第百七十七話 エンジェル・トランペット
明けましておめでとうございます。
遅筆稚拙ではありますが、今年も「メイド人形はじめました」をよろしくお願いします。
ベルロモット共和国で獣人弾圧が始まり、行き場を失った彼等は難民と化し隣国への脱出を図っていた。難民の一部が向かったのがベルロモット共和国の隣にあるリンキュミオン王国であり、国境を守るヴェレス砦は混迷を極めていた。
当初、ヴェレス砦は難民の受け入れを拒否していたが、砦の前に居座り困窮する難民とその光景に絆されて受け入れてしまった。しかし難民の数は多く、受け入れてからも仮設住居や食料の手配などの問題は山積みだった。
ヴェレス砦を管理するセルジュ・ストリボル子爵には別の世界で生きた前世の記憶がある。その為に幼少期は神童と言われ、数々の功績を上げて若くして家督を引き継いだ。しかし流石の彼でも難民の受け入れは容易い問題ではない。
セルジュはこの日も夜遅くまで、砦の執務室で政務にあたっていたが、扉を叩く音に顔を上げた。
了解を待たずに扉を開いて入室してきた男に、セルジュは見覚えが無かった。
「誰だ、お前は?」
「初めまして。端的に言って、アンタを殺しに来た」
白い帽子とコートを纏ったイツキは事も無さげに告げる。
「……うちの戦力もそれなりの筈。包囲でもされれば気付く筈だが」
「包囲なんてしてないぞ。此処には俺一人だ」
「はははっ、一人だと!? 馬鹿か? お前一人で何が出来る?」
仮にも国境を守る砦である。難民の受け入れで混乱しているとは言え、夜間でも見張りは厳重だ。兵の数も多く、執務室も隣の隠し部屋に護衛が控えている。
丸腰の優男に落とされる程脆弱ではない。
「侵入者だ、捕らえろ!」
セルジュの号令に執務室両脇の扉が開き、隠し部屋から雪崩れ込んだ護衛が無謀な侵入者を制圧する、筈だった。その護衛が一向に出てこない。執務室の会話は聞こえている筈なのにである。
「……っ」
気付いたセルジュは弾かれた様に走り、扉へと向かった。襲撃者に背を向ける愚行だが、どの道動かねば身を護る術は無い。そしてイツキはセルジュを止めようともしなかった。
「な…にっ…」
開け放った扉から見える光景に、セルジュは言葉を失った。
夥しい血と千切れた四肢、確認するまでも無く、全員が死んでいる。
「お前一人で何が出来る?」
背後に立つイツキが先程のセルジュの言葉を繰り返す。そもそも砦に一人で乗り込んでくるなど、馬鹿か実力者かの二択でしかなく、セルジュはイツキが後者である可能性に思い至らなかったのだ。
「大人しくしてくれると楽なんだが」
そう言ってイツキは懐から取り出した銃をセルジュヘ向ける。
「うっ、わあああああ!」
セルジュは恥も外聞も殴り捨て、悲鳴を上げて逃げ出した。途中で机の上にある書類を投げ付ける。ただの苦しまぎれだが、宙を舞った書類が視界を遮り、発射された圧縮魔力の弾丸は狙いを外し壁にめり込んだ。
廊下に飛び出したセルジュは死に物狂いで走った。視界の端に隠し部屋と同じそれが映るが、込み上げる吐き気を必死に堪える。もし足を止めれば、すぐさま彼等の仲間入りする事になるのが想像出来てしまうから。
まだ初々しさの抜けない新兵、頼りになる部隊長、気さくなベテラン兵、雑務をこなしていた女中。今日顔を見た者達が、一人の例外も無く無惨な死体になっていた。銃殺された者などまだマシで、中にはどうやったかは判らないが、まるで空間ごと抉り取ったかの様に身体の一部が消滅している死体もあった。
此処に至って、セルジュの頭には砦の指揮官としての責務や部下への情などは抜け落ちていた。ただ死への恐怖だけが、彼を突き動かしていた。
元より砦とは敵の侵入を防ぐ構造をしており、出口に向かうだけでも何度も廊下を曲がる必要がある。それがイツキの銃の射線を遮り、セルジュの身を守っていた。
そして永遠とも思える長い時間―実際には決して長くはない―を掛けて出口に辿り着く。
此処を抜ければ助かると、セルジュは思い込んでいた。
扉を開ければ、甲冑の軍団が戦旗を靡かせながら、砦の兵と難民を虐殺していた。その惨状に、セルジュは一歩も動けず呆けて立ち尽くす。
こちらに気付いた鎧姿の女性が血塗れの剣と兵の頸を携えて振り返る。
「なんだ、手間取っているのか?」
「悪い。ちょっと遊び過ぎた」
女性に対する返事がすぐ背後から聞こえた。
「ひっ、ぃぃ!」
弾かれる様に飛び退き尻餅を突いたセルジュを、イツキは冷ややかに見降ろして告げた。
「一人って言ったって? 砦に入ったのは俺一人だ。でもさ、自分を殺しに来た奴の言う事を鵜呑みにするのってどうかと思うよ」
確かに砦に侵入したのも、内部の人間を皆殺しにしたのもイツキ一人だ。しかしその外ではレオンティーナ率いる第三騎士団が外の衛兵や難民を虐殺していた。
イツキは嘘は言っていないが、相手が求める真実を言った訳でもない。
そして彼の言う通り、鵜呑みにしていい話でもなかったのだ。
セルジュは恐怖に震えながらも、喉から声を絞って訴える。
「お、お前達、グランルーチェの奴らだな! こんな事をして、が、外交問題だぞ!」
甲冑の軍団が掲げる軍旗は明らかに聖グランルーチェ帝国の物だった。
間に幾つかの国を挟んだグランルーチェの軍が何故此処に居るのかは解らなかったが、リンキュミオン王国は周辺国だけでなくサペリオン王国からも独立を認められている。
いくら小国でも国には違いないのだ。
「『ベルロモット共和国の不穏分子が難民に偽装して国外逃亡を図っている。共和国軍だけでは対処しきれない為、同盟国である聖グランルーチェ帝国が軍を派遣した。リンキュミオン王国に協力を要請したところ国境付近の諸侯からストリボル子爵が怪しいと情報が寄せられる』」
「は?」
「『調査によりヴェレス砦が不穏分子を匿っている事が判明。引き渡しを要請したが拒否・使者を殺害されたので仕方無く武力により制圧した』という筋書きだ」
「何を…言って…」
レオンティーナの言っている言葉の意味が、セルジュは理解出来なかった。
「アンタ、周りの貴族にかなり嫌われてるな。まぁ、周辺領から利益奪いまくったんだから当然か」
セルジュにしてみれば自分の知識と改革で自領土を豊かにしただけだが、近隣の貴族の目には慣例を無視して既得権益を犯し私腹を肥やしたようにしか映らなかった。またセルジュは近隣の貴族よりも王族や中央貴族との繋がりを持とうとし、近隣の貴族との仲は重視していなかった。彼は経営者ではあっても、貴族ではなかった。
結果、彼は売られたのだった。
「み、見逃してくれ! 同じ転生した者同士じゃないか!」
セルジュはイツキがこの世界に無い銃を持っている事から、自分と同じ存在と確信し、セルジュは一縷の望みに縋って情に訴える。
イツキも今の発言や先程銃を向けた意味を理解していた事から、彼が自分と同じく違う世界から転生した―厳密に言えばイツキは転移なのだが―存在だと確信した。
だが―
「おいおい、俺達の世界では人間同士の戦争なんて当たり前だったし、紛争だってザラだっただろ」
イツキはあっさりと切って捨てた。
イツキの前世の世界では、戦争とは人間同士でするものだ。世界中を見渡せば常にどこかの地域で紛争があった。そんな世界で居たくせに、転生者同士などというのが見逃す理由足ると思ったセルジュの思考が、イツキには理解出来なかった。あるいはそんな判断も出来ない程に錯乱しているのか。
「ま、気の毒とは思うけど、敵も味方も死ぬも生きるも運次第だ。うちにも似た様なの居るし。運が悪かったと思って諦めろ」
イツキがセルジュに掌を向ける。今度こそ後が無いセルジュは這ってでも逃げようとし、そのせいで狙いの逸れた魔法が彼の両足を齧り取る様に消滅させた。
「がっ、ああああぁぁぁぁぁぁ!」
「あーあ、せめて一思いに殺してやろうと思ったのに下手に動くからだぞ」
「イツキ、それならまだ抵抗している奴らが居るからその前で見せしめにでもしてやってくれ」
「りょーかい」
イツキは再度手をかざし、セルジュの両腕を消し去った。
セルジュが激痛に悶えるが、四肢の無い身体ではのた打ち回る事すら出来ない。やがて痛みに耐えかねた彼は意識を失った。
「それじゃあ持って行くか」
イツキは抵抗勢力の心を折るべく、気絶したセルジュの髪を掴んで引き摺って行く。
周囲にはこの砦の衛兵や難民の死体が転がっている。今引き摺っているセルジュも、もうじき仲間入りする事になる。
歩きながら、イツキは先程自分の言った事を思い返す。
『敵も味方も死ぬも生きるも運次第』
セルジュは運が無かった。彼は貴族として、砦の指揮官としては不適格だったが、立ち位置が違えばこんな結果にならなかったかもしれない。
そしてそれは自分も同じだ。
レオンティーナは今でこそ恋人同士だが、もし転移した場所や拾ってくれた人が違っていれば彼女とも殺し合っていたかもしれない。
そんな事を思わなくはない。
彼女の性格上、無いと言い切れないからなぁ。
なんて想像したところで現状が全てだ。
彼女の本質を知っても、離れようとも思わない。我ながら歪んでるな。
レオンティーナは両手を組んで神に祈る。揺らめく松明の火に照らされた容貌は見眼麗しく、まるで物語に登場する女騎士が現実に抜け出してきたかのようだ。
「偉大なる光の神ブランセス、また世界が清浄に近付きました」
邪神ノワレルの生み出した邪悪な種族を滅ぼす為に、自らも戦場に立って戦う彼女は聖グランルーチェ帝国騎士団の中でも高く評価されている。
敬虔なブラン教信者であり、教敵を打倒する勇敢にして麗しき女傑。それが彼女の表の顔である。
「くっ、くっくっくっ」
周囲に誰も居ないのを理解して、レオンティーナは仮面の下を覗かせる。
口角を上げて喜色を滲ませ、普段の彼女からは想像もつかない邪な笑みを零した。
「あぁ、愉しい。愉しいなぁ」
正義は殺戮を正当化する。異教徒、邪教徒ならば大手を振って殺せる。
求めるのは殺戮の愉悦。
剣術も魔法もその為の手段。国への忠誠も第三騎士団団長の地位もブラン教への信仰も、本質を隠し殺戮を長く愉しむ為の道具でしかない。
「神よ、この様な素晴らしい狩場を与えてくださり感謝します」
皮肉でしかない感謝を口にした狂気の女騎士は仮面を被り直し、血の渇望を更に潤す為に前線へと戻って行くのだった。
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