第六十六話 お嬢様は心配性
楽しい長期休暇も残すところ僅か。明後日にはイングラウロに向けて出発しなければいけない。なのでナタリアは馬車に乗せてもう商隊と日程や契約の確認に行っている。本当は私も一緒に行った方が良いのだけど、どうせいても難しい事は解らないし、ナタリアに任せてただ頷いてるのも退屈なので、私はミールさんの店に来ている。
「どうかな?」
商品の一つを着けた私に、ミールさんが尋ねてくる。
先日の戦闘で素手だった私を心配して、防具を装備するように勧めてくれたのだ。
「うーん、やっぱりちょっと動きにくいです」
目の前で拳を握っては開いてを繰り返してみるけれど、その動きはぎこちない。それもその筈で、私の拳は金属の篭手に覆われている。
当たり前の事だけど、篭手を着けていると拳の握りや腕を振る感覚が変わってくる。拳をしっかり握れないのは、格闘において致命的だ。動きの邪魔にならず、その上でしっかりと防具としての機能があるのが理想なんだけど、そんな都合の良い物はなかなか無いみたい。それに変な篭手だと逆に拳を傷めてしまうから、難しいところだ。
「格闘戦用の防具って無いし、こうなると一から設計した方が良いかも」
店にある装備はどれもミールさんが作ったものだけど、鎧や篭手はあくまで防具で、別に武器を持つ事を前提に設計されている。
それはそうよね。魔物が相手でも人間が相手でも、わざわざ素手で戦おうとする人なんていないっていうのも、魔闘術を習得しようとする人が少ない理由だし。
「なんでぇ、ミール、ずいぶん面白そうな話してるじゃねぇか」
店の奥から聞こえた声に目を向けると、沢山のヒゲを生やしたドワーフのおじさんが杖で身体を支えながら立っていた。
「お父さん、起きて大丈夫なの?」
「おいおい、鍛冶師は引退したが、別に歳ってわけでもねぇんだぞ」
この店の前店主でミールさんのお父さんのジェイスさんだった。
ジェイスさんは腰を痛めて鎚を振れなくなったので一線を退いたと聞いている。
「嬢ちゃん、魔闘術を使うんだってな。確かにそれなら普通の篭手じゃ駄目だ。防具であり武器でなくちゃならねぇし、求める性能が普通の篭手とは違いすぎる」
ジェイスさんの言う通りだ。
技の発動には使う人の魔力に耐える強度と魔力の伝導の両立が必要で、その上で格闘戦の邪魔にならない柔軟性と防具としての強度が要る。そして出来るなら武器としての性能も欲しい。
こうして考えると凄く贅沢よね。
「そんで、嬢ちゃんがあの人形っ娘の主人かい。あいつにはいつも薬を貰ってるから何とかしてやりてぇが、こいつは普通に作ったたけじゃ駄目だ。素材から設計から専用にしなきゃならねぇが、一般に出回ってる素材でこの要求を満たすのはまず無理だ。強力な魔物の革か繊維素材が必要になるな。俺の伝手で探してみるが、それでもあまり期待出来ねぇな」
ナタリアそんな事してたの?
それはそれとして、やっぱり難しいか。
「嬢ちゃん、今は魔法学校に行ってて、本格的に冒険者として活動するのは卒業後なんだろ? だったら焦る事はねぇよ」
確かにナタリアの主人になる為に冒険者登録はしたけど、活動するのはお母様の方針に従って魔法学校を卒業してからにするつもりだ。
私はジェイスさんにもし適した素材が見付かったら確保してもらうように約束して、店を出た。
さて、用事は済んだからもう帰ってもいいのだけど。
適当に街を歩きながら道行く人達を眺める。
あ、あの人は髪の色がナタリアに似てる。
あっちの人は背丈がナタリアと同じくらい。
「それで、どうします?」
今の声はナタリアにそっくり。
目を向けてみると、声だけじゃなく髪もナタリアに似ていた。
「じゃあまず買い物なんてどうだ?」
「その辺りが無難なところですね」
ありゃ、顔もそっくりだ。これでメイド服を着ていたら完全に本人だわ。
「では行きましょうか」
「ああ」
そう言ってナタリアは男の人と歩き出した。
「!?」
通り過ぎようとした私は思わず足を止めて振り返った。
ナタリアのそっくりさんじゃない。普段のメイド服ではないから印象が違って見えるけど、ナタリア本人だった。
あ、男の人がナタリアに話しかけて、ナタリアもそれに応えてる。
二人はとても仲が良さそうだ。
その光景に、私の心はざわついた。
ナタリアに私の知らない交友関係があるのは判ってる。主人とメイドとしての立場から私に見せない面があるのも判ってる。
判ってる。
判ってるんだけど、やっぱり納得出来ない。
私は思わず二人の後を追っていた。
「それで漸く依頼のマーダーベアを倒したけど、殆ど儲けにならなかったんだ」
「薬や罠を使いすぎですね。掛かった費用を考えれば当然でしょう」
「そうなんだよなぁ。ジェーンさんにも言われた」
「でしょうね」
「とは言え、早く倒さないと近いうちに近くの村に被害が出そうだったし、他に誰も行こうとしなかったから」
「お人好しですねぇ」
「惚れるなよ?」
「天地がひっくり返っても無いです」
着かず離れずの距離で聞き耳を立てていると、男の人は冒険者らしい事が判った。
男の人の苦労話にナタリアは手厳しい返事をしている。
あの男の人はナタリアにとってかなり気安い相手みたい。だって誰にでも礼儀正しいナタリアが、あんなに軽口を言うところなんて初めて見たもの。
「お、なかなか良い物を置いてるな。これなんか似合うんじゃないか?」
「少し派手ではありませんか?」
露店の前で足を止めた二人は並べられた商品を眺め始めた。
どうやらアクセサリーを売っているらしい。遠目で見ても宝石の煌きが良く解る。
「俺はこれくらいの方が好みだけどなぁ」
「ああ、そうですか」
ナタリアは呆れたように顔を逸らす。
うんうん、ナタリアはあまり派手に着飾ったりしないものね。普段身に着けてる装飾品も従魔証明の宝珠くらいだし。
「店主、お尋ねしますがこの指輪は―」
あの人はナタリアの事全然解ってないなぁ。
ナタリアと買い物するならもっと実用的なものにした方が良いんじゃないかなぁ。
「はい、まいどあり」
あれえぇ!?
「結局買うのかよ」
「誰も買わないなんて言ってないでしょう」
どどどどどどういう事?
完全にとまではいかなくても、あまりナタリアの趣味じゃなかった筈。それなのに買ったという事は、何か理由があってか…
「まさか…」
いや、そんなまさか。
あのナタリアが男の人に薦められたからってだけで。
でももしあの男の人が、私が思ってる以上にナタリアと親しいとしたら…
それはつまり、恋愛的な仲だったとしたら…
「い、いや、でもどうして? ナタリアはそんな…」
ナタリアの好みってお母様みたいな人だった筈。
『その人、絶対モテるわ。強引に迫って関係を進めないと、すぐに誰かのものになっちゃうわよ』
不意に、いつだったかエイミーの台詞が脳裏を過ぎった。
『すぐに誰かのものになっちゃうわよ』
『すぐに誰かのものに』
『誰かのものに』
『誰かのものに』
嫌な言葉が頭の中で反響する。
あのナタリアが誰かのものに?
『お嬢様、こちらの男性とお付き合いをする事になりました』
『お嬢様、私、この人と結婚します』
以前考えてしまった悪い未来図とその更に先を思い浮かべてしまい、目の前が真っ黒に塗り潰される。
「おっと」
元々遠かった未来が完全に断絶される恐怖に思わずふらついた私は、近くを歩いている人にぶつかった拍子に現実へと引き戻された。
「ごめんなさい」
「ああ、大丈夫だよ。ん? もしかしてオリビアお嬢かい?」
慌てて頭を下げたけど、相手は私の事を知ってるみたい。
顔を上げると、確かにその人とは面識が会った。
「あ、ジェーンさん」
その人は大手クラン『羽ばたく飛竜』のサブマスターをしているジェーンさんだった。
「大きくなったねぇ。見違えたよ。イングラウロの魔法学校に通ってるって聞いたけど、帰ってきてたんだね」
「はい、長期休暇の間だけなんで、明後日には出発するんですけど」
ジェーンさんはお父様とお母様の昔からの知り合いで、私もたまに会ったときはよく可愛がってくれていた。大柄で筋肉質な見た目だけど、実はとても優しい人だ。
「シューマ兄貴に続いて姐さんまで亡くなって、お嬢も大変だろうけど、何か困った事があったら言ってくれよ。アタシに出来る事なら何でもするからさ」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、私にはナタリアがいてくれますから」
お父様もお母様も死んでしまって悲しい。でも私は一人じゃない。いつもナタリアが頑張ってくれてるから、今まで困った事なんて何も無い。
あ、成績とナタリア自身との関係は別だけど。
と、そこでさっきまでの目的を思い出した。
「そうだ、ナタリア」
慌てて振り返ってみるが、その姿はもうどこにも見当たらなかった。
嫌な予感が現実味を帯びてくる。
「ナタリアがどうかしたのかい?」
心配そうに尋ねてくるジェーンさん。
ジェーンさんに頼めばもしかしたら……でもこんな事を頼んで良いのかな。
ううん、迷ってる暇なんて無い。こうしている間にも、ナタリアが遠くに行ってしまうかもしれない。
「ジェーンさん、早速なんですけど、お願いしてもいいですか?」
「おう。アタシに任せな」
意を決っして振り返った私に、ジェーンさんは内容も聞かず爽やかに笑って応えてくれた。




