第百八十話 白兎の隠岐渡り②
マリーゼはそこで、この浅黒い肌の子供が瑠璃の刀を盗もうとしたのだと気付いた。
腕を掴まれた子供はしまったと言った風に顔を強張らせる。
「くそっ! 放せっ!」
「うーん、流石にそうもいかないかなぁ」
必死に腕を振り解こうとするが、見たところ十にもならない歳の子供の力で振り解けるほど瑠璃は軟ではない。
「お客さん、どうかしましたか?」
「ああ、この子が―」
声を聞き付けた茶屋の店員が出てきたので、マリーゼは事情を話そうとした。
「すみません、お団子とお茶もう一人前追加で」
「……はい」
しかし瑠璃はそれを遮り、追加の注文を取り付ける。店員は一瞬思案したが、にこやかに応じて店の奥へと戻って行った。
「さて、どうしてこんな事したのかな?」
子供を強引に隣に座らせ、諭す様に尋ねる。しかし子供は口を真一文字に結んで顔を背け、断固として沈黙の姿勢を取る。
「ふーむ、困ったわねぇ」
子供で未遂とは言え窃盗犯である。領主に仕える身である瑠璃の立場では、おいそれと見逃すわけにもいかない。せめて話を聞ければと思ったのだが、なかなかに頑固そうだ。
「お団子とお茶三人前、お持ちしました」
そこに先程の店員が注文した品を届ける。受け取ったルリは団子の乗った皿と茶の注がれた湯飲みを子供に差し出した。
「ほら、食べなよ。物で釣るみたいだけどさ、君の事情を話してくれないと私達もどうにも判断出来ないのよ」
「……いらない」
子供は一瞬表情を緩めかけ、しかしすぐに引き締めてはっきりとした口調で答えた。
「オレは物乞いじゃねぇ。同情なんかすんな」
「じゃあ何だ? お前のやろうとした事は泥棒、れっきとした犯罪だ。一端の口を叩くならそもそも人の物を盗るな」
「ちょっと、マリーゼ!?」
幼い意地と矜持を、マリーゼは容赦無く切って捨てた。これには流石の瑠璃も驚き狼狽える。
「ルリさんが優しいからまだ役人に突き出されていないだけだ。だったらお前のするべき事は何だ? このまま黙っている事か? それで満足ならそれでもいいが、自分の意地の為に掛けられた温情を突っ撥ねるならそれがお前の器だ」
マリーゼにとって、それは同族嫌悪だったのかもしれない。かつてオリビアに理不尽な悪感情をぶつけ、それを笑って許され、受け入れられ、それでも今も尚彼女を好きになれない自分と重ねて見えたのか。
マリーゼの言が堪えたのか、子供は二の句を継げなかった。
瑠璃はどうしたものかと思案するが、マリーゼは自業自得だと言わんばかりに荒っぽく団子を齧る。
「仇討ちに強い武器が必要なんだ」
子供は暫しの沈黙の後、事情を話し始めた。
「オレの両親は辻彦に殺された。仇を取りてぇけど武器も無ぇし、そもそも普通の武器じゃ殺せねぇ。だから道で、アンタがその刀がすげえって言ってたのが聞こえたから盗もうとした」
「いや、あの、ごめん……」
「そのツジヒコっていうのは盗賊か何かか? 役人はどうした?」
子供が自分の冗談を真に受けてしまった事に居た堪れなくなった瑠璃を置いておいて、マリーゼは至極当然の疑問を挟む。これが事実であるなら殺人事件であり、治安維持は為政者と役人の仕事だ。
「役人なんて頼りにならねぇよ。何人かが捕縛に行ったけど全員返り討ちにされて、それからはなんもしねぇ。あいつが首切り童子の正体だって噂もあるし……」
「クビキリドウジ?」
「お前、首切り童子を知らないのか?」
「サペリオン王国から来たばかりだからな。この国の事情なんて全く知らん」
「首切り童子ってのは、首切り峠の人斬りだぞ」
この刺身港がある嘉音の国―国家ではなく領としての呼称―と隣の斗詠の国を隔てる切宝山を通る山道に現れた正体不明の人斬り。それが首切り童子である。
童子の名の通り、身の丈は子供程だが、風よりも速く駆け、山に蔓延っていた賊の首を次々と刎ねて山道に晒していった。その活躍で切宝山周辺には賊が居なくなり、峠は首切り峠と呼ばれるようになったという。
「御伽噺か?」
胡乱な目を向けるマリーゼに、子供は食って掛かる様に吠えた。
「違う! 十年くらい前に本当にいたんだ!」
「割と最近だな」
古くから伝わる寓話の類かと思ったマリーゼは半ば呆れながら茶を啜る。
「ある時を境に首切り童子は急にいなくなったけど、それが帰って来たんだって言われてる」
「ふーん。それで、瑠璃さんはどうする?」
どうしても当事者意識の薄いマリーゼだが、それでも話を振る程度には気を遣っている。何せ瑠璃はこの刺身港を含む嘉音の国を統治する浦戸家の守り人、為政者側である。狼藉者の放置は身内の失態と言って良い。
「辻彦って浦戸家末席の問題児がそんな名前だった気が……それだと普通の役人じゃあ無理よね……」
浦戸家の縁者ならば少なからず吸血鬼の血を引いている筈であり、であれば他の人類以上の身体能力と再生力を持っている。特に再生力に関しては、四肢を落とそうが致命傷にならない。吸血鬼であればそれらの傷はすぐさま再生するし、高位であれば首を刎ねようとも生きている。
吸血鬼は吸血鬼同士、あるいは特殊な方法でなければ殺せない。
「あーあ、思ってもない所から問題が出て来たなぁ」
瑠璃はそう言って団子を頬張って茶を口に流し込み、じっとして居られないとばかりに立ち上がる。
「ん、ゴクッ。君、名前と両親の他に家族は?」
「え、っと…わ、和太。弟がいる」
「そっか。じゃあ和太君は弟を守る為にしっかり生きなきゃね。後は私に任せなさい」
瑠璃は三人分の勘定を席に置き、歩き出す。
「あっ、おい、任せろって何する気だよ! それに俺はあんたの名前も聞いてないんだぞ!」
「おっと、そうだった」
一瞬足を止めた瑠璃は半身振り返り、眼帯に隠されていない目でにっこりと笑う。
「私は瑠璃。ただの女中よ」
瑠璃は一旦ベルーガ号クルーが宿泊する予定の宿に行き、仁久郎に事のあらましを説明した。
「いや、駄目じゃろ」
「そんな気はしてました」
対面に座った仁久郎はにべも無く断じ、その回答を予想していた瑠璃は苦笑するしかない。
「その辻彦とやらが本当にあの辻彦であれば役人の手には負えんじゃろうから、儂等が動く必要は出てくるじゃろう。しかしそれは正式な要請があってからじゃ」
「どれくらいかかります?」
「事実確認から勘当までは一週間、いや、四日かのう」
仁久郎としてもそうなれば早目に動く算段ではあるが、これはあくまで役人からの要請があってからである。今から四日という訳では無い。
「それまで放置ですか?」
「仕方無かろう。町の治安維持は役人の領分じゃ。それを飛び越えて儂等が勝手に動いては、それこそ秩序を乱す事になる」
ただ出来るからといって、権限の外に干渉して力を行使すれば、それは横暴である。それを許せば、『そう思ったから』というだけで力の乱用を認める事になり、また力を持つ者が常に正しい判断を下す保証など、何処にも無いのだ。
状況によりけり、と言ってしまうのは簡単だが、その判断を各々がその場その場で決めてしまっては、似た状況で違う判断、違う状況で似た判断が下されてしまい、結果に大きな不公平が生まれてしまう。人々にはそれが不満として蓄積し、いずれは抑えられぬ軋轢となる。
そうならない為にも為政者は善意と良心により規律を定め、冷酷且つ公正に守らねばならない。
「これをどうにか出来るとしたら、秩序の外におる者だけじゃろうな。それこそ首切り童子の様な」
「ただの人斬りをあてにするなんて、冗談キツいですよ」
瑠璃は珍しく、心底辟易とした様子で溜息を吐いた。




