第六局 作戦決行 Aパート『真琴のターン』
『……ちゃん……きて……』
昨夜は色々と考えてしまって、中々寝つけずにいたオレ。
加えて、夜中に感じた猛烈な寒気とくしゃみが拍車を掛け、眠りに就いたのは、すでに明け方近くになっていた。
『ねぇ……お兄ちゃん……く起きて……』
そんなわけで、まだ眠りに就いてすぐくらいだと思われる。
なにやら甘い香りと共に、耳元で甘い囁き声が聞こえてきた。
『ねぇ、お兄ちゃん。早く起きてってば』
これはどういう事だろう……?
ガサツな姉と二人暮らしのオレに『お兄ちゃん』などと、妹系のスイートボイスで起こされるなんてイベントが起こりうるはずはない……
という事は、これは夢か? そうか、きっとそうに違いない。
傍若無人な姉に振り回されて苦労しているオレに、せめて夢の中だけでも楽しんでくれという、神様の贈り物なのだろう。
でなければ、可愛い妹に朝起こされるなどという、成人男子憧れのシチュエーション(リアル妹がいない者に限る)が、現実に有るわけがないだ。
ならば、この至福の瞬間――夢のひとときを、楽しませて貰おうではないか。
『もう、お兄ちゃんってばぁ~。早く起きてくれないとイタズラしちゃうぞ』
ふっ、イタズラか……
可愛い妹のイタズラなど、兄の大きな心で受けとめて―― って、あれ?
急に甘い香りも耳元の気配も、すぅ~っと消えてしまった。夢の時間はもう終わりなのか?
短い夢だっ――
「さぁ~、キューティー真琴選手、トップロープに登ったぞーっ!」
…………えっ?
「そして高々と腕を上げて、大きく回した! 翔ぶのか? 翔ぶのかっ!? 翔んだぁぁーっ! ム~~~~ンサルトプレスだぁぁぁぁーーっ!!」
って、ちょっと待て~い!
オレは布団をはねのけ、慌てて起き上が――
「ジャストミィィィィィィトッ!!」
「グフッ!!」
慌てて起き上がろうとしたオレは、頭上にある窓枠から舞い落ちるメイド服に目を奪われ硬直してしまい、その後方回転式ボディプレスをまともに浴びてしまった。
まぁ正確には、メイド服のひらめくスカートの隙間から一瞬だけチラリと覗いた、白と緑のストライプに目を奪われたのだけど……
自分の動体視力の良さが呪わしい…………しかしグッジョブッ!
「おはよう、お兄ちゃん♪」
覆い被さるようにオレの上に乗り、満面の笑みを浮かべているその可愛い顔には見覚えがあった。
「お、おはよう真琴ちゃん……」
そう、そこにあったのは、オレのちょっと歳が離れた幼馴染みの顔だ。
「とりあえず色々聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「うん♪」
フワリと薫る甘い香りと、すぐ間近にある笑顔に内心ドキドキしながらも、動揺を隠して平静を装うオレ。
「え~と……そのメイド服は何?」
「おおっ! さすがお兄ちゃん! 最初にそこへ目を着けるとは」
何がさすがなのかは、とりあえず置いといて、確かにもっと先に聞く事が有るだろ、オレッ!
どうやって入ったの? とか、さっきのは何? とか!
「んとね、この服は響華さまのところのメイドが使っているメイド服を借りてきたの。似合う?」
「う、うん……似合っているかな……?」
「なんか反応がビミョーだな……」
ちょっとふてくされる真琴ちゃん。しかし、似合うも似合わないも、覆い被さられているのでよく見えないし――
「じ、じゃあ、さっきのは何?」
とりあえず話しを変えるべく、本来なら先に聞くべき事を尋ねてみる。
「あれは、プリンセス友子さん直伝! 48の幼馴染み起こし技の一つ、ムーンサルトプレス♪」
なるほど、謎は解けた……
全ての元凶は奴か……おそらく合鍵を渡したのも奴だろう。
しかし、窓枠からベッドにムーンサルトプレスを敢行するとは……
子供の頃、オレや姉さんに引っ張り回されただけあり運動神経は抜群だ。
「いや~、今までお兄ちゃんには幼馴染みらしい事をして来なかったから、幼馴染みらしく窓際から優しく起こしてみました。ちなみにメイド服はサービスです♪」
いや、優しくないよ! 全然優しくないよっ! 朝からムーンサルトプレスで起こす幼馴染みなんて初めて聞いたよっ!
でもまぁ…………いいものを見せて頂いたので、それは良しとしておこう。
「それで、妹系幼馴染みに起こされるのは、いかがでしたでしょうか? お兄さま?」
「とりあえず、おも――」
「重いって言ったら――もぎ取るよ、お兄ちゃん……」
な、ナニを!?
突然目を見開いて、三白眼のヤンデレ顔でオレを見下ろす真琴ちゃん……
「おも……おも、思ったより、いい目覚めだったかな……」
「アハハハ♪ ありがと、お兄ちゃん」
まるで百面相のように、真琴ちゃんの顔がコロっと笑顔に変わる。
「とゆうか、今練習中のヤンデレ真琴モードはどうだった? ちゃんとヤンデレっぽく見えた?」
今練習中? ぽく見えた? って……今のは演技なのか?
もし演技だと言うのなら、アカデミー賞モノだ。
朝はヤンチャな暴れん棒で、オレの言うことなんて聞きやしない身体の一部が、脅えて縮み上がっているし……
「ま、真琴ちゃんに、ヤンデレは似合わないんじゃあないかな……」
「そっか……ケッコー練習したのになぁ……」
「練習したヤンデレなんかよりも、お兄ちゃんは笑顔の真琴ちゃんが好きだな……は、はは、あははは……」
どんな練習をしているか知らないけど、はっきり言ってあのヤンデレは危険だ。変に覚醒される前に練習を止めさせなければ!
「分かった、ヤンデレの練習は止めよう」
「そうそう。ついでにムーンサルトプレスも止めようか? あれは、真琴ちゃんも危ないから」
それに今日はたまたまチラリと見えたけど、次も見えるとは限らないし。
「分かった、じゃあ次はステップオーバー・トーホールド・ウィズ・ フェイスロック、約してSTFでっ!」
「それもヤメなさい」
「なんでぇ~? STFなら、背中に胸とか当たっちゃうよ?」
「…………それでもヤメなさい」
「あっ! いま少し考えた! お兄ちゃん考えたよねっ!? キャハハハハ♪」
「考えてません……」
と言いつつ、視線を反らすオレ……
てゆうか、こんな至近距離で話しているのに、全く警戒なんてしていない真琴ちゃん。
オレの事を未だに『お兄ちゃん』と呼ぶだけあり、男として認識されてないのだろうか……?
ちょっと頭を動かせば、頭突きも――キスも出来る距離。
オレの方は、この距離に動揺を隠すのでいっぱいいっぱいだというのに……
昔は、本当の妹のように思っていた真琴ちゃん。
正直、当時は真琴ちゃんに女の子を意識したことはなかったと思う。しかし、数年の時間を置いて再開した真琴ちゃんは、とても可愛くなり、魅力的な女の子に変わっていた。
そんな真琴ちゃんに、兄として慕われるのは嬉しいけど、男として認識されてないのは、やはり寂しいものがあるなぁ……
って、こんな事を考えている時点で、兄役失格だ!
てか、この距離が悪い。少し距離を離して冷静にならなくてはっ!
「真琴ちゃん。もう起きるから、とりあえず降りて――」
覆い被さる真琴ちゃんに声を掛けながら両肩に手を置いた瞬間、不意に部屋のドアが開いた――
「ちょっと真琴さん。先生を起こすのに、何分かかっております…………の?」
開いたドアの先に立つ人物――
真琴ちゃんの肩越しに見える、真琴ちゃんと同じメイド服を纏い、右手に包丁を持つ、長い黒髪の美女。
その綺麗な黒髪には、やはり見覚えがあった。
「お、おはよう……響華さん」
そう、そこに立って居たのは、我が校の絶対無敵生徒会長様……
「おはようございます、南先生……それで、お二人は何をしておりますの?」
包丁を妖しく光らせ、笑みを浮かべながら背後に黒いオーラを漂わせる響華さん。
な、何をしてるって……?
てか、響華さんには、何をしてるように見えているのだろうか?
仰向けのオレに覆い被さる真琴ちゃん。真琴ちゃんの両肩に手を置くオレ。そして二人の顔は頭突きが出来るくらいに近い……
結論――彼女は誤解をしている。
「え、え~と……と、とりあえず誤解をしているみたいだから、話を聞いてもらえる……かな?」
上に乗る真琴ちゃんを抱えるようにして、あわてて上体を起こす。そして、恐る恐るといった感じで響華さんにお伺いを立てるオレ。
「お話……? ええ、いいですわよ――ぜひとも納得がいくお話を聞かせて頂きたいものですわね……」
「おおっ! リアルヤンデレだっ!」
唇を吊り上げ不敵に笑うその姿は、正に真琴ちゃんの言葉通りのリアルヤンデレ……
ど、どうする……? ここで会話の選択肢を間違うと、BAD END……いや、DEAD ENDでも不思議じゃない雰囲気だ。
オレは慎重に言葉を選んで――
「そのメイド服――似合ってるね」
って! なに言ってんだオレッ!
「おおっ! さすがお兄ちゃん! この状況でも、そこに目を着けるとはっ!! さて、どうでしょうか? 響華さまは今の言葉で納得して頂けたのでしょうかっ!?」
オレの膝の上に乗る、空気を読まない――とゆうか、あえて読んでいないような真琴ちゃんのナレーション。
当然そんな言葉で納得してくれる訳もなく、響華さんは黒い笑顔のまま、頬をヒクヒクと引きつらせている。
「い、一応、誉め言葉として受け取っておきましょう……それで、言いたい事はそれだけですの?」
ま、まずい……とりあえず言い訳っ! 何か言い訳を――
「そ・れ・だ・け・で・す・のっ!?」
「…………………………はい」
言い訳の言葉…………見つかりませんでした。
「そうですか。でしたら――」
頬を引きつらせた笑顔の響華さん。そこで一旦言葉を区切り、息を大きく吸い込むと――
「早く離れなさぁぁぁぁぁぁぁーいっ!!」
早朝の安アパート中に、良く通る澄んだ怒声――もとい、美声が響き渡った。
隣の部屋に住んでる三浪中の浪人さん。朝から騒がしくてごめんなさい。
 




