私みたいな特殊な場合は別にして、魔法学校に通ってる人たちは何が目的だと思う?」
エイミーは深い溜息を吐くと、額を押さえて呻くように訊いてきた。
でも私だってそれくらいは解る。
「何って魔法の勉強でしょ?」
「そう、魔法の勉強、ひいては将来魔法に関する職に就く為よ。特に国一の魔法学校ともなれば、国や領主に仕える魔術師を目指す人も多いでしょ。そういった人達の為に、年に一回自分達の技量をアピールするのが観学祭よ」
エイミーが言うには、トーナメント式模擬戦大会や研究の発表会を行い、生徒は自分達の実力を来客者にアピールして、就職への足掛かりにするらしい。
希望する就職先への繋がりを持たない生徒への補助や、実力を公平に見る為のものなんだとか。
「オリビアは模擬戦大会に興味あるんじゃない? 全学年合同だから強い人と戦えるかもしれないし」
「確かにそういうイベントなら楽しみだわ」
授業でもたまに模擬戦はするけど、私と勝負になるのってマティアスくらいなのよね。それでも授業で教わった魔法で戦うっていう縛りが無かったら絶対に負けない自信があるけど。
あ、そうだ。
ナタリアはいつも私を守ろうとしてくれるけど、あれって私が弱くて頼りない子供だって思ってるからよね。
だったら上級生も参加する模擬戦大会で私が優勝すれば、少しは認めてくれるかな?
うん、そう思ったらやる気が出てきた。
「よし! 模擬戦大会に出場するわ!」
職員室で午後の授業を準備する合間、後期に開催される観学祭について隣の席のダームエルと話していた俺は思いがけない台詞に少し驚いた。
「お嬢さ、オリビアさんは参加出来ないのですか?」
「いや、出来ないというわけではないのだが……」
そこまで行ってダームエルは気まずそうに目を逸らす。
何か言いづらい事なのだろうか。
「あ、私が聞かない方がいい事なら無理に言わなくてもいいのですよ?」
「いや、そうではない。むしろ君からオリビアにそれとなく伝えて欲しい」
俺が気遣うとダームエルは否定し、申し訳無さそうにしながらも語り始めた。
「先にも言ったが、観学祭の主な目的は生徒の就職に向けた売り込みだ。Aクラスは実力や家柄もあって早々に決る生徒も多いのだが、下級貴族や庶民の多いB、Cクラスの生徒、特に三年生には切実な問題でな。だからあくまで彼等が主役なわけだが、そこにオリビアのような規格外が飛び込むとだな……」
「あ、成る程」
オリビアの対人戦経験は授業の模擬戦程度だけど、それでも入学当初のマティアスとのいざこざに端を発する他の生徒との決闘では上級生も易々と返り討ちにしていた。
そんな彼女が、こう言っては何だがこの学校の基準において普通かそれ以下の生徒達の為の大会に参加して活躍をしてしまったら、彼等の立場が無いだろうし、それを見た来賓客への印象も霞んでしまうだろう。
「大会が全学年混合で行われるのは下級生には上級生との差を実感させ、上級生には下級生の手本となるようにさせるという意味もあるが、オリビアはそれを悉く粉砕しかねない」
ダームエルが呻くように呟き、俺の頭にも上級生達を殴り飛ばしていくオリビアの姿がありありと浮かんだ。
「当然彼女にも参加資格はあるのだが、それを認めると観学祭の目的が破綻しかねん」
だよなぁ。
そもそもオリビアは冒険者志望―ギルドへは既に登録済みだが―だから、観学祭に参加する必要は無い。魔法学校の生徒である以上参加する権利はあるんだけど、そうすると他の生徒の就職活動を妨害しかねない。
オリビアを公平に扱う事が他者への不公平となってしまう。
必要としない者が必要とする者から奪ってしまう。
これはいけない。
「解りました。オリビアさんへは私から話しておきます」
「すまない。おそらく私より君から言ってもらえた方が彼女も納得するだろう」
「お気になさらないでください。私も臨時とは言え講師ですし、オリビアさんのメイドでもありますから。主を諌めるのも仕事のうちです」
「そう言ってもらえると助かる」
ダームエルは小さく頭を下げると、話は終わったとばかりに机に向き直って弁当を取り出した。
俺も少し食べておくか。いや、食べる必要無いんだけどね。気持ちの問題。
自分の弁当を出しつつもちらりと隣を見る。
ダームエルの弁当は標準的な大きさながら、その中身は手の込んだ料理ばかりだった。
「ダームエル先生のお弁当、豪華ですね。いつもそうなのですか?」
「ああ、妻が料理好きな上に凝り性でな」
既婚者だったのか。
「良い奥様なのですね。夫婦円満そうで何よりです」
「まぁ、な。そういう君も凄いな」
ダームエルは照れ臭そうに苦笑し、俺の弁当も褒めてくれる。
「一応本業はメイドですから」
「君も将来はいい嫁に、あ、すまない。君に言う事ではなかったな」
「いえ、お気になさらずに」
俺が魔導人形だと忘れていたのだろう。ダームエルは頭を下げて謝罪した。
うん、それはいいんだ。
ただやっぱり女扱いされてるのがね。今更だけど。
まぁ、散々言ってる通り、俺のジェンダーは男なんで男と恋愛する気は無いし、そもそも人類でも生物でもないんだから考えるだけ無駄だよ。




