第百七十八話 お体に触りますよ
瞼越しの眩しさに、少しずつ意識が目覚めていく。最初に見えたのは銀髪の後ろ姿だった。
「……な…あ?」
声に振り向いたナタリアが慌てた様に駆け寄ってくる。
あぁ、やっぱりナタリアだ。
「お嬢様、目が覚めましたか?」
「う…ん」
まだ上手く喋れない。
「クラ、范焱に知らせてきなさい」
「わう」
クラリッサも居たらしい。首を動かして見ようとするけど、扉の外に金色の尻尾が消えるところがかろうじて見えただけだった。
起き上がろうと身じろぎしたら、全身に鈍い痛みが走った。けど起きられない程じゃない。そう思って起きようとすると、ナタリアに額を抑えられた。
「まだ起き上がらないでください。本当に重傷だったんですから」
ナタリアが心配そうにするので、起き上がるのは一旦諦めて周囲を見回す。
壁や天井、家具まで初めて見る意匠の部屋だ。
「ここどこ?」
「范焱の屋敷の一室です。お嬢様はあれから四日も眠り続けていたんですよ。治療はしていただきましたが、まだ絶対安静です。特に左腕は動かさないでください」
「? ……っ! いったぁぁい!」
不思議に思って身じろぎしたら、左腕に激痛が走った。藻掻いた拍子に被せられていた布団から左腕が出て、固い布で覆われているのが見えた。
そうだ、あの戦いで避けられない攻撃を耐える為に犠牲にしたんだった。
「はぁ、絶対に動かさないでくださいね。診断では時間をかければ元通りに治るそうですが、無理をすれば遅くなりますよ」
呆れた様に溜息を零したナタリアはベッドの隣にしゃがんで、子供をあやす様に布団の上をポンポンと叩く。
「ナタリア…」
「何です?」
「胸、触ってる」
「す、すみません!」
慌てて手を引いたナタリアが頭を下げる。
しまった。言わない方がもっと触ってもらえたのに。それにしても顔を真っ赤にしてるナタリアが可愛い。
「ナタリアだったら触ってもいいわよ?」
「触りませんよ!」
「直がいい?」
「違います!」
ナタリアは声を荒げて拒否するけど、私としては触ってもいいと言うよりむしろナタリアになら胸もそれ以上の場所も触って欲しいし触りたい。身体もそうだけど、いつも着ている服だって触りたいと思ってるし、ナタリアだって洗濯物なんかでいつも私の服や下着に触ってるのに。
……好きな人に毎日下着を触られてるって、改めて考えると少し興奮してきた。
「じゃあ私がナタリアに触る?」
「触る事を前提にしないでください!」
「何を乳繰り合っとるんじゃ、お前さんらは」
いつの間にか、私と闘った竜人―范焱って呼ばれてたっけ―と別の男性の竜人が部屋に入ってきていた。
「ち、乳繰り合ってなど―」
「怪我人ですぞ。もう少し自重しなされ」
否定しようとしたナタリアを男性竜人が遮る。
私自身も忘れてたけど、そう言えばかなり大怪我だった。
「オリビア殿、問診をしますのでお答えくだされ」
男性の竜人は医者らしく、体調に関して幾つかの質問をされた
「ふむ、傷の痛みは当然として、それ以外は大きな問題は無さそうですな。安静にさえしておれば、かなりの時間は掛かるでしょうがいずれは治るでしょう」
質問を終えた竜人男性の診断結果は思っていたよりも良かった。酷い怪我だけど、ちゃんと治るようで一安心だ。
「そうそう、ナタリア殿から聞きましたが、オリビア殿は常に自分に魔法を掛けて身体を鍛えておったそうですが、それは傷が治るまで禁止です。回復魔法も投与してある薬との相性があるので止めておいてくだされ」
と思ったら、これはかなり問題だ。
魔法負荷の鍛錬は私にとって大事なものだ。治るまでどれくらい掛かるかは判らないけど、それまでしないで居たら絶対に身体がなまっちゃう。
それならいっそ―
「お嬢様、こっそりやったりしないでくださいよ」
「うぅ、はい」
ジト目で睨むナタリアに釘を刺され、不本意だけど頷く。
「こちらからは以上ですので、これで失礼します。くれぐれもお大事に」
竜人男性はそう言って部屋を後にした。
取り敢えず、治る事が判っただけでもよかった。
「ところでオリビアよ、腹は減っておらぬか?」
范焱に訊かれ、空腹を自覚した。四日も寝ていたのだから当然だ。
「あ、はい、かなり空いてます」
「儂に敬語など使わずともよい。どれ、何か作ってこよう」
「なら私も手伝います。クラ、アカネ、エリカ、お嬢様を頼みますよ」
部屋を出ていく范焱に、ナタリアも付いて行く。
ナタリアには部屋に居て欲しいと思ったけど、困らせたくないので黙って見送った。
ところでエリカは何処に居るのかしら?
と思ったら、窓の外で大きな影が揺れていた。
あ、入れないものね。
厨房に来た俺達は、調理の準備に取りかかった。
「儂一人で大丈夫じゃと思うが」
「貴女に任せたら病人食が酒のつまみになるじゃないですか」
ここ数日屋敷に泊めてもらい、何度か范焱に食事を振る舞ってもらった。彼女の作る料理は大変美味なのだが、全体的に辛口で酒のつまみにする事が前提のものが多い。クラリッサは辛すぎて食べるのに苦労していたし、四日も眠っていて目覚めたばかりのオリビアに食べさせるわけにはいかない。
ちなみに竜人族はあまり食事を必要とせず、週に一回程度で足りるらしい。知識は深く技術力も高いので真面目に作れば逸品が出来上がるのだが、殆ど趣味か酒をより楽しむための肴くらいにしか認識されていない。実にもったいない話だ。
「では何を作るつもりじゃ?」
「そうですね、この辺りの薬草を使った薬膳スープにしましょう」
「ならば儂は湯を沸かしておくかのう」
「お願いします」
考えた料理を范焱に伝え、調理に取り掛かる。
出汁が出るもの、火の通りにくいものから切り分け、順次鍋に入れていく。薬草だけだと物足りないので、細かく刻んだ鳥肉も入れておこう。
そして今回の目玉食材、万能薬草と言われる叫竜人参の登場だ。前世世界の高麗人参の様な物で、根が叫び声を上げる竜に見えるからこの名前が付いたんだとか。
その叫竜人参も細かく刻んで鍋に投入し、後は煮込むだけだ。
「大したものじゃのう。すっかり竜山の食材を使いこなしておるわ」
「それが私の役目ですから」
実際のところ、俺が竜山の料理にすぐ対応出来たのはそれが前世の中華料理に近いからだ。今までは材料の都合で作れなかったが、此処でなら完全に同一ではなくとも近い物が作れる。
そうこうしている内に鍋が煮立ち、食欲をそそる香りが漂い始めた。
小皿に注いだスープを口に運び、味を確かめる。我ながら良い出来だと思うが、せっかくなので范焱の意見も聞こうと、同様に小皿に注いで差し出す。
「味見をお願いします」
「どれどれ……薄味過ぎんか?」
「起きたばかりですので、胃を刺激し過ぎない様にこのくらいの方が良いと思うのですが」
「待っておれ、今とっておきの調味料を」
「酒は無しですよ」
「何故判った?」
「判りますよ、そりゃ」
この数日、范焱が飲まなかった日が無い。と言うより、素面だった時間の方が少ない。特に初日は酷いもので、オリビアとの激闘の興奮が冷め止まないと言って一晩中飲んでいた。それだけならいいのだが、負傷した内臓に酒が染みる痛みが闘いの余韻の様で心地良いと言っていたのは正直引いた。
「ひょっとして、オリビアは酒が好かんのか?」
「目を覚ましたばかりだから止めろって言ってるんですよ。それとお嬢様は今年成人なさったばかりです。私の知る限り、飲酒の経験はありません」
四六時中一緒に居る訳ではないが、少なくともオリビアから酒の臭いがした事は無い。それにあれで社会のルールなどには真面目なのだ。未成年の内に飲酒などしてはいないだろう。
「むぅ、若いとは思っておったが、それ程か」
オリビアは母親似の長身で、実年齢より高く見られがちだからな。学校を卒業して制服を着なくなれば、勘違いされる事も多くなる。
「ですのでお嬢様が自分の意思で飲むと言うのでしたら止めはしませんが、怪我が治るまでは我慢してください」
「むぅ、残念じゃが仕方無い」
范焱は心底残念そうに肩を落とすが、化け物じみた再生力を持つ竜人を基準に考えられても困る。飲酒は怪我の治りを妨げるし、それが原因で悪化したら目も当てられない。オリビアの安全と健康が最優先だ。
俺は出来上がったスープを椀に注ぎ、オリビアの元へと向かうのだった。
正月休み中だらけすぎました
2022.01.17
最後の描写に不適切な部分があったので修正しました。




