第百六十三話 メイドのおなかをふくらませるのは私
そろそろ昼食の時間かと思っていたら馬車が止まった。
「ねぇ、ナタリア……」
「はい、昼食にいたしましょうか?」
「ううん、そうじゃなくてね……」
外から聞こえるオリビアの声は、何やら沈んでいる様に聞こえる。
まさかお腹が空いて元気が無い、などという事は無いと思うが、何かあったのだろうか?
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
窓を開けると、そこには鬱蒼とした暗い森が広がっており、聞いた事の無い不気味な鳴き声が響いていた。
「ここ、何処?」
俺が訊きたい。
前方に続いていた筈の道はいつの間にか途絶え、道を行き交う他の馬車や旅人の姿も見当たらなかった。
馬車から降りて御者台のオリビアの元へと向かい、渡していた地図を見せてもらう。
「えーと、ああ、たぶんこの辺りで道を間違えたんですね」
ちなみにインフラを重視するサペリオン王国らしく地図の作成にも力を入れていて、秘中の秘などという事も無く一般普及している。
「うう、ごめん……」
「お気になさらず。もういい時間ですので昼食にして、そのあと引き返しましょう」
そして馬車を道の脇に寄せ、昼食の準備へと取り掛かった。
それは別に良いんだ。
『昼食は私が作ろうかしら?』
祈りも空しくオリビアは本気だった。
「あの、お嬢様」
「ナタリアは座っててね!」
「ですが……」
「私だってあれから成長してるんだから! リューカから魔力を細かく制御する方法だって教わったし、今度こそ大丈夫よ!」
と、こんな調子で押し切られてしまった
火をおこして土魔法で調理台を作り、収納空間から食材と調理器具を出し、馬車内にあった折り畳みのテーブルと椅子を用意して俺の作業は終了。後はオリビアの料理を見守る事になった。
「私達でやるからね!」
「解りましたから、刃物と火の扱いには注意してくださいね」
「大丈夫大丈夫! 任せて!」
妙に自信満々なオリビアがかえって不安なのは何故だろうな。
それにクラリッサとアカネは何をするつもりなんだろうか。
「じゃあまずは食材を切るわよ!」
オリビアは俎板の上に乗せた鶏肉―勿論普通の鶏ではない―に包丁を向ける。
うん、ちゃんと左手で肉を押さえて包丁を……高く振り上げた!?
包丁の切っ先が日に照らされキラリと煌めく。
「お嬢様、危なっ――」
「ふんっ!」
ガチッ
……包丁の刃がオリビアの拳に当たって止まった。
「失敗しちゃった。でも大丈夫だったでしょ? 身体強化を軽く使ってればこのくらい何ともないわ」
すげーな、うちのおじょうさま。
俺は身体強化の魔法は使えないからオリビアの言う『軽く』がどの程度か判らないが、それでも普通の包丁じゃ傷付かないのか。人間やめてない?
それはともかくとして。
「そんなに高く振り上げたりしなくても充分に切れますから、普通に切ってください」
「はーい」
傷付かなくても毎回あんなに大振りされたら心臓に悪い。心臓ないけどさ、精神衛生上よろしくない。
それからはぎこちないながらも普通に切り始めてくれたので取り敢えず一安心。
「!」
アカネは金属製の糸を操って食材を切っている。器用だな。今度から手伝ってもらっても良いかもしれない。
「わうわう」
牙や爪で肉を解体しているクラリッサは……何も言うまい。
もうお前はそのまま食っちゃえよ。
「切った材料は串に刺して、残りは鍋に入れて調味料で味を調えて」
どうやら串焼きとスープにするようで、鍋を火にかけてその周囲に串を立てていく。
危なっかしい切り方で大きさも少々不揃いだが、このくらいなら許容範囲だし火加減にさえ注意すれば食べれない代物にはならないだろう。
「スープも焦がさないように混ぜなきゃいけないのよ」
ド素人のオリビアが何故か胸を張って熱弁し、二匹は二匹で熱心に頷いているが、楽しそうなので何よりだ。
「混ぜながら愛情を込めるのが美味しく作る秘訣なのよ。美味しくな~れ、美味しくな~れ、美味しくな~れ」
オリビアは鍋を睨み付けながら呟くが、呪詛の様に聞こえるから怖い。
「串の向きも変えて、美味しくな~れ、美味しくな~れ。ちょっと味見してみようかな」
味見は大事。自分で美味しいと思えないものを他人に出すわけにはいかないからな。
最初は心配だったけど、しっかり味見するなら少なくとも食べられるものにはなるだろう。
よかったよか―
「悪くはないけど普通過ぎる。もっと驚くくらい美味しくて個性的な味にしたいのよねぇ」
ん、んんん?
今すっごい危険な事を言わなかったか?
初心者にありがちなやっちゃいけないやつ。
「あ、そうだ! 王都で買ったイチゴジャムを入れたら美味しいかも!」
!?
「イチゴジャムと!」
ドポドポドポ
半透明だった鍋の中身が一瞬で赤く濁り、甘ったるい臭いが立ち昇ってくる。その光景についさっきまで熱心に聞いていたクラリッサとアカネも後退っている。
「気合と! 愛を! 込めて! お・い・し・く・な・あ・れ!」
オリビアがかき回すごとに何故か色が変わり、赤かったスープが黄色くなり、しかも仄かに酸味を感じる臭いが漂ってきた。
ここまでくるとクラリッサとアカネも後退るなんてレベルではなく、完全にドン引きで俺に縋り着いている。
ボンッ
鍋から爆発音と共に小さなキノコ雲が上った。
「よし、出来た!」
出来たとおっしゃったか!?
「はい、特性イチゴスープと鶏肉の串焼き!」
配膳された料理はとても名前の通りとは思えない見た目をしている。
「沢山あるから遠慮せず食べてね!」
オリビアはそう言うが、調理過程を見ていると食欲が湧かない。
クラリッサとアカネは困惑の視線を俺に向け、むしろ先に食べてくれとばかりに訴えかけてくる
こっち見んな。
仕方無い、ここは覚悟を決め……まだマシそうな串焼きからいただくとしよう。
日和ったとか言うな。
「あ、ソース作ってたの忘れてた」
手を伸ばそうとした先の串焼きに、いつ作ったのか判らない青い粘液が掛けられる。
慈悲は無かった。
……オフィーリア、もしもの時はまた叩き落としてくれ。そうならない事を祈るが。
半ば自棄になりながら、青く光る鶏肉を齧る。
「!?」
味がバジルソースだ、これ!
え、じゃあこっちのスープは?
「!?!?」
オレンジ味!?
イチゴジャムで!?
「どう? 美味しい?」
「……はい、美味しいです……」
お世辞ではなく本当に美味しい。見た目と調理過程が意味不明だが、味は確かに美味しかった。
串焼きの焼き加減は問題無いし、バジルソース(?)の苦みも丁度良い。
イチゴスープ(?)は柑橘系の酸味が肉の味と引き立て合い、絶妙な仕上がりになっている。
なんだこれ。確かに食べられる出来、いや、味は美味しいと言えるが、あの食材と調理法で何故こんなものが出来上がるのかが判らない。錬金反応が起きてしまったのだろうか?
「魔力漏れを完全に抑えるのはまだ出来ないから、その方向の調整だけは出来るように頑張ったの!」
やっぱり錬金反応起きてたか。でも今まで無意識に起きていた物を意図的にある程度抑え、調整出来るようになったのは大きな進歩だ。リューカから『千年残る大蛇の毒と同等』と言われたあの殺人シチューとは比べ物にならない。
なのだが、普段料理を担当している身としては認めたくないものがあるな。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、オリビアも席に着いて美味しそうに食べ始めた。
「うん、上手くいってよかったわ。まだ三回に一回くらいしか成功しないから」
今凄く聞き捨てならない事言わなかった?
もう料理もさせてもらえなくなるような無茶はしないようにしよう。
エリカ(ドヤッ)←既に自分の実でナタリアの腹を膨らませてるが?という顔




