第十九局 ランチ 五本場『禁句』
「ちょっと真琴さん? 言うに事欠いて、自分の母親をラスボスだなんて……」
真琴さんの大袈裟な言い様に、わたしはテーブルの下でため息をついた。
「何を言っているんですか、響華さまっ!? この世にあの人ほど、恐ろしい人はいませんよっ!」
声を潜めながらも、強く断言する真琴さん。
しかし……
わたしはもう一度、仕切りの影から先生達の様子をうかがった。
南先生達の座る席の横に立ち、優しく微笑む理事長先生。
とても高校生の子供が居るとは思えないほど若々しく、わたしの目から見ても綺麗で気品のある女性だ。
「とても、恐ろしい人などには見えませんわよ」
「はあぁ……ここにも、あの外面に騙されている人が一人……」
やれやれとばかりに、ため息をつく真琴さん。
しかし、その言葉には異論があった。
わたしとて西園寺家の娘。人を見る目には、それなりの自信がある。
――――――が、しかし。
わたしが口にしようとした異論は、真琴さんが口にする次のセリフで、あっさりと封じられてしまった。
「いいですか? あの人は、お兄ちゃんはおろか、あの悪魔友子さんですら恐れる魔王――いえ、大魔王ですよ」
なっ!? あ、あの友子さんが恐れるですって……?
そう、その一言で、わたしの人を見る目に対する自信は、脆くも崩れ去ってしまった。
そして、そこへ更に追い打ちをかける様に――
「その証拠に……見てください、アレ」
真琴さんの視線を追い、再び先生達へと目を向けた。
えっ!?
そこにあったのは、正に目を疑う光景。
理事長先生に顔を寄せられて、視線を逸し顔中に冷や汗を流しながら、直立で敬礼をする南先生の姿……
その信じられない光景に、わたしは思わず息を飲んだ。
「ど、どうして南先生達は、そんなにも理事長先生を……?」
「お兄ちゃん達の心の奥底には、精神的外傷が深く刻まれていますから」
「トラウマ?」
「はい、お兄ちゃんと友子さんは子供の頃――確か小四の時に、お母さんの禁句を口にした事がありまして……その直後、お母さんはニッコリと女神の微笑みを浮かべながら、二人の顔面を同時に鷲掴みして、高々と持ち上げ宙吊りにしたそうです」
なっ!?
あの優しそうな理事長がそんな事をするのも驚きだけど、小学四年生二人の顔を鷲掴みにして、同時に持ち上げられる腕力と握力にも驚いた。
「ち、ちなみに、お二人は理事長先生に何て言ったの?」
あの理事長先生がそこまで怒るのだ、よほどの事だろう。
「じ、実は――」
その言葉を口にする事をためらう様に、言葉を区切る真琴さん。
わたしは息を飲み、次の言葉を待った。
そして、真琴さんの口から出てきた言葉は――
「真琴ちゃんっ家のおばさん――と」
「えっ? な、なんて……?」
言葉の意味が咄嗟には理解出来ず、思わず聞き返すわたし。
「ですから、真琴ちゃんっ家のおばさん。です」
「そ、それだけですの?」
「はい――ちなみに東家では、『おばさん』と言う言葉は禁句です――」
何とコメントしたらよいか分からずに、口をパクパクさせ言葉を詰まらせるわたし。
しかし、真琴さんの驚くべき話は更に続いた。
「ちなみにその後、顔面宙吊り状態で『美琴お姉様、すみません』と百回言わせたあげく、開放したあとは『美琴お姉様は若くて超美人』と漢字の書き取りノート五冊にビッシリと書かせて、提出させたそうです」
な、なんて大人気ない……
「まあ、後半は話を盛りましたけど」
狭いスペースで、思わずズッコケるわたし。
で、でもまあ、よく考えればそうですわよね。
いくらなんでも、小学生相手にそんな大人気ない事をする人が――
「響華さまっ! 急いで奥へっ!」
急に顔色を変え、通路側とは反対の壁側へとテーブルの下を器用に移動する真琴さん。
どうやら理事長先生が、コチラに向かって来るようだ。
でもナゼ? コチラには出口もお手洗いもないのに……
そんな事を思いながら、わたしも壁側へと移動する。
テーブルの下で壁により掛かり、二人並んで体育座りをするわたし達――――
って、ちょっと待ってっ!?
「ところで、ナゼわたし達が隠れなくてはいけませんの?」
そう、別にわたし達は、隠れなければいけない事はしていない。
確かに尾行は褒められた事ではないけど、そんな事は言わなければ分からない。
理事長から見れば、わたし達は二人でお茶をしているようにしか見えないはず。
ま、まあ……服装は奇抜だけど。
しかし真琴さんは、わたしのそんな思惑にため息をつく。
「はあぁ……何を言っているのですか、響華さま? あの人がここで食事をしていたという事は、わたし達の飲酒未遂も、わたし達が大騒ぎしていたのも聞かれているって事ですよ」
「騒いだのも飲酒未遂もあなただけで、うぐっ――」
反論の途中で、わたしは真琴さんに口を塞がれた。
そんなわたし達の目の前に見えるのは、良く手入れされた赤いパンプスと細長い綺麗な足――
どうやら理事長先生は、このテーブルの横で立ち止まっているようだ。
息を潜めて、理事長先生が通り過ぎるのを待つわたし達……
どのくらい、そうしていたのだろうか?
永遠に続くかと思われた沈黙の時間――しかし、実際には多分1~2分くらいしか経ってだろう。
「行った……かしら?」
「そのようですね」
赤いパンプスが立ち去り、その後ろ姿が見えなくなるのを確認して、わたし達はテーブルの下から立ち上がった。
「まったく……ナゼわたしがこんな事を――」
思わずポロリと、そんな愚痴がこぼれるわたし。
しかし、そんなわたしの前では、ナゼか青ざめた顔の真琴さんがテーブルの上に目を向けていた。
「ん?」
不思議に思ったわたしは、その視線を追う様にテーブルへと目を落す。
「――!?」
そして、驚きに言葉を失うわたし……
テーブルの上には、わたし達の伝票とは別に二つの伝票――おそらく理事長先生と南先生達の物だろう。
それはよい……いや、あまり良くはないけれど、問題はそちらではない。
問題なのは、伝票と一緒に置かれている、ペーパーナプキンに赤いサインペンで書かれたメモ書き。
そこには達筆な字で、こう記されてあった。
『お酒は二十歳になってから!
それから真琴は話を盛りすぎです。
私が提出させた漢字ノートは、五冊ではなく三冊だけよ。
情報の伝達は正確に!
という訳で、真琴は次に帰ってきた時、お仕置きです。
by美琴』
え、え~と……漢字ノートの話自体は、嘘じゃなかったのね……
いえ、それよりも、この距離の内緒話を聞き取れるなんて………何という地獄耳。
確かに、わたしの人を見る目は、まだまだの様だ。




