第十七局 追跡 二本場『震えて眠れ』
「ホントに、ヒドイ目に合いましたわ」
「ええ、まったく……」
タクシーの後部座席にグッタリと座るわたしと真琴さん。
「やはり、この服は尾行に向いて無いのではなくて?」
「わたしも若干ですが、そんな気が……」
「アレだけの目に会って、まだ『若干』なのですか……?」
そう……わたし達は群がる小学生達を引き離し、どうにかあの場所を逃げ出して来たのだ。
そして逃げる途中で、バスに乗り込む先生達を発見。わたし達は急いでタクシーに乗り込み、先生達の乗るバスを追跡中なのだ。
「まあ、一緒のバスに乗るワケにもいきませんし、結果オーライじゃないですか? ――特に響華さまは」
「うっ……」
真琴さんの言葉に、わたしは言葉を詰まらせた。
そう、わたしにはバスに対してのトラウマがある。確かに、バスに乗らなくてすんだのは僥倖だ。
「あっ、運転手さん。次の交差点を左に入って下さい。その先のマックの所まででいいです」
タクシーの運転手に指示を出す真琴さんに、わたしは少しだけ眉をしかめた。
「真琴さん――バスはまだ直進していますわよ?」
わたしの問いに、真琴さんはニッコリ笑って振り返る。
「先回りです、響華さま」
「先回り?」
「はい! お兄ちゃんがあのバスに乗ったという事は、行き先はまず間違えなく、アーケード街です。更に、まだお昼には早いですから、お兄ちゃんが時間を潰すなら目的地はひとつしかありません」
笑顔でそう言い切る真琴さんに、わたしはチクリと胸が痛んだ。
真琴さんは、本当に先生の事をよく理解している。
それだけじゃない。わたし達が普段行かないような場所――普通の若者達が行くような場所なども、とても詳しい。
なんでも、最近まで友子さんとよく出掛けていたそうだけど……
わたしなど、アーケード街の存在は知っていても、そこにどんなお店があるのか全く分からない。
「お客さん、ここでいいかい?」
「はい、大丈夫です」
と、わたしがネガティブ思考に入りかけた時、丁度目的地に着いたようだった。
いけない、いけないっ! ネガティブ禁止!
わたしは、軽く首を振って顔を上げた。
「じゃあ、980円ね」
「はい――では、コレで」
わたしは、お財布からクレジットカードを取り出し、それを運転手に差し出した。
しかし、それを見てあからさまに顔をしかめる、中年男性の運転手。
「悪いね、お客さん。ウチ、カードはやってないんだよ」
「えっ? そうなのですか? では――」
わたしは慌ててカードを引っ込めて、財布から現金を取り出した。が……
「ちょっ、お客さん……細かいの持ってないの? てゆうかさぁ、タクシー乗る時は細かいの用意しておくの、常識でしょ?」
「えっ? あ、あの……」
今度は、あからさまに不機嫌な声を出す運転手。そしてその態度に、一万円札を持ったまま戸惑うわたし。
「困ったなぁ……今、お釣りないんだよねぇ」
「いえ、お釣りはけっ――」
お釣りは結構です――そう言おうとしたわたしを、横から手を出して制する真琴さん。
そして自分の財布から千円札を取り出し、不自然なほどニコやかな笑みを浮かべながら、運転手へと差し出した。
「お釣りは結構です。その代わり領収書を下さい」
「領収書ぉ? ――宛名は?」
面倒くさげに領収書を取り出す運転手。その横柄な態度を見ても、真琴さんは笑顔を崩さずに領収書の宛名を告げる。
「前株で、AZUMA交通、人事部。AZUMAは大文字のアルファベットでお願いします」
「へっ?」
真琴さんの告げた宛名に、動きが止まる運転手。
確かAZUMA交通とは、真琴さんのお父様が代表取締を務めるAZUMAコンツェルンにあるグループ企業の一つだったはずだ。
いや、そもそも……
「領収書なんて貰っても、仕方ないでしょう、まこ――」
「えっ!? なんですか? お嬢様」
わたしの言葉へ被せる様に、大きな声で返事を返す真琴さん。
というより、この子は何をしたいのかしら?
「はぁ? 領収書は必要ない? あっ! そうですよねぇ。AZUMAコンツェルン代表取締役のご息女様が、東タクシーの領収書貰っても、仕方ないですよねぇ~」
まるで、呆ける運転手に見せつけるよう、わたしに向かって一人芝居をする真琴さん。
『って、AZUMAの娘はあなたでしょうにっ!』と、そんな口を挟む間もなく続く、真琴さんの一人芝居――
「では運転手さん。この不景気に再就職は大変だと思いますけど、頑張ってくださいね。では、参りましょう、『東っ!』真琴お嬢様」
そう言い残し、笑顔でタクシーを降りる真琴さん。
その背中を、何か言いたげに口をパクパクさせながら呆然と見つめる運転手へ軽く頭を下げ、わたしも真琴さんの後へと続いた。
「クケケケケ……リストラに怯えながら、震えて眠れ」
ようやく真琴さんの真意が理解出来たわたし。
アーケード街の人混みを先行して歩く、真琴さんの背中に大きなため息をついた。
「全く……悪趣味ですわよ」
「そんな事ないですよ。これも、社員教育の一環です。てゆうかお父さん、社員の教育がなってないよ、まったくっ!」
いや、グループのトップが、末端社員の教育なんてしないでしょう。
そう、グループの上層部は、末端で働いている人の事など何も知らない。西園寺家次期当主などと言われていても、わたしは現場の事など何一つ知らないのだ。
ふと、さっきタクシーの運転手に言われた言葉を思い出す。
タクシー乗る時は、細かいの用意しておくの、常識でしょ――
普段、タクシーなど乗り慣れていないわたしは、そんな事も知らなかった。
本当に、わたしは世間知らずだ……
「さっ、着きましたよ、響華さま」
再びネガティブな思考に入り込むところで、明るい声を上げて振り返る真琴さん。
この子と知り合ってから、この明るさにわたしはどれほど救われただろうか?
そんな事を思いながら、真琴さんの立つ前にあるお店へと目を向けた。
って……
「ちょっ、こ、ここって、まさか……パチンコ屋さんっ!?」




