第二十二局 機密漏洩 四本場『ばっちゃんの名にかけて』
すっかり日も落ちた幹線道路。会社帰りのサラリーマンやOLが目立つ歩道。
そして、その人混みを縫うように走るオレ。
背後から、そんなオレを呼び止める女の子の声が届く。しかし今のオレは、その言葉すら耳に残らずに素通りしてしまっていた。
こんなにも全力疾走で走るのはいつ以来だろうか……?
流れる繁華街のネオンの中。焦る気持ちを抑え切れず、道行く人達に何度も肩をぶつけながら、それでも止まらずに走り抜けて行く。
「いた……」
汗で滲む視界に映る、派手な看板のパチンコ屋を抜けた先。道路を挟んだ反対側の歩道橋の下に見慣れた金髪縦ロールに青いドレスを纏った女性とメイド服を着た女性が二人――
メイドさんの内、片方には見覚えがなかったけど、今はそんな事に構ってはいられない。
オレは階段を二段飛ばしで駆け上がり、歩道橋を渡り切ると今度は四段飛ばしで階段を駆け下りる。
が――
チッ、もどかしいっ!
オレは階段を半分降りた辺りで手摺りに手をかけると、そのまま手摺りを飛び越えた。
片手を着き、両膝を曲げて着地の衝撃を和らげるが、それでも足の裏から背筋に掛けて痛みが走る。
奥歯を噛み締める様に顔をしかめて痛みを堪えると、オレはすぐさま顔を上げて立ち上がった。
突然、空から人が降って来た事に驚いて、目を丸くする三人。
「親か……じゃなくて、お嬢様。空から男の子が……でございます」
色々とツッコミたいところがあるけど、今はそれどころではない。
オレは三人の中で、電話をくれた主である撥麗さんに詰め寄った。
「撥麗さんっ! 北原さんはっ!?」
「えっ……? あ、あの……」
目を見開いて戸惑い、言葉を詰まらせるメイドさん。そして、絞り出す様な声で出て来た言葉は――
「ど、どちら様ですか? ……でございます」
どちら様ってっ!?
「この非常時にナニ言ってんっすかっ!?」
その空気を読めない言葉に、オレは苛立ちながら両肩を掴んで更に詰め寄った。
「ちょっ!? そ、そうは言われましても……でございます」
「僧も神主も神父もないですよっ! それで、北は、ぐっ!?」
突然、撥麗さんの肩を揺すっていた右手を掴まれ、後ろへと捻り上げられる。そして、そのまま背後から左腕を首に回され締め付けられた。
「少年……いくら可愛い顔をしてるとはいえ、わたくし連れに無礼は許しませんよ」
背後から、耳元で囁かれるドスの効いた声――
相手はあの見覚えのなかったメイドさんであろう。たいして力を入れているようには見えないのに、キッチリと梃子の原理で関節を決められて、まったく身動きが取れない。
ちっ!? この人もメイド兼ボディガードか?
「ぐっ……だ、誰が少年だ……? それに可愛い顔は余計なお世話だっ……」
二つの柔らかく温かいモノが当たる背中に、冷たい汗を流しながら毒づくオレ……
って、あれ? しょ、少年……?
そういえば、さっき撥麗さんも男の子とかって……
北原さんの事で頭がいっぱいになって焦るあまり、オレはとんでもないミスをしてるんじゃ――
「はぁはぁ……つ、つばめ、はぁはぁ……そ、その手を、は、放しなさい……」
「てか、お兄ちゃん、その格好っ!!」
背後から届く、息を切らせた響華さんと、慌てる真琴ちゃんの声。その声に少しずつ冷静になって行くオレの思考……
「きょ、響華さまっ!? それに真琴さまもっ!?」
「えっ!? きょ、響華さまですってっ!?」
響華さんの登場に、メイドさんは慌ててオレから手を放し、成り行きについて行けず呆然としていた委員長さまが素っ頓狂な声を上げる。
なるほど、彼女が響華さんのメイド、つばめさんなのか。西園寺家次期当主の専属メイドなら、あの強さも納得だ……
って、今はそれどころではないっ!
オレは冷静になってきた思考で、真琴ちゃんの言う自分の『格好』を確認する。
え~と、帰ってからオレは部屋着に着替えをした訳で……
当然、今の『格好』はパット入りのブラもしてなければ、ウィッグも着けていない……
……
…………
………………
「すみません、人違いでした。それじゃあ、オレはこれで――」
サッと手を上げて、何事もなかったかの様に踵を返して立ち去ろうと歩き出すオレ。
「待ちなさい、少年……でございます」
「いや、だから少年って……オレはこれでも成人男――なっ!?」
振り向いた瞬間、撥麗さんが一瞬にして間合いを詰めて来たかと思うと同時に、電光石火の右上段回し蹴りが迫り来る。
「くっ!」
は、速い!
上段回しをギリギリでかわした所に、すかさず左後ろ回し蹴りのコンビネーション!
これはかわし切れず、とっさに左腕で何とかガードする。
「ほぅ、今のコンビネーションを躱した、でございますか――」
くぅ~、痛てぇ……
とっさのガードで受け方が悪かったのか、受けた腕が痺れている。
って、どっか既視感を感じさせるやり取りだな……
撥麗さんは、純白レースの三角形を惜しげもなく晒しながら上げていた脚を下ろすと、何かを納得したかの様に大きく頷いた。
「なるほど……中麗の名にかけて、謎はすべて解けた、でございます」
横溝先生の推理小説に出てくる私立探偵の孫みたいな事を言い出す撥麗さん。
そして、オレに向かってビシッと指を差すと――




