第五局 そして、さっそく別のお話し―― 二本場『その優秀さが呪わしい』
「……………………………………………………………………………………はっ! わたしはいったい何をっ!?」
お、おかしい? パソコンの前に座ってからの記憶が飛んでいる……
目の前にあるパソコンはスクリーンセーバー作動して、画面にはMindowsの文字が踊っていた。
確か何もしなければ、五分でスクリーンセーバーが作動するように設定してあるはずだから、少なくとも五分以上は記憶が飛んでいるということだ。
どうしたのだろう? 最近寝不足で疲れ気味のせいだろうか?
そんな事を考えながらマウスに触れると、直ぐに画面が切り替わった。
「ふぅ……………………って、いけないいけないっ!」
画面を見て再び意識を失いそうになるわたし。
しかし、今度は何とかそれに耐える事ができた。そして、そのショックでわたしは全てを思い出した――
わたしは例の言葉を検索して、その衝撃の結果が映し出された画面を見て、思わず意識を失ってしまったのだ。
その、画面に映し出された衝撃の内容とは――
『縞パンとは――縞々パンツの略称で、紳士の被り物であると同時に淑女の下着でもある。
しかし学術的に縦縞のパンツは縞パンとは認められていない。なぜなら縦縞のパンツは、男性が穿くものだからだ。
縞パンとは、女子最後の着衣にして男子永遠の聖域である』
……
…………
……………………落ち着け、落ち着くのよ響華。
インターネットの情報というのは、過分に虚偽の情報が混ざっていると南先生も言っていた。一つのサイトの情報だけを鵜呑みするのは危険過ぎる。
そう自分に言い聞かせ、わたしは画面を検索一覧へと戻した。
そして先ほど見たサイトの、一つ下にあるサイトをクリックする――
「はうっ!?」
画面に映し出された文章に思わず後ろに仰け反り、座ったまま後ろへと倒れそうになる。
しかし、すんでのところで何とか堪えたわたしは、もう一度画面に映し出された内容を読み直した――
『縞パンとは縞模様のパンツの事である。なぜ縞パンが大きなお友達のみんなに好まれるのかといえば、この等圧線のような模様が少女たちのお尻の形状をハッキリと、そして立体的に浮かび上がらせるからだと考えられる。
ちなみに、どうしてここで少女たちと限定したのか? それは大人の女性が年甲斐もなく縞パンを穿いていた場合、グーで殴られても文句は言えないからである。
また、最近の動きが早いアニメにおいて、白いモノがチラっと見えただけではパンチラだと気付かれないケースがある。しかしこれを縞模様にする事により、パンチラである事をアピールする事ができるのだ。
しかし、アニメの主人公が縞パンを見ると、もれなく蹴りも付いてくる――』
「…………」
な、なんてことを……
知らなかったとはいえ、わたしはなんてことを、しようとしていたのだ?
こんな物を……こんな恐ろしい物を、あの人に贈ろうとしていたなんて……
モニターに映る縞模様の下着を身に着けた少女のイラストを、虚ろな瞳で茫然と眺めるわたし。
背筋に冷たい汗が流れ、マウスを持つ手は小刻みに震えていた……
「って! こんなところで呆けている場合ではないですわっ!!」
わたしは慌てて辺りを見回した。
「け、携帯……わたしの携帯電話は……?」
しかし、目につく範囲に、お目当ての携帯電話は見あたらない。
え、え~と、最後に携帯電話を使ったのは……
「っ!!」
わたしは勢いよく立ち上がり、リビングへと走った。
そしてソファーの上に置いてあった、見慣れたスマートフォンを掴み、電話の発信履歴から彼女の携帯へ急いで発信する。
焦る気持ちを抑え、わたしはその薄い機体を耳に当てた。
ほどなくして聞こえてくる、呼び出しを知らせるコール音。
しかし、まるで示し会わせたかのように、同時に玄関のドアが開く音が聞こえて来る。
「ただいま戻りました――」
わたしの携帯から聞こえてくるコール音と、リンクするように聞こえてくる呼び出し音。その音が徐々に大きくなり、リビングの扉がゆっくりと開かれた。
「申し訳ありません、お嬢様。ちょっと手が離せずに、電話に出られないのですが――何かご用があったのでしょうか?」
リビングに現れたつばめの姿に、思わず目を奪われるわたし。
上手く言葉を発する事ができずに口をパクパクさせながら、手探りでスマートフォンの通話終了を押すと、そのまま崩れるように両膝を着いた。
部屋を出てから、僅か数時間で帰ってきたつばめ。
しかし、その両手には大きめのダンボール箱が五箱、バランスよく積み重なっていたのだ。
一度、大きく深呼吸をしてから、なんとか声を絞り出すわたし――
「い、一応確認しますけど――そのダンボールの中身は――」
「はい、お嬢様ご所望の縞パンでございます。近隣のブルセラショップとお屋敷。ついでに別邸と分家の方も回って、かき集めて参りました」
そんな説明をしながら、持っていたダンボールを床に置いて、ニッコリと微笑むつばめ。しかしその答えに、わたしは両膝だけでなく両手も地に着いてしまうのだった……
確かにつばめは、とても優秀なメイドである。そして使用人が優秀だということは、主人にとって喜ばしく誇らしいことである。しかし今は――
その優秀さが呪わしい……
「ね、ねぇ、つばめ……?」
「なんでございましょう。お嬢様?」
まさに、与えられた仕事をやりきったと言わんばかりの笑顔。その笑顔があまりにも眩しすぎて、わたしは視線を逸した……
「え、え~とね……あれから色々と考えたのだけど、その……そ、それを贈るのは、やめようと……思っているの……」
「はあ……?」
「そ、それでね……悪いのだけど、そ、それは……返品して、もらえ、ない……かしら?」
「返品……でございますか?」
どんどん語尾が小さくなっていく声……
ああぁ……わたしは何を言っているのだろう?
せっかくつばめが、こんな遅い時間に頑張ってくれたというのに、わたしはそれを全てムダにしようとしている。
こんな事、上に立つ者として失格だ。
でも……
「こ、ここに置いておいても仕方ないし……捨ててしまっては、譲ってくれた方々に申し訳が――」
「お顔を上げて下さいまし、お嬢様……」
「………………」
目も合わせられず、リビングの床にへたり込んでいるわたしに、つばめは視線を合わせよう片膝を着いた。
「西園寺の人間が使用人の前に膝を着くなど、あってならない事でございますよ」
ゆっくりと語りかけるような言葉に、顔を上げるわたし。そしてそこには、優しく微笑むつばめの顔があった。
「わたくしはお嬢様付きのメイドである事を、とても嬉しく、誇りに思っています。そしてそのお嬢様が望むのであれば、どんな事でも叶えるのがメイドの務めというものです」
「つばめ……あなた……」
「お嬢様……出来るメイドというものは、お嬢様が望むのなら空を飛ぶ事だって、湖の水を飲み干す事だって出来るものでございます。でも今は、これを返してくる事と――」
つばめは傍らのダンボールをポンと叩いて一旦言葉を区切ると、まるで手品のように握った掌から小さな花を取り出して、わたしに差し出した。
そしてわたしがその花を受け取ると――
「これが精一杯でございますけれども」
そう言いながら、わたしの持つ花から小さな万国旗を伸ばしていくつばめ。
「まったく、あなたという人は……」
さっきまでの申し訳なく心苦しかった気持ちが、一気に吹き飛んでしまった。微かにだけど、わたしの顔にも笑みが戻ったような気がする。
「覚えておいて下さいお嬢様。お嬢様の意思がわたくしの意思。そしてお嬢様の幸せが……わたくしの幸せなのでございます」
「――――!!」
その言葉に思わず涙があふれそうになった。
こんなにも主思いのメイドが他にいるだろうか? わたしは本当恵まれている。
「ところでお嬢様。話しは変わりますが――一つ私的なお願いがあるのですけど、よろしいでしょうか?」
「お願い? なんでも言ってちょうだい。わたしに出来る事なら何でもするわ」
それに、つばめにかぎって無理なことを願い出るなどはないでしょう。
「ありがとうございます。実は来月の第三土曜と日曜の二日間、有給を頂きたいのですが……」
「有給? そのようなもの、二日と言わず五日でも十日でも好きなだけ持っていきなさい」
今回の働きに、二日の有給では安すぎるくらいだ。
「ありがとうございます。わたしが留守の間は、いつものように本家の方から千鳥が参りますので。至らないところもあるとは思いますが、よろしくお願い致します」
千鳥――摘込千鳥か。
まだ若くて少しドジなところもあるけど、彼女なら問題ないだろう。
「それではお嬢様。わたくしはコレを返してまいります」
そう言って立ち上がると、積み重なるダンボールに手を置いた。
でも……
「つばめ。もう遅いですし、明日でも――」
「お嬢様っ!」
少し怒ったような表情でわたしの言葉を遮り、座り込むわたしの顔を腰に手を当てながら覗き込むつばめ。
これではまるで、母親に叱られている小さな子供のようだ。
「今日出来る仕事を明日に回すのは、無能なメイドのすること。そして西園寺のメイドに無能者など一人も居ないのでございます」
つばめはそいう言って、冗談ぽく笑った
本当に彼女にはかなわない……これではどちらが主人か分らないではないか。
わたしも彼女に負けないよう、しっかりしなくては……
「では、わたくしは出掛けますけど、お嬢様は明日学校なのですから、もうお休みになって下さいませ。よろしいですね?」
「えっ? で、でもまだ調べモノが……」
「よ・ろ・し・い・で・す・ねっ!」
「うっ…………はい」
本当に、どっちが主人なのかわからない……
まだ調べたい事はあったけど、今日は縞パ――あの下着の事だけで我慢しましょう。
でも……
わたしはつばめの隣に積み上げられたダンボールを見上げた。
あれが全部、女性モノの下着なのか……
「ねぇ、つばめ? その中には新品の物はないのかしら?」
「新品でございますか? なるほど……贈るのは止めて、お嬢様自身がお身着けになり、その殿方へお見せになるという事でございますね」
「――――!!」
つばめの言葉に血流が一気に頭へ上がり、顔が紅潮する。
「確かに良いアイディアかと――」
「な、ななな、なにを言ってるの、あ、あな、あなたはっ!? 見せるってあなたっ! た、確かに身に着けようとは思っていましたけど、み、みみみ、見せようだなんてそんな! い、いえ、決して見られるのがイヤと言うわけではないのですが、む、むしろ機会があれば……ってなにを言ってますのわたしはっ!」
「落ち着いて下さいお嬢様。みなまで言わずとも分っております。というか、本音がダダ漏れでございます」
「ううぅ……」
つばめを見上げて、頬を膨らませるわたし。
すっかり取り乱して、言わなくてもいい事まで言ってしまったような気もする……
そんなわたしの態度にもまったく動じる事もなく、つばめは重なったダンボールの一番上にある箱のフタをあける。
座っているので箱の中身は見えないけれど、つばめはそこから小さな手提げの紙袋を取り出して、わたしに差し出した。
「これは?」
「こんな事もあろうかと用意した新品の上下セット。サイズはお嬢様のモノでございます」
こんな事もあろうかとって……本当に彼女は何でもお見通しだ。
「ただ、カラーリングに関しては正直申し上げて白と緑や白と水色は、あまりお嬢様には合わないかと存じます。ですから、わたくしの方でお嬢様に似合う色を見繕っておきました。お嬢様とこの縞パンの黄金コンビなら、どのような殿方のイチコロでございます」
「イ、イチコロって、あのね……」
「ちなみに最初に見せる時はチラっと、縞のラインを2~3本くらい見せるのがコツでございます」
「いや、だからあのね、見せる機会などない――」
「何を言っております、お嬢様っ!」
突然つばめは真剣な表情を浮かべ、再び片膝を着いてわたしの両肩を掴む。
そして、まるで睨むように、わたしの目を見つめてくる……
「良いですか? 信じてさえいれば、必ず神風が吹くものでございます」
「か、神風……? あの神道に伝わる?」
「はい。古くは日本書紀の垂仁紀において、倭姫命が天照大神から受けた神託に登場するモノです。しかし近年、管理する神様が代わりまして、今は幸運助平乃神が管理しております」
「幸運……助平乃神?」
「はい。またの名を幸運助平乃神とも言います――正に今! この時! この瞬間しかないっ! というタイミングで、理論上有り得ない上昇風を吹かせる神様で、日本中の……いえ世界中のカメラ小僧たちに崇拝されている神様でございます」
古典の神話だけでなく、近代の神話や神道の事まで知っているなんて……
さすが西園寺家に選ばれて、わたしの家庭教師を勤めるだけの事はある。とても博識だ。そしてその彼女が選んだというのだ、この縞パ……いえ、下着のデザインも間違いないのだろう。
「そういうわけでお嬢様。自分を信じて、己の道をひたすらに、歩いて明日を魁て下さいまし」
「え、ええ……よく分らないけど、分ったわ」
「はい、今はそれで十分でございます」
つばめは満足そうに笑顔で立ち上がると、五つのダンボールを軽々と持ち上げた。
「では今度こそ、本当に行ってまいります」
「ええ、気を付けて。わたしも明日に備えて休む事にします」
「結構です」
ニッコリと笑ってからリビングを後にするつばめ。その背中を見送ってから、わたしはさっきの紙袋をしっかりと胸に抱いて、軽い足取りで自室へと引き返した。




