第六十三話 私の知らない彼女
魔法学校一年目の上期はどうにか無事に乗り越えた。
クリスのお陰で成績もAクラスから落ちない程度には取れた。成績表を見たナタリアは苦笑いしてたけど。
でもこれで心置きなく長期休暇が迎えられた。
荷物を纏めた私達は来たときと同じように商隊の馬車に同行させてもらって、お父様とお母様の眠る家に帰ってきた。
「ナタリア、私は荷物を整理してくるわ」
「はい、何かありましたらお呼びください」
私は自分の荷物を受け取ると、他の荷物の整理や途中で仕留めたクランプボアの解体はナタリアに任せて、自分の部屋の扉を潜った。
部屋に入って荷物を下ろすと、まずカーテンと窓を開ける。澱んでいた空気が入れ替わり、外から爽やかな空気と緑の匂いが吹き込んでくる。
「それじゃ、荷物片付けようっと」
鞄を開け、中のものを取り出す。着替えや日用品はそのままでもいいけど、イングラウロで買った本なんかは置き場がなくなるからこっちに置いていかなければいけない。
どれもエイミーやクリスが薦めてくれた本で、文を読むのが苦手だから時間が掛かったけど、凄く参考になった。
この本は女騎士とお姫様が両想いなのになかなか進展しなくてヤキモキした。こっちの本は男装した女冒険者が凄く格好良くて、主人公の女魔術師の気持ちに共感出来た。これは女同士の恋愛物じゃないけど貴族の男とメイドの恋愛で、身分の違いを乗り越えるところに凄くドキドキした。
どの本も最後は恋が成就するハッピーエンドで、私もいつかナタリアとこんな関係になりたいと思った。
「あ、この本」
それはエイミーが『いつかこういうのも必要だろうから』と渡してきた本だ。日の高いうちから口に出すのは憚られる内容だったが、確かにいずれはナタリアとこういう事をしてみたいという気はある。
「ナタリアと…ダメダメ! まだダメ!」
無意識のうちに本を開こうとした手を無理矢理押し留めて、雑念を払うように頭を振る。
だが一度思い浮かべてしまった妄想はなかなか消えてくれない。
そもそも丁度一年前に帰省したとき、自分からかなり強引に迫ったじゃない。
「お風呂で……」
思い出すのは一糸纏わぬナタリアの姿。
立ち込める湯気の中、綺麗な輪郭に、白く傷一つ無い肌。
たとえ作られたものだとしても、それは美しいという事実を覆すに足りない。
それを再び目にする機会はイングラウロに行ってから突然訪れた。
放課後、寮の自室に戻って扉を開けると、丁度ナタリアが着替えている最中だった。
ナタリアはいつも私より先に起きてるし、お風呂に入るのだって私が寝てからだから、ナタリアが着替えているところに出くわすなんて今まで無かった。けどあのときはナタリア自身も予想外だったのか、ちょっと呆然としてた。
あのときは気遣って扉を閉めたけど、本音を言えばその場で眺めていたかった。
強くて優しくて美しくて、ときどき厳しいナタリア。
その違う一面を垣間見たのは、ほんの数日前だった。
寮に帰って本を読んでいたら、出掛けていたナタリアが帰ってきた。
私はいつものように迎えようとして、言葉に詰まった。
あのナタリアが泣きそうな顔をしていたのだから。
一瞬自分の勘違いかと思って、でも近くで見てみたらやっぱり間違いじゃなかった。
どうにかしたい。ナタリアにそんな表情してほしくないと思った。
気が付いたら、ナタリアをベッドに座らせて抱き締めていた。
子供っぽく思われないように今まで抱き着いていたのを我慢していたけど、このときばかりはどうしようもよかった。
腕の中のナタリアが私に身を預けてくれて、私もただそれを受け止め続けた。
後日一緒に買い物に出たときに出会った冒険者の男の人、多分ナタリアがあんな表情をしていた原因だと思うけれど、何事も無かったかのように通り過ぎてすぐいつも通りに戻ったナタリアに、結局何も言えなかった。
思えばこの半年でいろいろなナタリアを見た。
髪を梳かしてくれる穏やかなナタリア。
料理する楽しそうなナタリア。
お母様を侮辱されて怒るナタリア。
私の魔法の変な癖に呆れ気味のナタリア。
魔法の理論を教えてくれる真剣なナタリア。
一向に理解しない私に苦笑するナタリア。
お金の話でエイミーを手玉にとって嗤うナタリア。
私とお揃いの匂い袋を喜んでくれたナタリア。
理由は判らないけど悲しそうなナタリア。
どのナタリアも好き。
どのナタリアも愛しい。
気が付けば指は本のページをめくり、目は大人の営みの描写を追っていた。
本の登場人物を自分とナタリアに置き換えて空想する。
滑らかで長さの整った銀髪、豊かだけど大きすぎない胸、普段はスカートで隠されてる腰のライン。
それらに触れたとき、ナタリアは――
甘い妄想はノックの音で醒めた。
まずい!
もし今の状況をナタリアに見られたら、絶対気持ち悪がられる!
「お嬢様、アリアさんのところに行ってきますので」
私は持っていた本を鞄に突っ込み、他の荷物を部屋の隅に押しやった。
ええと、どうしよう!?
変に思われないように!
「わ、私も行くわ」
息を切らせながら扉を小さく開いて伝える。
「あの、取り込み中でしたらお気になさらすに、私だけで行ってきますから」
「いいの、気にしないで。すぐに準備するから」
「…はい」
どうにか誤魔化せたみたい。
それから身支度を整えて(ナタリアはメイド服の上から軽鎧や篭手を着けていた)、二人でアリアの住んでる洞窟に入った。
ナタリアの出した照明魔法の光が洞窟内を照らしてくれる。私はこういった細かい魔法が苦手だから、ナタリアがフォローしてくれるのが本当に助かる。
暫くすると道のど真ん中に赤茶色っぽい蜘蛛がいた。アリアの子供の鉄蜘蛛に似てるけど、進化した種類かな?
「こんにちは。貴方はアリアさんのところの子でしょうか?」
その蜘蛛にナタリアはそうするのが当然のように話しかけた。
蜘蛛の方も喋りはしないけど仕草で意思疎通出来てるみたい。
「ではお嬢様、行きましょうか」
「うん…慣れてるのね」
「?」
ナタリアは私が一般学校に通ってた頃からときどき来てたらしいけど、でも洞窟で遭遇した魔物に平然と話しかけるなんて普通しないと思う。
蜘蛛に案内してもらって着いた大広間では、小柄な剣士が沢山の子蜘蛛と戦っていた。
あの人はバメルを出る前に一度だけ会った事がある。ナタリアの友達で、確か名前はミールって言ったっけ。ドワーフだから身長は私より低いけど、もう成人しているらしい。
襲われてるのかと思ったけど、殺気は感じないし、二人を知ってるナタリアが何もしないから大丈夫なのかな?
戦いはミールさんが鉄糸で動きを封じられて決着した。
「惜しかったですね、ミールさん」
「ナタリアさん、帰ってきてたんですね」
「はい、ただいま戻りました」
「ナタリアちゃんもオリビアも元気そうねぇ」
正直言って、私はアリアが苦手だ。多分アリアも私の事はあまり好きではないと思う。
だってアリアはお父様を好きだったから。アリアはお母様がお父様と出会う前からお父様の従魔として一緒に旅をしてたんだって、昔お父様が話してくれた。あのときのアリアはお母様がお父様を見るのと同じ目をしてた。
アリアからしたら後から現れたお母様にお父様を奪われたんだから、その娘の私をよく思えるわけが無い。
私はナタリアの後ろに隠れながら愛想笑いを浮かべた。
「アリアさんもお変わり無いようで。ですがミールさんがアリアさんのところに来ているのは以外でしたね。子蜘蛛達が苦手だったと思いますが、どうしたのですか?」
「ミールちゃんはねぇ、私の鋼糸が欲しいんだって」
「アリアさんの鋼糸ですか?」
「強度も魔力伝導率も優秀な希少素材ですから、店の看板商品にしたいんですけど」
「ただであげるのもつまらないからぁ、うちの子達に勝てたらそのご褒美にあげる事にしたの」
前にお母様が言ってたけど、紫鋼蜘蛛っていうのは特殊進化した超希少種で、そこから更にアラクネ形態になれるアリアはAランク相当の実力者らしい。そのアリアの鋼糸はミスリルと同格の素材なんだとか。
確かにそれを売りに出せば、お店は人気になるかもしれない。私にはよく解らないけど。こういう事はエイミーの方が得意だし。
それにしてもミールさんって、ナタリアと仲が良いのね。
ナタリアが使ってる鎧を作ったのもミールさんだって聞いてるけど、本当に友達なんだって、私がいない間に出来た関係なんだって見せ付けられてしまう。
「あら、悪いわねぇ。さっそく少し食べてもいいかしら?」
「それは構いませんが、全部生のままですよ?」
「子供達が食べる分は大丈夫よ。それにナタリアちゃんの事だから料理道具や他の食材も持ってるんでしょ? せっかくだから皆で食べましょう」
「まぁ、持ってますけど。簡単なものでいいですね?」
気が付いたら、何故かナタリアが料理して皆で食べる事になっていた。
「私は下準備をしますから石でかまどを作って火を起こしておいてください」
私が一般学校で教わっていた石のかまどを作ると、アリアが魔法で火を点ける。
虫の魔物は火が苦手なのが多いって教わったんだけど、アリアって普通に炎魔法も使えるのよね。
「ん、どうかした?」
「…ううん、なんでもない」
見ていて変に思われたのか、すぐに目を逸らす。
アリアよりナタリアを見てた方が楽しいし。
そこから始まったのは蜘蛛の魔物が使う炎魔法よりも不思議な魔法だった。
ただの肉の塊が手早く切り分けられ、綺麗な焼き目が付き、食欲をそそる湯気と香りを放つようになるのはまさに魔法だった。
「クランプボアの香草焼き、パン粉焼き、ガーリック焼きになります。ソースは二種類ありますのでお好みでお使いください」
三種類の焼き方と二種類のソース。街のレストランで出されるような、ここが洞窟の中だと忘れてしまうほどのご馳走が瞬く間に出来上がっていったのだ。
「いや、誰がここまでやれと」
アリアの言葉に私もミールさんも頷いた。
まさか洞窟の中でここまで豪勢な食事が出てくるとは思いもしなかったのだから。
それにナタリアと一緒に暮らし始めてもう半年になるけど、料理しているところを見るのは初めてだった。寮生活だからというのもあるけど、ナタリアは家事の殆どを私が見ていないところで終わらせてしまう。休日の朝食は私が起きる前に作るし、昼食夕食は私には手伝うより勉強や自由時間を優先させてくれる。
だから今までナタリアが料理しているところを見た事が無かったのだ。
こうして考えると、私ってナタリアにずいぶん甘えてるんだなぁ。
「まぁいいわ。冷める前に頂きましょう」
「お母さん、ごめんなさい。今日の夕飯は食べられません」
ミールさんが小さく呟いたけど、どういう意味だろ?
「ところでオリビア、魔法学校はどう?」
見た目を全く裏切らない美味しいお肉を齧っていると、いきなりアリアに話しかけられた。
「え、うーん、勉強は難しいけど、友達が教えてくれてるからどうにかなってる」
「そう。友達も出来たのね。勉強はシューマもあまり得意じゃなかったけど、そういうところのフォローはいつも私やオフィーリアの仕事だったわねぇ」
アリアは普通そうに話すけど、私はそこまで上手く取り繕えない。
私は逃げるように食事に集中した。
ナタリアの料理は本当に美味しい。しかも焼き方とソースの組み合わせで何通りもの味が楽しめる。
寮でも休日は寮母さんが休みなので、ナタリアが私や他の寮生の食事を作る事も多い。私の住んでる第二女子寮は平民が多いけど、中には下級貴族の娘もいる。彼女達やその使用人からも意見を貰ったりしているナタリアは、以前にも増して料理の腕を上げている。
「お嬢様、私、少々採掘してきます。食器などは後で片付けますのでそのままにしておいてください」
「え、ナタリア? それなら私も行くわ!」
食べ終わりかけた頃、突然立ち上がったナタリアに私は反射的に応えた。
「あ、私も!」
慌ててお皿とフォークを置いて立ち上がると、ミールさんもそれに続いた。
「じゃあこの子に案内させるわね。鉄蜘蛛から進化した希少種の銅蜘蛛よ。鉄蜘蛛に比べて能力も高いし魔法も使えるから、案内以外にも役に立つ筈よ」
希少種という事はこの子も成長したらアリアみたいになるのかな?
「ではよろしくお願いしますね、銅蜘蛛さん」
こうして私達は銅蜘蛛に案内されながら、今まで足を踏み入れた事の無かった洞窟の奥へと進み始めたのだった。




