第十一局 試合 三本場『誤審』
白い旗を高々と上げるレフリーのジョー・ヒトツクチ。それを見た副審も、空気を読んで白い旗を上げる。
いや、空気は読めてないか。当の選手二人は、その判定に唖然としているし……
一本の判定に湧く剣道部のお嬢様たち。
それに対して、体勢を崩したまま静止するオレと、竹刀を振り上げたまま静止する北原さん。お互い、どう反応すれば良いか分からずに固まっていた。
「意義ありっ! 打突も踏み込みも浅いっ!」
と、ここで声を上げてくれたのは、実況のジャストミート真琴ちゃん。机を叩いて立ち上がると、某法廷ゲームのように勢いよく一ッ口さんを指差した。
対して、アリバイを崩された犯人の如く、オロオロする一ッ口さん。
そして、それを隣で見ていた裁判官の響華さんが、眉をしかめながら仲裁に入る。
「ちょっと真琴さん。先生を応援したい気持ちも分かりますけど、わたくしの目にも北原さんの竹刀が先生の面に当たったように見えましたよ」
「フェンシングじゃないんですから、当たりゃいいってもんじゃないんですよっ!」
「そうなんですの?」
ちょっと驚いたように首を傾げる響華さん。まあ、普通の人は、剣道の細かいルールなんて知らないだろうからなぁ。
「真琴さまの言う通りだ、でございます。いえ、それ以前に刃筋もたっていなければ、残心もねぇ、ございます」
「は、はすじ? ざ、ざん、しん……?」
そんな言葉、初めて聞いたとばかりに狼狽する一ッ口さん。そんなスキンヘッドの主審を見かねて、響華さんが代わりに口を開いた。
「その刃筋とか残心とはなんですの? 残心は弓道の授業で聞いた事ありますけど、同じ意味かしら?」
「刃筋ってのは、弦っていう糸が付いている方の反対側の事です。竹刀を刀に見立てた場合、弦側が峰で反対側が刃。だから、弦側や横側がいくら当たっても、全て無効なんです」
「そして剣道の残心とは、打突後に間合いを切りしっかりと構え直す事、でございます。コレは、打突の後にも気を抜かずに心を残すと共に、打たせてくれた相手に礼を尽くし、心を残して構え直す、という日本人的な思考なので、ございます」
「いいですか、響華さま? 剣道のルールでは、充実した気勢、適正な姿勢、竹刀の打突部で打突、打突部位を打突、刃筋正しく打突、残心あるもの。この六つが全て揃わないと、一本にはならないんです」
「そうゆう意味ではさっきの片手面、竹刀がとりあえず面に当たっただけという、まったくダメな打突だったで、ございます」
二人の解説を、フムフムと感心しながら聞き入る響華さん達……
てか、響華さんが聞き入るのは良いとして、他の剣道部員までも、初めて聞くかのように聞き入っているのはいかがなものか?
「なるほど……剣道とは奥が深いのですね。とゆうより、お二人は剣道部員でもないのに、そのような事をよく知っておりましたわね?」
「この程度、剣道マンガを二、三作品読めば余裕です」
「その通り、大事な事は全部マンガが教えてくれた、でございます」
ドヤ顔で胸を張るジャストミート真琴ちゃんとジャイアント撥麗さん。
てか、やはり情報元はマンガか……
「そ、そう……マンガという物も、なかなかに侮れないですわね」
感心しつつも、苦笑いで頬を引きつらせる響華さん。今度はラノベではなく、マンガを貸せとか言われないか若干不安である。
「で、一ッ口さん?」
「ひゃ、ひゃいっ!」
「剣道のルールでは、そうなっているみたいだけど、あなたは知っていたのかしら?」
「そ、それは……あの、その…………すみません、響華さま……」
「はあぁ~…………」
大きくため息をつく響華さん。
気持ちは分かるけど、あの練習風景を見ていたら、特に驚く事ではない。なにせ緑先生曰く、顧問の固太り――じゃなくて、顧問の教頭ですらルールをよく知らないらしいからな。
「わたくしも知らなかった訳ですから、大きな事は言えませんけど――一ッ口さん、仮にもあなたは部長ではないのですか? それがルールも知らず、その上に審判を引き受けるなど」
「も、申し訳ありません、響華さま……」
「謝るのは、わたくしにではないでしょうっ!」
「すみません、すみません、すみません、すみません――」
再び響華さんに一喝され、奈良県○谷堂名物、高速餅つきの如く、物凄い勢いでペコペコと頭を下げる一ッ口さん。
「だから、わたくしに――」
「まあまあ、響華さん。そのへんで……」
的外れな謝罪をする一ッ口さんと、それに声を上げようとする響華さんの仲裁に入るオレ。
「ですが――」
「まあまあ、試合してれば誤審は付きものだし。それに――」
オレは、構えを解いて行く末を見守っていた北原さんへと目を向けた。
「この誤審、痛いのはわたしじゃなくて、北原さんの方だしね」
オレの言葉に苦笑いを浮かべるのが、面越しに確認出来た。ただ、オレの言葉を理解出来なかった響華さん達が、首を傾げる。
多分、理解出来たのは、真琴ちゃんと撥麗さんくらいだろう。
「それって、どういう意味ですの?」
「どうもこうも、あそこで止められなければ、次の打ち込みで確実に一本取られていたって事」
そう、あの時オレの体勢は完全に崩されていたし、北原さんの方は完全な体勢で面打ちの構えに入っていた。
「同じ一本でも、打ち込みが決まっての一本と誤審の一本じゃ、気分的に全然違うでしょう? 正直わたしなら、誤審で勝っても嬉しくないし」
「それには同感だ、でございます。撥麗が同じ立場なら、やはり誤審で勝っても嬉しくねぇ、でございます」
オレの意見に同意する撥麗さん。空手、剣道、拳法と、畑は違えど、この辺の認識は同じようだ。
「更に付け加えるなら、残り時間――」
「確かに……試合時間は、残り一分を切っている、でございます。試合形式は五分以内に二本先取で勝利ですが、このまま時間切れになれば、誤審の一本を取っている北原さまの勝ち、でございます。つまり北原さまは、この少ない残り時間で一本を取らないと、誤審勝ちなんて不名誉な勝ち方になってしまう、でございます」
「そゆこと」
さすが撥麗さん、解説席に座るだけの事はある。オレの言いたい事を、しっかり解説してくれた。
「ま、まぁ……先生達がいいのなら構いませんが……」
しかし、響華さんはあまりに納得してないようで、難しい顔で眉をしかめている。
とはいえ、納得は出来ないけど、上手い反論も見つからないのだろう。この辺の感覚は、格闘経験者でもないと分からないからなぁ。
「しかし、これだけの名勝負を次も誤審などされたら、たまったもんじゃネェ、なのでございます」
「そうは言っても、他に適任な人はいないし……まあ、一ッ口さまも、あまりに適任じゃないけど」
撥麗さんと真琴ちゃんの愚痴みたいなセリフに、ヅラを光らせ身を縮める一ッ口さん。
確かにこの剣道部に、ルールをちゃんと知っている部員がいるかと言えば、いないだろう。
真琴ちゃんと撥麗さんが、ため息混じりに辺りを見回すと、部員達はサッと視線を逸らしているし。
「はぁ…………仕方ない、でございます」
「えっ?」
解説席に座っていた撥麗さんが大きなため息と共に取った行動に、オレは目を丸くする。
そう、撥麗さんは何を思ったのか、いきなりスクっと立ち上がると、自分のスカートを勢いよく捲り上げたのだ。
……と、言っても。それとも同時に、隣に座る真琴ちゃんがとてもいい笑顔をコチラに向けたまま、手元のバインダーでしっかりガードしてくれちゃったので、肝心な所は見えなかったけど……
てか、真琴ちゃん、いい仕事し過ぎっ! 中島先生もビックリだよっ!!
まっ、それはさておき、スカートを捲り上げた撥麗さんは、ガーターストッキングの中から何やら取り出すと、それを自分の口の周りにペタペタと貼りだした。
「審判の交代を進言する、でございます」
撥麗さんが口の周りに着けていたのは、付け髭だった。
無精髭みたいな付け髭を着けた撥麗さん。
その精悍で綺麗な顔とオヤジみたいな髭というアンバランスさに、皆が言葉を失う中、ゆっくりとした足取りで居心地の悪そうな一ッ口さんの元へと歩み寄った。
「ジョー・ヒトツクチさま。ここからは、ジャイアント撥麗改め、タイガー・ハッツリが試合を仕切らせていだく、でございます。異論はありませんか? でございます」
「い、いえ、喜んで、お譲りいたしますわ」
嬉々として、審判の旗を差し出す一ッ口さん。
そこには、これ以上続けて、また響華さんの前で失態を犯すくらいなら……という心理がアリアリと見て取れた。
三十六計、逃げるが勝ちとばかりに、光輝くズラから伸びる後ろ髪をなびかせながら、いそいそと北原さんの応援グループへと紛れ込んでいく一ッ口さん。
てか、ジョー・ヒトツクチとかタイガー・ハッツリとか、よほどコアなプロレスファンじゃないと、そんなネタ分かんないぞ。
「さて、お二人の方は異論ありませんか? でございます」
「はい」
「ええ」
撥麗さんの申し出に、北原さんとオレも合意する。ルールの情報元がマンガだというのは若干気になるけど、ココの剣道部員よりは遥かにマシだろう。
しかし……
「異論はないけど、一つ聞いていい?」
「なんでしょう? でございます」
「なんで、付け髭がストッキングの中に……?」
「この程度、メイドの嗜み、でございます」
メイドさん、スゲー。
「他に質問がなければ、開始線まで戻って下さい、でございます」
撥麗さんの指示に従い、開始線へと戻るオレ達。
さて、だいぶ中断してしまったけど、残り一分弱。気合い入れて行きますかっ!




