第百九十四話 鮮血神楽③
参道を下る俺達には、重い空気が圧し掛かっていた。原因は俺の前を歩くルリとオリビアである。二人はリューカを助けに行きたがったが、ああも明確に拒否されては動きづらい。
俺も心配ではあるが、魔導人形が口を挟む場面でもなかった。オリビアとの仲に関しては割り切ったが、対外的にはまた別の話だ。
「はぁ」
先頭を歩くルリが盛大に溜息を吐いて前髪を掻き毟った後に振り返り、意を決した表情で宣言した。
「皆さん、申し訳ありません。やっぱり行ってきます」
言うと思った。
何処へと訊く様な察しの悪い、あいるは野暮な奴は居なかった。
「良いのか? 指示に背いたとあっては、処罰は免れん。最悪、死罪も有り得るぞ」
「それはまぁ、でもしょうがないですよ」
范焱の忠告に、ルリは困った様に笑う。
「私、あの方に命救われちゃいましたから。危険な状況にあるかもしれないまま放置するなら、生きてる意味無いです」
ルリとリューカさんの関係は、俺が思っていた以上に重いものだったらしい。そしてルリの覚悟も、俺が思っていた以上だった。
「なぁ、ルリ。屍鬼ってのはどういう魔物なんだ? シャーマンエイプが操る動く死体とは違うのか?」
アンデッドならかつてシャーマンエイプが操る死体と戦った経験がある。共通点がどの程度あるかは判らないが、全くの無駄ではないだろう。
もしかしたら俺達にも何か出来るかもしれない。
「そのシャーマンエイプは知らないけど、雑に言えば、屍鬼は傷一つで感染する死体よ。ナタリアなら何となく想像つくでしょ?」
ルリの言う通り、確かに前世の知識がある俺には想像がつく。
感染する死体とはつまり、屍鬼の被害者は屍鬼になるという事だ。前世の世界ではゲームや漫画でよく見た物だが、傷一つで感染するとならば、その中でもかなり厄介な部類だろう。
「だから生半可な戦力じゃ屍鬼を増やすだけなのよ。私達浦戸守は屍鬼への対処も慣れてるけど」
「じゃあ、同行出来るのは俺だけだな」
「はあぁ!?」
ルリが声を上げるが、何も意外な事じゃないだろう。
ルリにとってリューカさんが命の恩人で、その為に自分の命を懸けるという気持ちは、俺にもよく解る。そして二人には俺とオリビアの関係を進めてくれた借りがある。
「ナタリアが行くなら私も行くわよ!」
「お嬢様、傷一つで致命傷なのですよ。生身の人類には危険過ぎます」
傷を負わされただけで感染するのなら、掠り傷だけでも命取りになる。幾らオリビアが強くても、一切の傷を負わずに居るのは不可能だ。
屍鬼になったオリビアなんて俺は見たくない。
「范焱、お嬢様を連れ帰ってくれるか?」
「うむ、引き受けた」
「え、ちょっと、范焱!? 下ろしてよ!」
范焱はオリビアを肩に担ぐと、問答無用で屋敷に向かって歩き出した。
オリビアを力尽くで押さえられるのは范焱くらいだからな、居てくれて良かった。
「クラリッサ達もお嬢様と一緒に帰れ。エイミーさんも―」
「言われなくても帰るよ。オリビア宥めとく」
「お願いします」
エイミーは小走りになって范焱に追い付くと、オリビアに何か話し掛けた。
流石は親友だな。オリビアの事はエイミーに任せておけば大丈夫だろう。
「いや、あの、ナタリア? 来て良いなんて言ってないんだけど。感染しなくても屍鬼は人型の魔物としては力は強い方だし、もしかしたら何も無いかもしれないし」
「親友だろ。危険への道連れくらいしろよ。何も無いなら俺達が取り越し苦労して終わり、それで良い」
それに、何も無いなんて思ってないだろ。
例年より屍鬼が多くてリューカさんがまだ戻ってないなんて、これが既に異常事態だ。
「じゃあ行くか。俺は場所知らないし、先導は頼むぞ。取り敢えず迂回するか」
真っ直ぐ戻っても仁久朗と鉢合わせするだけだからな、横から森に入った方が良いだろう。
場合によってはアレも使う事になるかもしれないな。
「あーあ、判ったわよ。それならせめて顔を隠しておかないと」
ルリはそう言って収納空間から取り出した仮面を被る。それはかつて俺が作った兎の仮面だった。
まだ持ってたのか、それ。
「そうだな。俺も一応付けとくか」
俺はルリに倣い、幻影魔法で姿を隠しながら浴衣を脱ぎ捨てると同時に、収納空間から取り出したいつものメイド服一式と以前使っていた仮面を素早く着用した。
「バニームーン&シルバーバレット復活ね」
「その名前覚えてたのか」
しかし吸血鬼を助けに行くのに俺の偽名が銀の銃弾なのは皮肉だな。
「ああ、でも付いて来れなかったら置いて行くからね!」
そう言ってルリは俺を一瞥もせずに走り出した。
上等だ。魔導人形の健脚、見せてやるよ。
夜道を歩く范焱と、その僅かに後ろを付いて行くエイミー。
范焱の肩に担ぎ上げられているオリビアは先程までナタリアを追うと暴れていたが、エイミーに宥められた今は大人しくしている。それでもやはり不満は拭えず、唇を尖らせて不貞腐れていた。
「心配しなくても私なら大丈夫なのに、ナタリアったらまた一人で無茶しようとするんだから」
「それがナタリアさんの悪い所なのは解ってるけど、今回は我慢しなさいよ」
「同感じゃ。傷一つで感染し屍鬼になるとあっては、儂でも分が悪い。その上、この格好では普段通り戦うなど出来んじゃろ」
范焱の言う通り、着慣れていない浴衣では普段の動きなど出来はしない。先程は不意を突いた一瞬が偶然上手くいっただけで、戦いを繰り返し長引けばそれだけ装備の違いが大きく表れる。そしてそれは必ず何処かで命取りになる。
そもそもただの浴衣で戦闘に赴くのが間違いであり、魔物の素材や希少金属を使った装備との差など比べるべくもない。
「それはそうだけど、ナタリアが私を大事にしてくれるのと同じで私だってナタリアが大事だし、リューカの為にだって戦いたいのに……」
「いざという時に戦えぬ気持ちは解るが、体を張って戦う事だけが力ではないし、絶対の価値でもない。悔しさを堪え、信じて待ち、次に繋ぐのもまた強さじゃ」
范焱は何処か寂しげに呟く。
数多の人類種族より頭一つも二つも抜きん出た竜人族に戦えない気持ちが解るのかと、エイミーは表情に出さないよう努めながらも驚いた。
「長く生きとるとな、色々あるんじゃよ」
エイミーの視線に気付いたのか、范焱は僅かに振り返って穏やかに笑った。
「……今、ナタリアが…」
オリビアの真剣な声音に、范焱もエイミーもクラリッサも視線を向ける。
主従の、あるいは恋人同士の絆が何かを感じ取ったのか。
「脱いだ気がする」
「何言ってんの? マジで」
エイミーは一瞬でも真剣になった事を後悔した。
「ねぇ」
「何じゃ? 行かせはせんぞ」
流石の范焱も声に呆れが滲み出ていた。
「それはもう諦めたわよ。私はね」
引っ掛かる部分がある言い方に、エイミーと范焱は再度オリビアを見た。
「アカネとエリカが居ないわ」
続く言葉に振り向くと、そこには確かに最後尾に付いて来ていた筈のアカネとエリカの姿が無かった。
「連れ戻す」
「いいわ、クラ、行かせてあげましょう」
駆け出そうとしたクラリッサを、オリビアは制止する。
「わう、いいの?」
群の序列を絶対視するクラリッサにしてみれば、序列上位であるナタリアからの指示を理由も無く勝手に破った二匹の行動は許し難かった。しかし群の最上位であるオリビアが許可すると言うならば、それに従わざるを得ない。
「アカネもエリカも私よりナタリアを大事にしてるからね。仕方無いわよ」
オリビアは二匹が向かったであろう方向に目を向けながら苦笑した。
ミール「ナタリアの親友……」




