第五局 そして、さっそく別のお話し―― 一本場『紳士達の集う店』
「つ、疲れました……」
寮の駐車場に到着して、リムジンを降りたわたしの第一声がそれだった。
あのあと、友子さん主催のガールズトークに参加したわたし。
大変に興味深い内容ではあったけど、精神的疲労が尋常ではない……いや、これはもう疲労というよりダメージだ。
そして更に、保健体育で教わった内容は、実戦においてあまり役に立たないという事も思い知らされた。
ガールズトーク――恐るべし……
「送ってもらってありがとうございました、響華さま♪」
わたしに続いて、車を降りる真琴さん。憔悴しきったわたしとは対称的に、ナゼか頬がツヤツヤとしていた。
本当に、わたしと彼女の違いとは何なのだろうか……?
「響華さま、明日は6時集合ですから遅れないで下さいね。では、ごきげんよう~!」
そう言い残して、二年生の寮に向かって走り去る真琴さん。
本当に元気だ……
わたしはその背中を見送ってから、自分の住んでいる寮へと歩き出した。
十二階建てマンションタイプの学生寮。A棟からF棟までの6棟が、高台にある学院下の斜面に並んで建っている。
A、B棟が三年生。C、D棟が二年生。E、F棟が一年生という振り分けだ。
部屋の間取りは2LDK。
これは生徒や父兄たちから、身の回りの世話をする使用人を傍へ置けるようにして欲しいとの要望があり、各部屋が二間になったらしい。
事実、ほとんどの生徒がメイドと生活を共にしているし、一部の学生は学院内までメイドを同行させている。
かく言うわたしも、部屋ではメイドが一人、わたしの帰りを待っているはずだ。
わたしはこの寮の造りや体制について何の疑問も違和感もなかったけど、南先生に言わせれば、こんなのは学生寮じゃないらしい。
寮や下宿というものは、木造二階建てで、ヒヨコのエプロンを着けた美人の管理人が竹箒で庭を掃除しているモノらしい。
更に管理人が未亡人なら完璧っ!! と熱く語っていた。
そんな些細な事を一つ取っても、わたしと彼の感覚には大きな隔たりがある……
と、いけない、いけない!
わたしは、寮の入り口に立ったところで首を振った。
寮に入れば、どこで学院生と会うか分からない。西園寺の娘としても、生徒会長としても、こんな情けない姿を学院生には見せられない。
大きく深呼吸をして背筋を伸ばしてから、オートロックの暗証番号を押した。
中に入ると一階のロビーにある談話スペースで、メイドを侍らせた三人のクラスメートがお茶を楽しんでいた。
上辺だけの笑顔で、当たり障りのない挨拶を交わしてから、わたしはエレベーターに乗り込み最上階のボタン押す……
「確かに、こんなのは友達じゃない……」
そんな事を独りごちりながら、自室がある『1201』号室を目指すわたし。
最上階角部屋にあたる『1201』号室。わたしはカバンを左手に持ち直し、インターフォンを押した。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
ほどなくしてドアが開かれ、一人のメイドが仰々しく頭を下げながら、わたしを出迎えた。髪をきっちりとアップに纏め、一部の隙もない姿勢で立つ妙齢女性。
名は返仕つばめ。祖母の代から西園寺家に仕えている優秀なメイドで、わたしのボディガードと家庭教師も兼ねている。
切れ長の瞳に整った顔立ち、そして均整の取れたプロポーション――わたしの目から見ても、綺麗な大人の女性といった感じだ。
なぜ妙齢などという言葉を使ったかと言えば、実年齢を知らないからである。何度聞いても『二十代です』としか答えてくれないのだ。
ただ、嫌いな言葉は『四捨五入』と『適齢期』。好きな言葉は『仕事と趣味が恋人』と言っていた。
「ご苦労様。ただいま帰りました」
そう声をかけて、リビングを抜け自室へと向かう。カバンを受け取り、わたしに付いて自室に入って来るつばめ。
わたしが部屋の真ん中で立ち止まると、つばめは手馴れた手付きでわたしの制服を脱がせ、きれいに折り畳んでいく。
そう、趣味といえば、彼女は趣味も変わっていた。
なんでも『ヤマもオチもイミもない薄い本』を集める事だという。そんな本を読んで面白いのだろうか?
何度か薦められた事があるけど、興味のなかったわたしは、まだ読んだことがない。
でも先生と知り合ってから、わたしは自分の見識の狭さを痛感していた。なので次に薦められたら読んでみようとも思っている。
そんな事を考えているうちに、わたしはあっという間に部屋着へと着替えさせられていた。
「では、お嬢様。すぐに食事の用意が整いますので、ダイニングにいらして下さい」
優秀な彼女の事だ。食事の下ごしらえは、もう終わっているのだろう。
先を歩くつばめと一緒に自室をあとにして、ダイニングにあるテーブルの席に着いた。
カウンターキッチンの中で、テキパキと食事の準備をするつばめ――
「ね、ねえ、つばめ?」
わたしは、ちょうど冷蔵庫の中を覗き込んでいたつばめの背中に声かけた。
「なんでございましょう、お嬢様?」
「あなた、縞パンというものを知っているかしら?」
直後、『ゴツンッ!』という大きな音が聞こえてきた。
「いつっっ……」
「ち、ちょっとあなた、大丈夫!?」
「だ、大丈夫でございます……」
額を押さえながら涙目で振り返るつばめ。どうやら冷蔵庫に額をぶつけたらしい。
「で、お嬢様……なにを知っているのかと言われました?」
「えっ? ですから、縞パンというものを知っているかと……」
わたしの言葉に怪訝そうな表情を浮かべるつばめ……
アレ? わたしは、何か変なことを聞いているのだろうか?
「い、一応、存じてはおりますが……それが、どうかなさいましたか?」
「え、え~と……女性が男性に贈ると、大変に喜ばれるモノだと聞いたのだけど――違うのかしら?」
「えっ? ええ、まあ……その認識も、あながち間違いではありませんが……」
「そう、なら良いのだけど――」
今一つ歯切れの悪いつばめに釈然としないものを感じながらも、わたしは話を続けた。
「それで、お世話になっている男性の方に、その縞パンというモノを贈ってみようと思うのだけど、どうかしら?」
わたしの話しに、つばめの表情が怪訝そうな顔から呆けるような顔に変わる。
もしかしてわたしは、何かとんでもない勘違いをしているのだろうか……?
そんなことを考えて少し不安になっていると、急につばめの表情が変わった。
「――なるほど……いや、むしろこれはチャンスなのでは?」
つばめは、突然なにかを思いついたような真剣な面持ちで、ブツブツと独り言を始めた。
「ち、ちょっと、つばめ……急にどうしたの?」
「いえ、なんでもありませんよ、お嬢様――そうですねぇ。お嬢様のような淑女からそのような物を贈られれば、どんな殿方でもお喜びになるでしょう」
「そ、そうかしら……?」
わたしの問い掛けに、先ほどまでとは打って変わって、とても晴れやかな満面の笑みを浮かべるつばめ。
まるで自分自身にとても良いことがあったかの様な笑顔には、少しし引っかかるモノがあるけど、今はとりあえず話しを進めよう。
「それで、その縞パンというものは、この時間でも入手出来るものなのかしら?」
「可能かと思いますよ」
つばめは再び食事の準備を始めながら、明るい口調で返事を返してきた。
時刻はすでに午後9時を回っている。普通のお店なら、すでに営業時間外であろう。
その縞パンを取り扱うお店というのは、こんな遅くまで営業しているのだろうか?
「むしろブルセラショップは、これからの時間がカキ入れ時でしょうから」
「ぶ、ぶるせらしょっぷ?」
また初めて聞く言葉が出できた……
ただ、南先生たちとは違い、つばめはわたしの家庭教師でもある。分らないことは、その場で聞けばいいのだ。
「そのブルセラショップというのは、どういうお店なの?」
「そうですね。簡単に申しますと――」
フライパンから何かをお皿に移しながら、少し考えるように言葉を区切るつばめ。
「経済的に困窮している少女たちへ、救いの手を差し伸べる紳士たちが集うお店――と、いったところでしょうか」
「そ、そんな素晴らしいお店が……? それは、この近隣にもあるんですの?」
「はい。ただ時代の流れと共に、最近ではめっきり数が減ってしまったようですが……」
「な、なんてもったいない――」
この世知辛い世の中で、そんな立派なお店が姿を消していくなんて……
これも長引く経済不況の影響なのかしら?
「つばめ! もし、店主に会ったなら伝えなさい。融資や援助が必要ならば、西園寺グループが全面的にバックアップすると」
「いや、消えているのは経営的な問題ではなく、条例的な問題なんですけど……」
わたしの言葉に、つばめは小さい声で何かを呟いた。
「何か言いました?」
「いえ、なんでもありません。店主にお会いしましたら、伝えておきます」
つばめはニッコリ笑いながら、慣れた手つきでテーブルに料理を並べていった。
「それにブルセラショップだけでなく、メイドたちも持っている者はたくさんおりますし、お屋敷の方に詰めているメイドたちに連絡すれば、結構な数が集まると思いますよ」
メイドたちも、普通に持っている物なのか……それを知らないなんて、本当にわたしは世間知らずだ。
いや、でも――
「ちょっと待ちなさい、つばめ。メイドたちの物って、あなたそんな中古品を贈り物にする気ですか?」
どんな物かは知らないけど、人が一度使った物を贈るなんて――
そう思っていたのだけれど、わたしの言葉につばめは眉をひそめ、ゆっくりと首を振った。
「何をおっしゃいますお嬢様……縞パンという物は、使い古せば古すほどに価値が出る物でございます。逆に新品の縞パンなど、殿方には何の価値もございません」
古い方が価値がある?
「それは骨董品のような物。という事なのかしら?」
「そうですね――確かに一種の美術品や工芸品と言えなくはないですし、古い方が価値があるという意味では、骨董品に近い物ではあります」
う~ん……ますますどういった物か分からなくなってきた。これはもう、本日の調べモノ第一号はこれに決まりだろう。
「いかがなさいますか、お嬢様? お嬢様が望むのであれば、これからブルセラショップやお屋敷を回って、縞パンをかき集めて参りますが?」
「そうね……お願いできるかしら?」
善は急げと言うし、こういう事は早い方がいいでしょう。
「かしこまりました――お食事の方は、お済みなられましたら、そのままにしておいて下さいませ。帰りましたらわたくしが片付けますので」
「ええ、わかったわ」
「では、さっそく行って参ります」
「あっ、そうだ。つばめ――」
テーブルへ食事を綺麗に並べ終え、淑やかにお辞儀をしてから下がろうとするつばめを呼び止める。
「なんでございましょう?」
「もし可能であるなら、白と緑色の物を多めにお願いしたいのだけど、出来るかしら?」
「白と緑ですか……? なかなかに渋い趣味をお持ちな殿方のようでございますね」
友子さんが、先生が好む傾向のあると言っていた組み合わせ。それに対し、つばめは真琴さんと同じ感想をもらした。
「そういうものなの?」
「はい。きっと隠れアキバ系で、マイナー愛に通じるものをお持ちの殿方なのでしょう」
今度は友子さんと同じことを言う――
「本当に……あなたはなんでも知っているのね」
「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ。By羽○つばさ」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。でも――その殿方に同じことを言えば、きっとわたくしと同じ言葉を返されると思いますよ」
「はぁあ……?」
いたずらっぽく笑うつばめ。
でも、会ったこともない男性のことを、白と緑の縞パンが好きという情報だけで、そんなことまで分るものなのだろうか……?
「ではあらためまして、行って参ります」
「ええ。遅い時間なのですから、気を付けて行くのですよ」
「はい。ご心配、痛み入ります」
そう言って、部屋を後にするつばめを見送るわたし。
そのあと食事と入浴済ませ、リビングで携帯電話のメールをチェックし、宿題を終わらせる。そしてようやくパソコンの前に座ったとき、時刻は午前0時を回ろうとしていた。




