第三十八話 娘の想い
ナタリアが部屋を出てから、時刻はもう深夜に差し掛かる。
オリビアの脳裏には二つの事が浮かんでいた。
一つは大好きな母の事。
父が死んだのは母を庇ったからだというは聞かされていた。そのときはとても悲しかったが、それでも母が無事であった事は嬉しかった。
だがそうではなかった。母は呪いに蝕まれているのを隠して、自分の前ではいつも通り振舞っていたのだ。
何故母が一般教養を学ぶ学校へ行かせたのかが、今になって理解出来た。いずれ訪れる永別の後に、自分が一人でも生きていけるようにする為だったのだ。
それに今まで気付かず、そこまで将来を考えてくれていた母が今にも死にそうになっているのに、何も出来ない自分が悔しい。
もう一つは愛しいナタリアの事。
学校に戻ってからも、ずっと彼女を想っていた。
優しくて強い彼女に自分を見てもらえるように努力してきた。
数ヶ月ぶりに出会った彼女は以前にも増して美しく、強い眼をしていた。
その彼女が、今は自ら危険に飛び込んでいる。
それを止める術を、自分は持たない。もし自分が逆の立場なら、絶対に止まらないと判ってしまうから。
そして母を救うには、彼女に託すしかないのも理解している。
でももし彼女に何かあったら。
母も愛する人も、一度に失ってしまったら。
想像するだけで暗闇の中に放り込まれたような錯覚に囚われる。
「お母様…ナタリア…」
母の手を握りながら呟くと、母の手が僅かに動いた。
「オリビア…帰ってたのね、おかえり…」
「お母様っ!」
薄く眼を開いたオフィーリアに、オリビアは思わず身を乗り出す。
「お母様、しっかりして。今ナタリアが薬の材料を取りに行ってるわ。」
希望を持つように励まそうとするオリビア。
しかしこの国で、いや、この世界で最高峰の魔導師であるオフィーリアは誰よりもこの呪いを理解していた。
「オリビア、机の引き出しを開けてみなさい」
こんなときに何を言うのか。不思議に思いながらも従うと、そこには書類の束が入っていた。
「お母様、これは」
「ナタリアの設計図よ」
ナタリアの設計図など、今までオリビアは見せてもらった事が無い。人形にとってそれは命と同義であり、基本的に秘匿すべきものだからだ。
そもそもオリビアは幼い頃にオフィーリアから魔法は学んでいたが、錬金術や人形術は向いていなかったので教わっていない。
なのにナタリアの設計図を託す。
その意味するところが、嫌でも理解出来てしまった。
「やめて、お母様。そんなの…」
今にも泣きそうなオリビアに、オフィーリアは優しく語り掛ける。
「オリビア、ナタリアの事が好き?」
「っ…ええ、好きよ。大好き」
「そう…」
オリビアの答えに、オフィーリアは満足げに微笑む。
「なら、しっかり守ってあげてね。あの娘は前よりもずっと強くなったけど、それでも何処か危ういところがあるから」
オフィーリアは目線を虚空に向け、今はこの場にいないもう一人の娘を想う。
「本当は私が時間を掛けて矯正するつもりだったのだけど、読みが甘かったわ。こんなに早く呪いが活性化するなんて…」
「お母様…」
オリビアは続けるべき言葉が見付からなかった。
本音を言えば、母の死など受け入れたくない。母自身にも限界まで抗ってほしい。
だがその母は自分よりも正確に自身の身体と呪いを理解しているのも判る。そしてそれ故に、自分は母の覚悟が無駄にならないよう、残されたものを守らなければいけないのだ。
抗ってほしいという願いと受け止める覚悟。
オリビアは相反する、しかし娘として何ら間違っていない想いに挟まれ、ただ涙を堪える事しか出来なかった。
真夜中のバーヘン樹海深部、沼地周辺。
走り続けて漸く辿り着き、探し続けて漸く見つけた。
先日のゴーレム戦以来、不思議と視覚や聴覚が鋭くなった。オフィーリアが内部を弄ったと言っていたので、その影響かもしれない。
だからここまで来るのに苦労は無かったし、途中でナイトウルフの群が襲ってきたが、夜眼が利くようになった今では苦戦する事も無かった。
目当ての獲物を見付けたときも、暗闇は何の苦でもなかった。
なのに、今俺は沼の縁に膝を突いている。
蠢く巨体が俺を睥睨する。
体長五メートルはある熊だ。だが普通の熊ではない。背中から深い緑色の触手が無数に蠢いている。
周囲に痙攣して転がっている魔物達は、皆こいつにやられたやつらだ。
図鑑には前に戦ったティラノガビアルと同ランクだと書かれていた。簡単に倒せる相手じゃない事は解っている。
立ち上がって引き金を引くと、魔力の弾丸が腹に吸い込まれて穴を穿つ。だが熊は衝撃でよろける程度で、構わず前進する。
さっきから何度も撃っているが、やっぱり銃じゃ効果は薄いか。
素材回収が目的だから炸裂弾も下手に使えない。
だったら持っている意味は薄いか。
ブラックホークをホルスターに収め、右手を空ける。
今まで多くの戦闘を一緒に潜り抜けてきたブラックホーク。
それが効かないというのは正直精神的にキツイ。
でも、だからなんだ。
左手に魔力刃を出して突撃する。
熊が立ち上がり迎撃体制を取る。
振り下ろされた前足を横に跳んで躱すと、熊は勢いそのままに向きを変え、もう一方の前足で追撃してきた。
川で魚を捕るような下から掬い上げる連続攻撃を跳び、しゃがみ、なんとか全て躱す。
身を屈めた姿勢から立ち上がる反動を利用して真上に斬り上げる。
蒼の一閃が奔り、熊の前足を肩口から深々と抉った。
跳躍の勢いで中空に上がった俺に、背中の触手が束になって襲い掛かる。さっきもこれで不意を突かれたんだ。
けれど二度も食らわない。
返す刀で触手を切り払う。
右手を飛ばして熊を掴み、神経糸を巻き取る。引き寄せられる勢いに任せて魔力刃を振るう。
速度を乗せた斬撃が熊の巨体を切り裂く。
だが熊は少しよろけただけで、すぐに体勢を戻した。
即座に背後に回り、背中に生える無数の触手を薙ぐ。しかしいくら斬っても、触手は次から次へと生えてくる。
熊が振り向きざまに前足を振り回す。咄嗟に飛び退く。
肩に付けた傷口の隙間から背中に生えているのと同じ触手が飛び出し、捻りながら槍のように迫る。
魔力刃を構えて受け止めたが、勢いを止めきれずに跳ね飛ばされた。
「くそっ!」
急いで起き上がり、熊を視界に戻す。
熊は何やら苦しむように悶えている。今までの反応からして痛覚があるようには見えなかったが、どうしたんだ。
距離を取って様子を窺っていると、肩の傷から更に大きなオレンジ色の触手が現れた。
「やっと出てきたか、テンタクルビースト」
図鑑によれば動物に寄生するキノコの魔物で、別名は冬獣夏草。
オレンジの触手が本体であり、薬に必要な部分だ。
その出現した本体に呼応してか、周囲に倒れていた魔物の背中に熊と同じ触手が生え、シャーマンエイプの操る死体と同じように立ち上がった。
「既に寄生済みかよ」
敵が増えたわけだが、怯んでなどいられない。
オフィーリアの、ご主人様の命が懸かってるんだ。
だから
「大人しく狩られろ!」




