第五十九話 ロストハート⑤
仮面の男レイジに傷を負わされ膝を突いたギィセだったが、その窮地を救ったのは同じパーティーのメンバーであり無二の親友でもある犬獣人のジニーだった。
投擲した剣がレイジの仮面を掠め、無理矢理引き離す。
「え、女?」
仮面が剥がれたレイジの顔、半分は手で隠しているがそれは明らかに女の、それも美しいと称していい容貌をしていた。
レイジは男だと思って困惑するギィセを他所に、ジニーは己の肉体を武器に襲い掛かった。
「ギィセさん、大丈夫ですか? すぐに手当てしますね」
隠れていたミシェーラがギィセの元に駆け寄り、外套の下に持っていた薬で応急処置を施していく。
「ああ、ありがとう」
礼を述べつつも、ギィセの視線は親友の繰り広げる猛攻に向けられていた。
同じく復讐に逸るギィセから見ても、ジニーの様子はおかしい。いくら頭に血が上ったとしても、使える“技”がヘヴィソードしかない彼が剣を投げ捨てるなどありえない。血走った目で理性の感じられない攻撃を繰り返しているのも明らかに異常だ。
とにかく一秒でも早くレイジを倒し、ジニーを落ち着かせなければ。
そう思ったギィセだが、おかしな事に身体が全く動かない。
「ああ、傷口に痺れ薬を塗ったから暫く動けないわよ」
立ち上がったミシェーラが事もなさげに告げる。
ギィセはその言葉の意味が判らず目を瞬かせるが、ミシェーラは彼に興味など無いようで、熱の篭った視線をレイジへと注いでいる。
「フフ、やっぱり女だったわねぇ。しかもとびきりの上玉。あのワンちゃんじゃあ狂壮薬使っても勝てないわ」
「ミシェーラさん、一体何を……」
「何って、あのワンちゃんがまだ戦いたそうにしてたから痛み止めの薬をあげただけよ。ただこの薬って、痛みと一緒に理性も消しちゃうんだけどねぇ」
今まで大人しい商家の娘だと思っていたミシェーラが突然妖しい口調になり、自分に理解出来ない事を言いだした。全く思考が纏まらないギィセだが、彼が困惑している間にも状況は変化している。
「ほら、やっぱり下級の冒険者はこんなものね」
ギィセが見たのは無数の短剣を天高く放り投げるミシェーラと、頭を上下に両断される親友の姿だった。
理解が追い付かない。ミシェーラは何を言っている。ただの街娘ではなかったのか。どうしてそんなに剣を持っている。どうしてそんなに獰猛な笑みを浮かべている。あれはなんだ。何が起きている。ジニーはどうなっているんだ。頭が飛んでいる。半分だけだ。斬られた。
何が、一体何が起きているんだ。
思考の纏まらないギィセを置き去りにして、重力に引かれた短剣の群がレイジの身体に小さくも確実な傷を刻む。
「いい反応してるわね」
不意を突いたと思っていたミシェーラは防御された事に感嘆する。
だがそれでは駄目だ。あの状態から即座に防御したのは賞賛に値するが、このミシェーラを相手にするならば、絶対に回避しなければいけない。
「でももうおしまいよ。いい声で鳴いて頂戴ね」
戦闘など起きない。これから起こるのは一方的な蹂躙。
銀髪蒼眼の女を甚振り、嬲り、端正な顔を恐怖と苦痛で歪ませる。
その様を夢想したミシェーラは心躍らせながら、手にしている短剣の刃を舐めた。
「今のはお前か。一応言っておくが、俺はそいつらの言う心臓収集家じゃないぞ」
レイジは自身の受けた傷を確認すると、何事も無かったかのようにミシェーラに向かって構えた。
「ええ、知ってるわ。だって心臓収集家の正体って私だもの。今まで気付かなかったんだから、こいつらホントに馬鹿よねぇ」
まるでただの自己紹介のように告げられた真実に、ギィセは大きく目を見開いた。
追っていた心臓収集家がこんなに近くにいた。
ギィセは今すぐにでも飛び掛りたかったが、彼の身体は指先すらも満足に動かせないほどに麻痺していた。
「私はミシェーラ。こいつらが言ってた心臓収集家、俗に言う殺人鬼ってやつよ、女性専門のね。今まで何度も解体してるから貴女が女だってすぐに判ったわ。そのくらいの服装で誤魔化そうとしたって駄目よ」
ミシェーラは指先で短剣を弄びながらクスクスと笑う。
その様子に泰然自若としていたレイジのこめかみが小さく震えた。
「よかったら貴女の名前も教えて頂戴。レイジって偽名でしょ?」
「生憎名乗る気もお前と仲良くする気も無い」
「ふーん、やっぱり偽名なんだ。あれ、怒った? いいじゃない。どうせ貴女も解体されるんだから。こいつらの仲間の女みたいに」
「お前らの事情がさっぱり解らないが、結局お前も敵か。なら容赦はしないぞ」
レイジがゆったりとした所作で黒い魔道具をミシェーラに向ける。
これまでの戦いで魔力を撃ち出す強力な魔道具だというのはギィセもミシェーラも解っている。その速度も尋常ではなく、回避するのは非常に困難だ。
だがミシェーラは顔色一つ変えない。
「残念だけど戦いにはならないわ。さっき投げた短剣にはルビーアナホリバチの毒が塗ってあるの。人間にも魔物にも、体内に入りさえすれば竜にすらも効く強力な麻痺毒よ。もう充分身体に回った頃じゃない?」
ルビーアナホリバチは体長一メートル程の蜂の魔物で、力も飛翔速度も外殻強度も並程度で群れもしないのだが、この毒だけを理由にティラノガビアルと同じCランクに格付けされている。
彼等は自由を奪った獲物を地面に彫った巣穴に引きずり込み、死んで鮮度が落ちないように生命活動に影響の無い部分から嬲るように食い殺す。
故にその生態を知る者からはティラノガビアル以上に恐れられているのだ。
心臓収集家はこのルビーアナホリバチの毒を使い、大勢の冒険者を屠ってきた。多少格上であっても、数多の短剣を駆使すれば掠り傷を負わせるのは容易い。そしてその掠り傷を負わせた瞬間、彼女の勝利が確定するのだ。
今も彼女はこれから愉悦の時間が訪れると確信している。
もう毒は充分に回っただろう。
レイジを疲弊させる為に利用した冒険者には少量だが同じ毒を傷口に直に塗ってやった。魔物避けの香も焚いている。横槍が入る心配は無い。
だがミシェーラには一つだけ、しかし致命的な誤算があった。
相手が毒など効かない魔導人形だと気付けなかった事だ。
「麻痺毒? 至って正常に動くが?」
半ば反射的に身を反らしたミシェーラの肩を魔力弾が掠めたのは次の瞬間だった。
突然割って入ってきたミシェーラという少女は殺人鬼を自称している。
真偽はどうでもいい。大事なのは俺がこいつに狙われているという事だ。
そしてさっき受けた短剣にはどうやら麻痺毒が仕込まれていたらしい。
なるほど。麻痺して動けない相手を甚振る快楽殺人鬼か。
これは流石に拙い、って、あれ?
「麻痺毒? 至って正常に動くが?」
今まで何百と繰り返した通り引き金を引くと、ミシェーラは躱しながらも驚愕の表情を浮かべる。
「なんで!? 竜すら、あらゆる生物を痺れさせる猛毒よ!? それが効かないなんてありえない!」
あらゆる生物?
ああ、そうか。それじゃあ俺に効く訳が無い。
「おい、もう終わりか、殺人鬼?」
さっきまで嬉しそうにしていた殺人鬼の狼狽振りに冷ややかに尋ねると、犬歯を剥き出しにした形相で睨まれた。
「舐めるなよ。こっちは今まで何人も冒険者殺してるんだ。毒だけでやってきたわけじゃねぇんだよ」
「ならさっさとかかってこいよ。獲物を前に自分語りはド三流もいいところだぞ」
「言ってくれるじゃないの。ちょっとばかり強い魔道具持ってるからって調子に乗っちゃって」
言い終わるより早いか、ミシェーラの足が地を蹴った。
即座にブラックホークで迎撃するが掠りもしない。
相手の武器が短剣なら近付かれると不利だ。二も無く駆け出して距離を取る。
その間にも迎撃は続けているが、ミシェーラが身体を左右に揺らすだけで魔力弾は遥か後方に過ぎ去っていく。
「その魔道具、強力だけど狙いが解り易すぎるわ」
やっぱり見切られてるか。
素早い相手なら弾幕で圧倒したいが、ホワイトヴァイパーは完全に弾切れだ。オーガとの戦闘で落としたマガジンを踏み潰されたのが痛恨すぎる。
内心舌打ちしながらも引き金を引くが、瞬く間に距離を詰められた。
「ほぉら!」
振り下ろされた短剣をかろうじて魔力刃で受け止める。だが一撃で終わりではない。
一閃、二閃と白刃が閃く。
魔力刃で止めつつ苦し紛れにブラックホークを撃つが、それも容易く避けられる。
下から掬い上げるように左の短剣が昇る。身を反らして避けたが、今度は右の突きが迫る。
素早い短剣が二本。
魔力刃一本では防ぎきれない。
後ろに大きく飛び退きながらブラックホークをホルスターにしまい、両腕で魔力刃を展開する。
「ふーん、魔力の物質化、両手で出来るんだ」
ミシェーラが口角を上げながら囁くが、その間も止まる事は無い。
一度跳躍した程度の距離など次の瞬間には詰められ、二本の短剣が襲い掛かってくる。
「ほぉら、スピードアップ。ついでにツイスターエッジ」
「くっ!」
全身を旋回させた竜巻の如き斬撃が防御を掻い潜り、至る所に傷を残す。
魔力刃二本なら対等に戦えると思ったが甘すぎた。
大勢の冒険者を殺してきたというのは伊達ではなく、俺の拙い剣筋など簡単にあしらわれる。
逆にミシェーラの攻撃を俺は防ぐので手一杯だ。
「威勢のいい事言ってた割りにこの程度? 戦いは魔道具頼り?」
さっきの俺に対するギィセのように、素早い猛攻に防戦一方だ。
距離を取ろうと思ってもその隙すら許してくれない。たとえ一瞬離してもそれは本当に一瞬でしかない。
何か他の手段で反撃の糸口を作らなければ負ける。
ホワイトヴァイパーは弾切れ。ブラックホークは見切られてる。接近戦技術じゃ適わない。
ならどうする?
これは通じるか?
いや、望みが薄くてもやるしかない。
俺は一つの魔法に賭けた。
「っ!」
至近距離の鍔迫り合いから唐突に防御を捨てて飛び込み、魔力刃を大きく振り被る。
ミシェーラが素早く短剣を薙ぐと共に、俺の姿は弾けて消えた。
かかった!
幻影魔法による囮を正面に出して視界を塞ぎ、その隙に背後に回った俺は必殺の気概を持って魔力刃を突き出した。
空振った。
しゃがんだミシェーラの頭上を俺の魔力刃が素通りする。
「はい、残念」
そのまま旋回するミシェーラの足が俺の足を掬う。
腕を振る遠心力に引かれていた俺の身体はバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れた。
「幻影魔法なんて子供騙しなんだよ」
立ち上がったミシェーラが短剣を振り下ろし、手首の下、篭手の継ぎ目を的確に貫いた。
「これでおしまいっと!」
とどめとばかりに振り下ろされる短剣。
まずい。
俺は地面に縫い止められた腕を置き去りにしたまま横に転がって躱し、勢いそのままに起き上がった。
「な、にそれ!?」
驚愕するミシェーラ。
俺は神経糸を垂らしたまま立ち上がった。
「俺が女だとは気付けても、これには気付かなかったようだな」
これが俺。
種も仕掛けもある、最強の魔導師の最高傑作。
「魔導人形を見るのは初めてか?」




