第二局 愛と大人の個人授業 02
『はい、こちら綺麗で優しいお姉ちゃん』
ここは突っ込んで欲しいのだろうが、そんな余裕などはない。
「姉さん! ちょっとなにアレはっ!!」
『んっ? ユリちゃんの事か? でも友也……アレはないだろ、アレは。いい人だぞ、ユリちゃん』
「いい人とかどうとかの問題じゃなくて! これはどうなっているんだよっ!?」
『どうもこうもないだろ――』
よっぽど焦っていたのだろ。正直自分でも何を言っているのかわからない。
それでも何とか会話が繋がっているのは付き合いの長さか、それともこうゆう電話がある事を予測していたか……多分後者だろう。
焦っているオレを落ち着けるように、姉さんはゆっくりとした口調で話し出した。
『いいか友也――男のお前に女の何たるかを教えるのに、彼女以上の適任がいるか?』
「うっ……」
姉さんの諭すような口調に、少しずつ冷静さを取り戻す。
とりあえず、『彼女』と言う所にはツッコミたいが、言われみればその通りだ。
『それに彼女達は自分から望んで女になったんだから、本当の女以上に女らしいし、そうなるには並大抵の努力じゃないんだぞ。その血と汗と涙の結晶を無償で伝授してくれると言うのだ、大いに感謝する所だろう?』
「ううっ……」
姉さんの言う事が正論過ぎて言葉が出ない。そういえば前にテレビで、ニューハーフのドキュメンタリーを観た事がある。確かに普段は明るく振る舞っている彼女(?)達はみんな、裏で大変な苦労をしていた。
確かに、いくらキモいからと言って拒絶するのは失礼なのかもしれない――いやしかし、オレは望んで女装をしようとしている訳じゃないし……
『それにユリちゃんなら姉さんも安心だしな』
ちょっと考え込んでしまったオレに、さっきまでとは一転して明るい口調で話す姉さん。
「安心って何が?」
オレはちっとも安心してないぞ。
『いや、もしも友也がユリちゃんにムラムラ~っと来て襲ったとしても、ユリちゃんの腕力なら勝てる』
いや、ムラムラ~とはか100%有り得ないから――
てか、そんなに強いのか? 確かにプロレスラー並みの体型してるけど、オレだって大学時代は空手の全国大会に出たことがあるんだぞ。
『いいか友也――もしユリちゃんを口説くつもりなら覚悟しておけよ。ユリちゃんは元自衛隊のパラシュート部隊出身だぞ』
「パ、パラシュート部隊っ!? それって自衛隊第一空挺団パラシュート部隊かっ!? 自衛隊の中でもエリート中のエリートじゃん!」
『なんでも習志野駐屯地じゃ、灰色熊中本一佐と呼ばれていたらしいぞ』
グ、グリズリーって――し、しかも一佐?
エリート中のエリートで更に佐官!? わかり易く軍隊風に言えば、劇場版の逆襲に来た赤い彗星と同じ大佐様っ!?
「な、なんでそんな凄い人が、二丁目でママなんかやってるんだよ?」
『聞いてやるなよ友也……訓練中の事故で身体の一部――しかも特に大切な部分を無くしたなんて、誰にも知られたくない話しさ――』
なら話すなよ! 全部理解しちゃったよっ!!
「ところで姉さん……? オレがユリさんを襲う可能性は万に一つもないけど、オレが襲われる可能性は考えてないのか?」
…………………しばしの沈黙。
そして――
「あるな……いや、むしろ可能性は低くはない」
「ちょっと待てっ!!」
再度沈黙。そして長い間の後に――
『…………………諦めろ』
「おいっ、コラッ!」
『相手の力は巨大熊と互角だが、本物の熊と違い知能が高い。死んだフリをしても、そのまま食べられるのがオチだ……でもまぁ、別に減るものじゃないし、痛いのは最初だけだ。それに――』
「それに……なに?」
『もし友也がソッチに目覚めても、姉さんは友也の味方だぞ』
「あほかぁぁぁぁぁーーーっ!!」
深夜なのも忘れて大絶叫。いやしかし、これは仕方ないだろう。誰だって叫んでいたはずだ。
『友也……真夜中に大声を出すのは、ご近所迷惑だぞ』
『お客さん、あと10分ですよ』
『な、なにっ!』
ふと、電話の向こうから姉さん以外の声が聞こえた。
そういえば、さっきは慌てていてほぼ無意識に電話をかけていたけど、入院中の姉さんが何で真夜中に電話に出られるんだ?
しかもよく聞くと、後ろから結構な喧騒も聞こえて来るし――
「ちょと姉さん、今どこに居る?」
『いやなに、病院のご飯だけじゃ足りなくてな。コッソリ抜け出してラーメン食べてた』
まったくこの人は……
『という訳で友也、姉さんは残り十分で、あと二杯のラーメンを食べないとタダにならんのだ――』
しかも大食いかよっ!
『ちなみに姉さんは、お金を一銭も持っていない。もし失敗した時には、お金を届けてもらうからな――しからば御免っ!!』
「って、ちょと待て! 話しはまだ――」
『プッ、プー、プー、プー』
切りやがった……
携帯のディスプレイに表示される、通話終了と通話時間の文字を見つめる。
クソ~、姉さんの奴めぇ。弟の貞操の危機に、暢気にラーメンなんか食いやがって!
「フゥ~~♪」
「にょわぁっ!!」
いきなり後ろから耳に生暖かい息を吹きかけられて、思わずな素っ頓狂な声を上げるオレ。
「お話しは終わったかしらン♪」
背後から聞こえてくる、マスオさんの同僚そっくり声にゆっくりと振り返った。
そして、そこにあったのは、やはりピンクの巨大なカベ――
正に灰色熊ならぬ桃色熊。
「は、はい……お、終わりました」
この時のオレは物凄く引きつった顔をしていただろう。しかしユリさんは、そんな事お構い無しに満面に笑みを浮かべて、その大きな顔をズイっと近付けて来る。
ち、近いです。そしてキモイ……
「そ~ぉ、じゃあ行きましょう。夜は長いと言うけれど、二人の甘ぁ~い夜はアッという間に終わっちゃうものなのよン♪」
そう言うと、ユリさんは身長差を無視して強引に腕を組むと、オレを引きずる様にアパートへ歩き出した。
「さぁ、愛と大人の個人授業の始まりよ~ン♪」
お願い、姉さん助けて~~っ!!