第百六話 バケーションアソート―前編―
透明なグラスに深い色のワインがなみなみと注がれ、香りや色合いを楽しむ間も無く飲み干されていく。
それなりの値段がするものだったのだが、酒飲み蜘蛛にしてみれば値段などどうでも良いのだろう。
「あらぁ、ナタリアちゃん、手が止まってるわよぉ。ほらぁ、もっと飲んで」
「ありがとうございます」
アリアが鋼糸でビンを吊るし、俺のグラスにワインを注ぎ足す。
別に酒が嫌いになったわけでもこのワインが不味いわけでもない。今でも酒は好きだしこのワインも美味しい。でも人形だから酔わないんだよ。前に此処で飲んだ時は少しだったから気付かなかったけど。
酔えないとなると酒を飲む楽しみも半減なわけで、今ひとつ積極的にグラスを空ける気にならなかった。
なのでせめて味を楽しもうとゆっくり飲んでいると、足元に銅蜘蛛が寄ってきた。
銅蜘蛛は前足を大きく振って、まるで俺に挨拶しているようだ。
「その子ね、ナタリアちゃんに会いたがってたのよ」
「私に?」
「ほら、ナタリアちゃんからは来るたびに食べ物を貰ってるし、一緒に魔晶石を採りに行ったりもしたでしょ?」
この銅蜘蛛ってあの時の子か。
光沢のある頭を撫でてやると、銅蜘蛛は嬉しそうに擦り寄ってきた。
「それでぇ、あっちでも大変だったのねぇ」
アリアが目を向けるのは、俺が代替で着けている右腕だ。アリアにはこの一年であった事を話しており、自然と話題は俺が右腕を喪失した事件が中心になる。
「ふーん、ナタリアちゃんはぁ、妹ちゃんや右腕の分で無くなった鋼糸を分けて欲しいのよねぇ?」
「まぁ、そうなんですけど…」
確かにそうなのだが、ミールが貰うのに苦労しているのを俺が身内贔屓で貰うのも気が引ける。
かと言って残りの鋼糸だけだと右腕を再生した後の予備が無くなってしまう。アリアの鋼糸は色々と使えるので、出来るだけ備蓄しておきたいと言うのが本音だ。
「まぁ、他ならぬナタリアちゃんの頼みだしぃ、分けてあげるのは別に良いんだけどねぇ、でもタダって訳には行かないわよねぇ」
アリアが悩ましげに腕を組み、俺の知る限り最大サイズの乳房が持ち上げられた。このサイズって最早質量兵器じゃね?
「ナタリアちゃんの持ってるものと交換なら良いけど」
「はぁ、私の出せるものでしたら別に―はっ」
アリアが欲しがる俺のもの。
最初に会った時に何をされた?
アリアは俺の魔力を報酬にしていた。
その魔力はどうやって摂取していた。
「ちょっと用事を思い出しましたので!」
俺は弾かれるように身を翻して逃げ出した。
「あらあら、まだ何も言ってないじゃない」
だが巻き付いた鋼糸に引き摺り倒されてしまった。
「は、放せぇ!」
「もう、せっかちさんなんだからぁ。でもそう言われると、期待には応えないといけないわよねぇ」
必死にもがくが、アリアの鋼糸は緩んでくれない。それどころか更にきつく俺を縛り上げる。
「えーと、こうやって使ったのよね?」
「ひ、ぎゃあああ」
鋼糸が関節の隙間から内部に侵入し、流れ込んだ魔力に体の自由を奪われた。
プラムを止めた方法話すんじゃなかった!
「心の準備はいいかしら?」
良くない良くない!
あとなんで銅蜘蛛まで目を輝かせてるの!?
「それじゃあ、いただきまーす」
「んんんんんんんんんん!」
めっちゃ吸われた。
もうお嫁に行けない……
空に月が爛々と輝く時刻、付き人すら排した豪奢な室内で、シャルロット・パイムネモはソファーに身を預けながら、配下から上げられた報告書に目を通していた。彼女の隣には同じくソファーに座った少女が、これまた同じように報告書を見ている。
この少女、名をミレアと言い、年はシャルロットより二歳下で、ネズミ系の獣人の血を引いている事が耳や尻尾に現れている。魔法学校に通いつつパイムネモ家に居候しており、以前オリビアにリューカを紹介した時にも同行していたのだが、おそらくオリビアは覚えていないだろう。
「噂には聞いていましたけど、まさかこれ程とは思いもしませんでしたわね」
「そう…ですね」
報告書の束をばさりとテーブルの上に置くシャルロットが呆れ顔なのに対し、ミレアは恐怖に震えていた。
「身分制度・奴隷制度の廃止、政府・地方議会への元平民の優先採用、学校の建設と未成年への教育の義務化、地方の都市化、開拓の推奨。どれも言葉だけはお綺麗ですこと」
「はい…」
彼女達が見ていた報告書は、最近急速に体制を変えた近隣の小国に関するものだった。
武装蜂起―当人達は革命と言っているようだが―により王政を打倒した民衆は新たに政府と言う国家機関を立ち上げた。その政策はどれも実現すれば国として経済的にも文化的にも更なる発展が望めるだろう。
だがそれに対してシャルロットは―
「理想論過ぎますわね」
ばっさりと斬って捨てた。
身分制度・奴隷制度を廃止すればそれまで地位の低かった者達は喜ぶかもしれないが、貴族王族などは堪ったものではない。制度を廃止したところで、それまでの格差は必ず衝突を生むだろう。
平民の政治への参加は平民が相応の知識を持っていなければ意味が無い。人材を育てる為の教育の義務化だろうと思われるが、育つ前に採用していては無能を大量に入れる事になる。
地方の都市化? インフラ整備もせず、その地方の特産品を売り出すでもなく、ただ要点となる施設を無計画に乱立させているだけだ。
開拓の推奨とあるが、あの国は元から平野が多く、開拓出来る山林など限られている。しかもその一角はSランクの魔物とその眷属の縄張りであり、手を出せば手痛い竹箆返しを食らう事など赤子でも解る。サペリオン王国との同盟も破棄した為に冒険者の出入りも制限されたあの国が対応出来る訳が無い。
ちなみにその魔物は脅威でこそあるものの、むやみに縄張りから出ず、こちらから手を出さなければ基本的に無害である為、サペリオン王国及び同盟国間では討伐禁止個体に指定されている。
革命前のあの国は同盟国だったので、この事を知っている筈である。
彼等の政策は数百年かけてじっくり行わなければいけないものだ。それを本の数年で為そうとするなど、拙速が過ぎる。今のあの国の頂点に立っているのは余程の阿呆なのだろう。
そしてその阿呆のツケが各所に出ている。
政治のいろはも知らぬ元平民の為政者は雑な政策を行い、元平民・元奴隷と元貴族・元王族との軋轢が生じ、労働力の喪失と治安の悪化で経済は破綻し、主要施設を地方に点在させた為に連携に不備が起こり、インフラ整備の不足により人と物の流通は滞っている。
そして案の定、討伐禁止級の魔物に差し向けた軍は壊滅的被害を受けた。
最早この国は沈み行く泥舟も同然だった。
「これは政権を奪い返したとしても、復興は非常に困難でしょうね」
「……」
「いっそ全て棄ててサペリオンに帰化した方が楽なのではなくって?」
シャルロットの問いに、ミレアは俯いたまま、報告書を持つ手を震わせながら応える。
「それでは民を見捨てる事になります」
平民達による新政権が明るいものであるなら、王家の滅亡も受け入れる事が出来た。だが現政権は何もかもが稚拙過ぎる。
愚かな為政者は民を苦しめるだけだ。先王の政治が全て良かったとは言えないかもしれないが、少なくとも今の平民主導の政府よりずっとましだった。
「それに、帰化しても、貴女のものにはしてくださらないのでしょう?」
「そうですわね。わたくしはいずれ公爵家を継ぐから婿を取らねばなりませんし、そうなれば貴女との関係は終わりですわ」
「私を選んではくれないのですね」
「貴女は民や国よりわたくしを選べて?」
「……シャルロット様は意地悪です」
涼しげな声音のシャルロットに、ミレアは漸く顔を上げた。目尻には小さな水滴が浮かび、彼女の葛藤の程を表している。
「お互いの生まれが違えば、こんな思いをしなくて良かったのに…」
「でも、だからこそ出会えた。その生まれで育った貴女だからこそ、わたくしは惹かれたのだと思いますわ」
シャルロットの長い蛇の体がミレアを抱き寄せ、赤い鱗に覆われた指先が涙を拭う。
「たとえ遠く離れても、わたくしが貴女を愛した事実は、たとえ神であろうとも消せはしませんわ。だから、貴女は貴女の選んだ道をお行きなさい」
そう言ってシャルロットはベルロモット王国第一王女ミレア・ラッテ・ベルロモットと唇を重ねた。
蛇の公爵令嬢×ネズミの亡国王女
この後の二人の熱い絡みはキングクリムゾンされました




