第百三十三話 お嬢様達のあれこれ
ナタリアとルリがアリアの地下空洞に行ってから、私はリューカからレイバナ国で行われている瞑想を教わっていた。
庭の一角に敷いたマットの上に座り目を閉じて、極力動かないようにして雑念を払う。
どうしてこんな事をしているのかと言うと、上期に行われた野営学習で、私の魔力制御の下手さが料理にまで影響している事が判明したからだ。今までは魔力制御が下手でも、制限の無い実戦なら魔闘術で補えていたからあまり気にしていなかったけど、それで料理が出来ないとナタリアが傍に居ない時に困る。
前にシチューを作った時も本当なら食べられないようなものだったのに、ナタリアは―毒が効かないのもあるだろうけど―全部食べてくれた。気遣ってくれたのは嬉しいけど、それ以上に自分が情けなくて悔しかった。
だから少しでも魔力制御を上達させようとリューカに相談したら、この瞑想を薦められた。ただ動かないだけなら簡単かと思ったら、これがかなり難しい。正座って言う座り方は足が痺れるし、自分が動かないで居ると周囲の音や気配が気になって集中出来ない。
対面で手本を見せてくれるリューカはさっきから全く動いてない。私より正座に慣れてるのもあるんだろうけど、凄い集中力だわ。
「わう? すんすん」
さっきまで庭を走り回っていたクラリッサがこちらに興味を持ったのか、近付いて臭いを嗅ぎ始めた。
「ボス、何してる?」
説明しようかなと思ったけど、此処で喋ったらもう集中出来なくなるような気がする。
「ボス?」
クラリッサには悪いけど、無視して瞑想を続けさせてもらう。
「うー」
不満そうな声を漏らすクラリッサ。でもゴメン。暫くの間我慢してて。
ペロッ
クラリッサの舌が頬を撫で、思わず体を震わせる。
いけない。集中しないと。
「わううー」
ペロペロペロペロ
なのにクラリッサは止めるどころか更に舐め回し始め、私の顔は涎まみれになってしまった。
「ボスー」
それだけならまだ良かったけど、舌は耳や首筋を通り、胸元にまで及んだ。
「あ、く、クラ、ダメ、くすぐったい!」
「わう! ボス、遊ぼー!」
堪え切れずに声を上げると、クラリッサはそのまま跳びかかってきて、押し倒された私はそのまま顔を舐められるしかなかった。
「ふふ、仕方ありませんね。クラリッサさんをお相手して差し上げましょうか」
「ゴメンね、せっかく教えてくれてたのに」
「お気になさらないで下さい。それに適度な息抜きも必要ですから」
気取った様子も無いリューカの所作はとても優雅で、サペリオンの貴族とは同じ貴人でも方向性が違う気がする。例えるとサペリオン貴族の美しさが金銀財宝で、リューカのそれは花や風と言った自然の物に近い気がする。
「ボス、何して遊ぶ?」
「もう、しょうがないなぁ」
立ち上がりながらどうするか思案していると、近くに木の枝が落ちているのに気が付いた。前にナタリアが投げた枝をクラリッサに取りに行かせてたわね。
「よし、それじゃあこの枝を取っておいで!」
それに倣って木の枝を投げると、大きな弧を描いて飛んでいく。
「わうー!」
クラリッサは枝を追い駆け、地面に落ちたそれを咥えて私のところまで持って来る。
そしてまた私が投げ、クラリッサが取りに行くのを何度か繰り返す。
庭はかなり広いけど、軽い枝じゃあそんなに遠くには飛ばない。ちょっと単調になってきたかなと思って、投げ方を変えてみた。今までより高く上がった枝は空中で風に煽られ、落下方向が大きく振れた。
「わううー!」
「あ」
ガシャーン
止めようと思った時にはもう遅く、上を見ながら走っていたクラリッサは干してあった洗濯物に突っ込んで倒してしまった。
「クラ、大丈夫?」
「わう~」
私とリューカが駆け寄ると、クラリッサは洗濯物の中から顔を出した。取敢えず怪我は無さそう―コメットウルフがこの程度で怪我なんてしないと思うけど―で良かった。
だけれど、それ以上の問題が起きた事に気付いてしまった。
倒れて地面に落ちた洗濯物。
「あ、あわわわ、どどど、どうしよう、ナタリアに怒られる…」
「わうっ!?」
私の言葉にクラリッサも状況を理解して、ガタガタと震え始めた。
「急いで洗えば、でもこの量は…絶対怒られる…」
「メイド、怒る、怖い…」
「落ち着いてください、二人とも。幸い殆ど乾いてますので、直接ぶつかってしまったもの以外は無事なようです。私もお手伝いしますから、急いで洗ってしまいましょう。もし怒られたら私も一緒に謝りますから」
「リューカ…!」
「わううぅ…!」
屈み込んで洗濯物の状態を見たリューカが冷静な口調で救いの手を差し伸べてくれる。その姿は私達にとってまさに救いの女神だった。
「よし、じゃあ急いで取り掛かりましょう!」
汚れの程度によって選り分けるべく、手近な洗濯物を手に取る。それは薄く柔らかいレースで編まれた、肌に直接触れるものだった。
私のじゃないし、リューカやルリさんが着けているレイバナ国のものでもない。つまりこれはナタリアのもの。
ナタリアの肌に直接触れるもの。
ナタリアはこれを…
「あの、オリビアさん、流石にそれは本当に怒られると思うんですけど…」
「や、やだなぁ! 何もしないわよ! うん! 本当に!」
それから私達は汚れた洗濯物を急いで選り分け、大きなものは洗濯機で洗い、小さな汚れはリューカが手作業で汚れを落としてくれた。
そして干し直した洗濯物はリューカが魔法で温風を吹かせて乾かしてくれた。
うん、殆どリューカにやってもらって、私達役立たずよね、これ。
ナタリアとルリさんが出掛ける前に用意してくれていた夕食を食べ終えて、私とリューカはそのままダイニングで雑談していた。
魔法学校を卒業すれば、リューカはレイバナ国へ帰ってしまう。国交が回復したとは言え、なかなか会う機会も無くなるので、今のうちにたっぷり話したいと思うのだけれど、いくら時間があっても足りない。
「オリビアさんには、本当に感謝しています」
一つの話題が終わった所で、リューカは唐突に切り出した。
何の事か解らず目を瞬かせる私に、リューカは話を続けた。
「私のサペリオン王国への留学は両国間の国交回復の証の一つでした。諸々の事情で同行出来る従者は一人だけ。見知らぬ地で外交手段の一つとして扱われるのは、実の所とても不安だったんです。ですがオリビアさんのお陰で、毎日が楽しく過ごせました。ありがとうございます」
そう言ってリューカは深々と頭を下げた。
「や、やめてよ、リューカ。別にそこまで感謝される様な事をしたわけじゃないし、私だってリューカに勉強教えてもらったりしてるし、私だけが一方的に何かしたわけじゃないわ」
前はクリスから教わっていたけど、リューカからも教わるようになっていた。私が辛うじてAクラスを維持出来ているのは二人のお陰だ。
私は色んな人に支えられている。リューカもその一人だ。
「サペリオンに来て良かったです。私だけでなく、きっとルリもそう思っています」
「う、あ、そう言えばさ、ルリさんてリューカに仕えて長いの?」
リューカの率直な言葉の照れ臭さに耐えかねた私は、誤魔化す様に話題を変える。
「そうですね。ウラド家に仕えてもう六年、私専属は四年になります」
「へぇ。ルリさんて明るくて面白い人だし、ああいう人が専属なら楽しそうね」
「明るい…そうですね。ルリも明るくなったと思います。よく仕えてくれていますし。ですが私の見ていないところで少々悪戯が過ぎるのは困ったものです。オリビアさんも変な影響を受けないようにしてくださいね」
「あ、あはははは」
私とルリさんとでたまに女同士での恋愛やそれにまつわる諸々の話をしてるの、気付いてたか。
「ただいま帰りました」
不意に玄関の方からナタリアの声が響く。
「ほら、ルリ、しっかりして」
「うう、気持ち悪い…」
「だから飲み過ぎるなと言ったのに」
どうやらルリさんは飲み過ぎて気分が悪いらしい。
「ふふ、行きましょうか」
「そうね」
私とリューカは苦笑しながら席を立ち、二人を迎えに行った。




