第二十四局 挫折 二本場『リンゴ以上メロン以下』
供託川沿いに建つ赤い屋根の廃工場……
バイクを降りたオレはヘルメットを外しながら、その薄汚れた建物を見上げた。
近くには街灯も民家もなく、川のせせらぎに混じり遠くから車のエンジン音だけが聞こえてくる。
「あっ!?」
「おっと……」
突然、隣にいた響華さんがバランスを崩した。
初めて乗るバイクの後部座席でずっと揺られていたので、足元がフラいたのだろう。
前のめりに転びそうになるのを、オレは支えるように抱き止めた。
フワりと香る女の子独特の甘い香りと、腕に伝わる柔らかな身体の感触――
って! 生徒相手に何を考えてんだ、オレッ!? しかも、この非常時にっ!!
「大丈夫か?」
オレは意識しないようにと心掛けながら、平静を装って響華さんに声をかける。
「は、はい……ありがとう、ご、ございます……で、ですが、その……」
顔を真っ赤にした響華さん。なぜか半分涙目になり、上目遣いで顔を上げた。
「あ、あの……助けて貰って、こんな事を言うのは失礼かもしれませんが――」
「な、なに?」
西園寺家時期当主らしからぬ、歯切れの悪い言葉を発する響華さんに首を傾げるオレ。
「て、手で掴んでいるモノを……放して、いただきたいのですけど……」
手で掴んでいるモノ?
オレは意識しないように心掛けていた手のひらへ、今度は逆に意識を集中してみる。
ふむ……手のひらに納まる半球体の物質。
大きさはリンゴ以上でメロン以下――ちょうどグレープフルーツくらいかな?
しかし、硬さは――
「んあっ……」
手のひらに納まる、柔らかい上に弾力のある半球体を握った瞬間に、響華さんから何やら艶めかしい声が上がった。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「うわっ!? ご、ごめんっ!!」
「こ、こちらこそ、お粗末さまですっ!!」
慌てて掴んでいたモノを手放して後ずさるオレと、長く綺麗な黒髪をなびかせながら、両腕で胸元を隠すように後ろを向く響華さん。
「ってぇぇーーっ、二人共っ!! 人が領収書を貰ってるスキに、何してるんですかーっ!?」
走り去るタクシーを背に、もの凄い剣幕でコチラへ駆け寄ってくる真琴ちゃん。
そして、その後ろからは――
「ああ……あの小さかったウチのお嬢様が、あんなにも初々しい乙女の仕草をみせるなんて……感慨もひとしおです」
「ああ……あんなにも古典的で使い古されたラッキースケベが生で見れるなんて……日本に来てホント良かった、でございます」
目頭にハンカチを当てながら歩く二人のメイドさんと、
「フ、フンッ! 胸なんて飾りです。殿方には、それが分からないのですわ」
頬を膨らませながら歩く、極厚パット二枚重ねのお嬢様。
そう、5人乗りのタクシーでは、全員が乗ることは出来ない。そして、二台目のタクシーが中々捕まりそうになかったので、オレと響華さんはバイクで来ていたのだ。
まあ、響華さんと真琴ちゃんで、どちらがバイクの後ろに乗るか最後まで揉めていたけど……
「響華さまっ! ちょっとコチラへ」
真琴ちゃんは、恥ずかしそうに背を丸める響華さんの首へ腕を回し、引っ張るように少し離れた場所へと移動する。
「ちょっと、響華さまっ! 抜け駆けはナシと、あれだけ言ったのにっ!」
「ぬ、抜け駆けなんて、そんな……そ、それにコレは事故ですわ」
「事故で許されるなら、警察も保険屋もいりませんよ!」
「それを言うなら、アナタだってっ! 先日、先生のベッドに潜り込んでいたではないですかっ!?」
「潜り込んでなんかいませ~ん。ムーンサルトプレスで、覆い被さっただけですぅ」
そして、何やらコソコソと密談を始める二人。
そんな二人を横目に、まだ温もりと柔らかな感触が残る手のひらを――
「てぇっ、お兄ちゃんっ! ナニ思い出そうとしてんのっ!?」
「し、ししししてないよっ! そそそ、そんな事、してないからっ!」
思い切りどもりながら、慌てて真琴ちゃんのツッコミを否定するオレ。
ってか、エスパーか、キミはっ?
「とにかくっ! 帰りのお兄ちゃんの後ろは、わたしがキープですからっ!! たとえコモドドラゴンやアリゲーター、そして巨大アナコンダが相手でも絶対に譲りませんっ!! 戦ってでも勝ち取りますっ!!」
ああ……うん。
基本、二足歩行生物じゃないとバイクには乗れないから大丈夫だと思うよ。
そもそも、なんでオレが爬虫類とツーリングせねばならんの?
いや、それ以前に……
帰りにも、バイクの運転が出来るかの方が問題だ。
拳を握り締めて振り返り、再び廃工場を見上げるオレ。
正面に、重機などの出入りに使うのであろう、大きな鉄製の扉。そして、その横に人用の通用口がある。
中に入れば、恐らく無傷では出られないであろう。
いや、無傷でいる気などサラサラない。コレは北原さんを騙し、傷付けた罰なのだから――
「それじゃあ、行くよ……」
ただ、何があっても、北原さんは無傷で助け出す!
オレはそう決意して、通用口へと歩き出した。
「ちょっ、お兄ちゃんっ!?」
「待って下さいまし!」
慌てて追いかけてくる響華さんと真琴ちゃんの言葉を背に受けながら、薄汚れたドアの前に立ち、錆び付いたドアノブに手を掛けた。
先程までのおどけた雰囲気から一転、オレの背には神妙な面持ちをした女性陣からの視線が向けられている。
出来ればココに残っていて欲しいけど、恐らく聞いては貰えないだろう。それに問答をしている時間も惜しい。
響華さんと真琴ちゃん。そして白鳥さんの安全に関しては、メイドさん達を信じよう。
オレは一度、大きく深呼吸をしてから、意を決して扉を開いた。




