第三局 初登校、初トラブル 01
今日から新学期。そして今、オレの前には入院中のはずの姉さんが立っている――
幻……? いや違う、どう見ても姉さんだ。生まれてからずっと一緒に暮らしたオレが見間違うはずがない!
でなければ夢だ、悪夢だ! そう絶対に夢っ!!
ゆ、夢……だったらいいなぁ……
そう、オレの前に立っているのは、なんてことない等身大の姿見。
お約束としては、鏡に映る自分を見ながら頬を赤らめ、
『これが……わたし?』
とか言う場面なのだろうけど、そんなネタをやる気も起きない。
自分で言うのもなんだが、いくら何でも似すぎだろ。
ユリさんが選んだ紺色のスリム系パンツスーツに、胸はユリさん愛用のパット入りブラで補強。更にユリさん直伝のナチュラルメイク……
この他ユリさんには、礼儀作法やら言葉使い、そして女性の仕草なんかも、自衛隊の幹部レンジャー教習並みの厳しさで叩き込まれた。
まぁ、ここまでソックリになったのは確かにユリさんのおかげなのだろう。
だがしかし、あの悪夢の二週間は思い出したくはないし、二度と体験したくはない。
特訓の厳しさも然ることながら、この二週間、あの獲物を狙う爬虫類のような目を持つ猛獣、桃色熊(オレ命名)から逃げ切り、貞操を守り通せたのは正に奇跡だ。
しかし……
もう一度、鏡に映る自分を見つめるオレ。
どこからどう見ても女だ――姉さんの身代わりが終わった後、ちゃんと男に戻れるのか不安になるくらい女だ。
唯一の救いは、生徒じゃないから制服も、スカート着用の義務もないので、パンツスーツがOKな所か。これならパンチラの心配もないので、女性物の下着を穿かなくてすむ。
しかし、しかしだ……
「はぁ……ガッコ行こ――」
これ以上ここにいると泣けて来そうなので、手早く準備を済ませ登校する事にした。
※※ ※※ ※※
通学は学院までバイクなら三十分の距離を、バスに揺られて一時間。さすがにお嬢様学校だけあって、教員であってもバイク通勤は禁止だそうだ。
まあ、バス通勤は携帯ゲームの積みゲー消化にはちょうどいい。
『次はラファール学院前、ラファール学院前、お降りの方はブザーでお知らせ下さい』
バスの車内アナウンスに、オレは携帯ゲームの手を止めてブザーを押した。
バスの進行方向、高台の上に見える大きな建物が目的地、聖ラファール学院。
名前の由来は、聖書に出てくる癒やしの天使ラファエルから来ている……らしい。何でも『ベトサダの池で時折水を動かして癒しを行う主の天使』とかなんだとか……と、学院紹介のパンフレットには書いてあった気がする。
全寮制の女子校で、中高大一貫教育。もっとも、大学だけは別の敷地にあるので、あそこの学校に通っているのは中高生だけのようだ。
校風は学生一人一人の個性を尊び、自主性を重んじる……と、これまた書いてあった気がする。
パンフレットを読んだり、新卒教員研修で色々と教わったが、上流階級の方々の考え方はよくわからん。姉さんは、よくこんな所で教員になろうなんて思ったもんだ。
ちなみに、学院の手前――高台への斜面に建ち並ぶ超高級マンション群に見える建物が学生寮らしい。これまたオレの想像する学生寮とはかけ離れている。
本当にオレはこれから三ヵ月もここでやって行けるのか?
そうこうしているうちにバス停へ到着。バスは高台への坂の途中までしか通っておらず、ここから約五百メートルは、斜面を徒歩で行く必要がある。
「さて……」
バス停から学院を見上げるように歩き出した。
この時間になると登校する学生の数もチラホラと見えてくるが……
う~ん……やっぱり場違いじゃないかオレ?
見かける娘、見かける娘、みんな同じ姿勢で歩いているし、動きや仕草から、お上品さが滲み出ているぞ。
当然、パンをくわえて『遅刻遅刻~』なんて走っている娘は一人もいないから、角でぶつかる心配はない。
まっ、まだ遅刻する時間でもないけど。
しかも、極めつけがあちこちから聞こえて来る挨拶――
「ごきげんよう、みゆき様」
「あら、としえ様、ごきげんよう」
いや、ちょと『ごきげんよう』って――
昔、お昼にやっていた、小堺さんの番組じゃないんだから……
てゆうか、そんな挨拶、リアルで聞いたのは初めてだ。
「はぁ……」
空を見上げため息を一つ――
雲一つない青空、昨晩の大雨がウソのようだ。
でもまぁ、道路には昨日の雨の痕跡が所々残っているので、あまりボケッとして歩いていると水溜まりを踏んでしまいそうだ。
今日の天気とは正反対に、ちょっと憂鬱な気分を引きずりつつ坂を登り切ると、ちょうど校門の前に人だかりが出来ていた。
「オゥッ! どこ見て歩っとるんじゃワレッ!!」
おぉ――!? 人だかりの中から聞こえて来るのは、こんな場所には似つかわしくないエセ関西弁。
「ちょっとごめんなさいね~」
野次馬根性まる出しで、人だかりを掻き分け最前列に出るオレ。
そこに居たのは、すでに絶滅したと思っていたトサカのようなリーゼントに、紫のダブルスーツを着た男。
そしてその男に詰め寄られ、すっかり脅えしまっている、小柄でショートカットに黒縁メガネの女の子。
制服のタイの色は緑色だから一年生か――てか男の方っ! お前はおとなしく絶滅するか、八十年代に帰れっ!
「おうっ! コレをどないしてくれるんじゃ!?」
男はポケットに両手を突っ込んだまま、片足を上げてズボンの裾を突き出した。
その突き出した裾をよく見ると、本当に小さなシミのような物が2つ――察するに、女の子が水溜まりを踏んでしまい、しぶきが跳ねたのだろう。
たくっ――その程度で大人気ねぇ。
「ほ、本当に申し訳ありませ――」
「申し訳ないーっ!? 謝って済むなら警察もヤクザもいらんのじゃ!」
「ひっ……」
絶滅危惧種のトサカ男の剣幕に、すっかり脅えてしまっている女の子……
身代わりという立場上、なるべくトラブルは避けたいところだが、ここは助けに入るべきなのか?
一応、辺りを見回して見る。他の先生が来てくれるなら、それにこした事は無いんだけれど……
「でっ? この落とし前は、どう付けてくれんのや?」
「も、申し訳ありません……弁償させて頂きます」
「ほうか、ほうか――ただ、このスーツはその辺の安物とは訳がちゃうでぇ。オーダーメイドちゅうやっちゃ」
ウソつけっ! どう見ても洋服の赤山あたりでツーパンツ19800円程度の安物だろっ!
てゆうか、初めから金持ちお嬢さん目当てのタカリか……?
「現金で五十万や。それ以上はビタ一文まからへんで」
「は、はい……すぐ家の者に届けさせます」
脅しに屈して、携帯を取り出す女の子――
くそっ! これ以上黙って見てられるか!
「ちょとま……」
「お待ちなさいっ!!」
オレの制止の言葉をかき消すように響いた、綺麗で凛とした声――
そして、それと同時に全員の視線が一点に向けられ、集まっていた娘達が急に色めき立ち始めた。
そして、口々に出て来る「響華さま」と言う言葉――
みんなの視線を追うように声の方へ目を向けると、そこには正に威風堂々と言った感じで立つ、長い黒髪の女生徒――と、いかにも取り巻きと言った感じのメガネっ娘が二人。
イメージ的にはクールでキツめの委員長――いや、生徒会長と言ったイメージかな。
「え~と、あの娘は誰?」
とりあえず、近くでウットリとした表情になっていた娘に声をかけてみる。
「ご存知ありませんの? 生徒会会長の西園寺響華さまですわ」
正に目が釘付け……こっちを振り向く素振りも見せずに答える女生徒。
やはり生徒会長か。ギャルゲーで鍛えたオレの観察眼もなかなかだな。
「北原さん。そのような男にお金など払う必要はありませんよ」
「きょ、響華さま……」
ん? 二人は顔見知りか? 響華さまっていうのは、紺色のタイだから、三年生……まあ、中高大一貫教育だ。面識があっても不思議じゃないか。
それにしても、凛として透き通るような、それでいて力強い声。この響華さまって娘、ただのお嬢様とは違うようだ。
が、しかし……
「なんだてめぇは! 関係ねぇ奴は引っ込んでろっ! 張っ倒すぞコラッ!!」
ですよねぇ……ああゆうバカに、ああゆう言い方すれば火に油を注ぐだけだって。
「関係なくはありません。学院での生徒の揉め事は生徒会の管轄です」
それでも一歩も引かない辺りは、よほどの大物か、それとも世間知らずなだけか――
お嬢様だけに、なんとなく後者のような気がするなぁ~。
「ほぉ~、そうかい。じゃあ姉ちゃんが代わりに銭を払ってくれるゆうんか?」
「あなたような人にお金を払うくらいなら、ドブに捨ててしまった方がましです」
「んだと! このアマァッ!!」
「だいたい、大の大人がその程度の事で大騒ぎするなんて、恥ずかしいと思わないのですか?」
う~ん……全然収拾がつきそうにない。
いくら生徒会長さんでも、そこはやっぱりお嬢様……ああゆうバカの扱いには慣れてないだろう。
「へっ! 気の強えぇ姉ちゃんだな――えぇ、おいっ! なんなら姉ちゃんの身体で無理矢理に払わせてもええんやぞ、コラッ!」
バチンッ!
男が会長さんの顔に手を伸ばそとした瞬間、男の頬を張る音が響いた。
「触らないで、穢らわしい!」
バカ! やり過ぎだっ!
オレは反射的に走り出した。お嬢様の思考なんて全く分からないが、ああいう短絡バカの思考なら簡単に察っしがつく。
間に合うか――?
「ふっ……ワレ何様のつもりじゃっ!!」
男の拳が会長さんの顔面目掛けて飛んだ。
バシィィィッ!!