第十一局 試合 一本場『空手に先手なし』
お互い竹刀を正眼に構え、ジリジリとゆっくり間合いを詰めていく。そのまま、ある一定の間合いまで詰めたところで、オレの足が止まった――
いや、止められた……
オレが静止すると同時に、やはり足を止めた北原さん。
二人の間合は、正に一足一刀の間合いの数センチ手前。北原さんの放つプレッシャーに押され、その数センチが踏み出せないオレ。
くっ……七つも年下の女の子に気圧されるとか、情けねぇ……
北原さんの正眼は、素人のオレなんかと違って、まったくスキがない。
正直、こちらからこの数センチを踏み出すと、その後は負けのビジョンしか浮かんでこない……
ならば……
「おぉ~っと! 南選手、ヘタレましたっ! せっかく間合いを詰めたのに、ジリジリ後退して行きます。その姿は、まるで浮気が彼女にバレて問いつめられ、ビビリながら後退るヘタレ男の様だぁ~~っ!!」
うるさいよ、ジャストミート真琴。
「ああぁぁ~とっ!? しかし女も黙ってませんっ! 下手な言い訳は通用しないとばかりに、ジリジリと浮気男を追い詰めるぅぅ~~っ!!」
誰が浮気男やねんっ!? 浮気どころか、本命すらおらんわっ!
とはいえ、比喩はともかく状況は真琴ちゃんの実況通りだ。
オレが引いた分、北原さんがきっちり同じだけ間合いを詰めてくる。
「さて、解説の撥麗さん。この状況を、どうご覧になりますか?」
「そうですねぇ、でございます。南先生選手は、一足一刀の間合いという、あと一足踏み出せば剣が打ち込める間合いの、僅かに外にいます、でございます。真琴さまのおっしゃる通り、忍さま選手のプレッシャーにヘタレて、打ち込める間合いに入っていけない、でございます――ただ、南先生選手は、一つ勘違いをしている、でございますよ。そこに早く気付かなければ……でございます」
なにやら思わせぶりな事も言う撥麗さん。
てか、勘違いだと……?
「どうしました先生? 打ち込んで来ないのですか?」
正眼の構えをまったく崩さずに、ジリジリと間合いを詰めながら、北原さんは静かに口を開いた。
「あいにくと、わたしは空手畑の出だからね」
「空手畑……? なるほど、空手に先手なし……後の先狙いですか?」
さすがは武芸百般の北原家のお嬢様。空手の心得にも精通してらっしゃるようだ。
空手に先手なし――元々は『空手を心得る者は、決して自分から事を起こしたり、好戦的な態度をとって力をひけらかすな』と言う意味だ。
更には、相手の攻撃を受け、相手の力量を知り、技を見極めよ。つまり、彼を知り己を知れば、百戦殆からず。
そして、相手の攻撃を受け、即反撃。いわゆるカウンター狙い。そのため空手の形は、全て受けから始まっている。
って、カッコつけてはみたけど、実際はビビって間合いに入れないだけだけど……
「先生……先程、撥麗さんがおっしゃっていた、先生の勘違いを教えておきます」
…………っ!?
「確かに、そこは先生にとって、間合いの外。でも…………わたしにとっては、すでに間合いの中ですっ!」
言うと同時に、北原さんの竹刀が眼前を迫りくる。
「面っ!!」
「ちっ!?」
咄嗟に竹刀で払い、右に動いてギリギリで北原さんの面打ちをかわす。
は、早いっ!? てか、あの距離を一歩で詰めるとかマジかよ。女子の中でも小柄なのに、男のオレより間合いが広いってのか?
そんな毒づく間もなく、北原さんの流れる様な連続攻撃が降り注ぐ。
「面っ!! 小手っ!! 面っ!! 面っ!! 胴ぉーっ!!」
「くっ……」
有効打突ポイントへ、正確に迫りくる北原さんの竹刀。そして、その攻撃をギリギリで凌いていくオレ。
「小手っ!!」
『しかし……』
北原さんの小手打ちを鍔元で払い、後ろに下がりながら、間合いを開ける。
『こんな……』
竹刀を払われても、まったく上体を崩す事なく、間合いを詰める北原さん。
『こんな……』
オレ達の息詰まる攻防に、息を呑む剣道部員たち。真琴ちゃんたちですら、解説を忘れて見入っている。
『しかし……こんな……こんなモノなのか……?』
虚偽動作ひとつなく、真っ直ぐで素直な打ち込み。素人のオレでも、ギリギリでかわせる打ち込み。
確かにスキもなく、コッチから打って出る余裕はない。
しかし……それでも……
彼女の実力は、本当にこんなモノなのか……?
数合の打ち合いで、目が慣れてきたのか。かわすのはギリギリながらも、徐々に相手を見る余裕が出てきた。
正直、剣道のルール内なら、オレなんか軽く圧倒すると思っていた。
なのに……
「面ーーっ!!」
北原さんの飛び込み面打ちを上方に弾いた瞬間、彼女の身体が不自然に後方へ流れた。
そう、不自然に……
上体は崩れていないのにもかかわらず、不自然にもつれる足。面の隙間から覗く、眼力のない不自然な瞳。
そして、不自然にガラ空きの胴……
「ちっ……」
「え……?」
絶好のスキに対してオレは、構えを解いて両腕を下げた。
その行為に不思議そうな声を漏らし、竹刀を正眼に構え直す北原さん。
そんな北原さんを面越しに見据えて、オレはゆっくり口を開いた。
「ねえ、北原さん。あなた……どうゆうつもりでこの試合を受けてくれたの……?」
「ど、どうゆうって……」
「畑違いとはいえ、お互い武道家同士。だからわたしは、武道家南として武道家北原忍に試合を――武道家同士の真剣勝負を申し込んだつもりだったんだけど、あなたにとってはタダのお遊びだったのかな?」
「…………」
不自然に中断する試合――
静まり返った館内に、オレの平坦な声が静かに流れる。
「わたしがギリギリでかわせる速さの打ち込み。頃合いをみて、打ち込んで下さいとばかりに見せる大きなスキ……そんな恵んでもらうような勝ち方で、わたしが喜ぶと思った?」
「…………」
「それとも、こんな接待みたいな試合で勝ちを譲るのが、北原流の……北原十三段の教えなのかしら?」
「…………」
「…………」
俯く北原さん。流れる沈黙……
そんな沈黙の中、最初に口を開いたのは撥麗さんだった。
「時計係の方、時間を止めて下さい、でございます。それから一ッ口さま、動きが硬直しております。一度、待てをかけて下さい、でございます」
「そ、そうですわね……待てっ!」
撥麗さんの指示通り待てをかけ、時間を止める一ッ口さん。そしてこの事態を、固唾を飲んで見守る剣道部員たち……
更に沈黙の時間が続く。誰も言葉を発せず、静かな緊張感が支配する空間。
そして、この場にいる全員の視線を浴びる中、北原さんは一歩後ろに下がって深々と頭を下げた。
「申し訳ありません……先生のおっしゃる通り、武道家として恥ずべき行為、そして南先生を愚弄する行為でした」
「それで?」
「もし……もし、許して頂けるのなら、武道家として、北原流の名に恥じぬよう全力で臨むと誓います。ですからもう一度初めから、仕切り直しをお願いしますっ!」
試合前のオロオロとした態度など欠片も見せずに、頭を下げたままハッキリと意思を表示する北原さん。
「うん、たいへん良く出来ました。もう顔を上げて」
ゆっくり顔を上げる北原さん。面から覗く瞳には真剣勝負に臨む武道家としての光が見て取れた。
オレは彼女の、その真っ直ぐな態度に笑みを浮かべる。
「でも、仕切り直しは必要ないわ。このまま続けましょう――ここからは、真剣勝負で」
そう言って開始線まで下がるオレ。しかし、そんなオレに解説席からジャストミート真琴ちゃんの声が掛かる。
「おにぃ……じゃなくて、南先生。なんで、仕切り直さないの?」
なんでと言われても……
オレは解説席に置かれた、電光版を見る。そこに示された残り試合時間は2分とちょい。
「だって、本気なった北原さん相手に、剣道初心者のわたしが2分も保つワケないし。もし2分以上かかるようなら、それは本気じゃないって事――でしょ?」
口元に笑みを浮かべたオレの振りに、同じ様に口元に笑みを浮かべる北原さん。
「もちろんです。先生には申し訳ありませんが、秒殺させていただきます」
そう、その笑顔――オレはその笑顔が見たかったんだ。
そして、その笑顔をみんなに見て欲しかった。好きな事に打ち込む楽しさを知って欲しかったから。
オレは北原さんが開始線に着くのを確認して、審判の一ッ口さんに見を向けた。
「中断してごめんなさい。再開をお願いします」
「わ、分かりました……では、始めっ!」
さて、試合再開だ。せめて秒殺だけは避けたいな……




