第四局 Tomo・Yashima作戦 二本場『アジのひらき』
「こちらでございます」
白で統一された廊下。その途中にある同じく白い扉の前で、白衣を着た初老の男性は仰々しく頭を下げた。
大学病院の入院病棟の一角。扉の横にあるネームプレートには複数の名前があり、ここが大部屋なのだろうというのが分かる。
そして、その名前の中には、お目当ての人物である『南友子』という名前もあった。
入って右手、一番手前のベッドのようだ。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ滅相もありません。くれぐれもお父様によろしくお伝え下さいませ。それではわたくしは、これで失礼させて頂きますので、ごゆっくりしていらして下さいませ」
そう言って、もう一度深々と頭を下げてから立ち去る初老の男性――
「いや~、西園寺のネームバリューはさすがですね♪」
そんな事を言いながら、笑顔で白衣の後ろ姿を見送る真琴さん。
その真琴さんの要望通り、リムジンで三六九万石に寄ってから病院にたどり着いたわたし達。ただ、面会時間を少しだけ過ぎてしまっていた。
その事を受け付けで伝えられたわたしは明日にでも出直そうと考えていたのだけど――
『すみませ~ん。西園寺家ご息女の響華様が、直々にお話しがあるので、院長先生に取り次いでもらえませんか? アポ? 当然取ってありますよ――えっ? 聞いてない? あっれ~、おかしいなぁ~。とりあえず院長先生に、西園寺のお嬢様が来ていると連絡してみて下さい』
などと、受け付けの女性へフレンドリーに話し掛ける真琴さん。
それからモノの三分もしないうちに、全力疾走で走ってやって来た院長先生。それが先ほどの初老の男性だ。
「まったく……こういう事は、これっきりにして下さいね」
「分かってますよ。わたしも、こういう権力を笠に着たやり方は好きじゃないですから。でも今回は非常事態だし、許して下さい」
軽い感じで答える真琴さん。本当に分かっているのだろうか?
「じゃあ、時間もないことだし、そろそろ行きましょ」
「えっ? ちょっとま……」
言うが早いか、真琴さんはドアノブに手を掛けて、ノックもせずに扉を開いた。
南先生のお姉さんに、初めて会うというのである。緊張もしているし、心の準備もまだ出来ていないというのに……
「友子さ~ん、来ましたよ♪」
しかし、そんな事はお構い無しに、ズカズカと病室に入って行く真琴さん。
この子は本当にお嬢様なのだろうか?
そんな事を考えながら、わたしも意を決して真琴さんの後に続いた。
「し、失礼致します……」
大部屋の病室というのは初めて見るけど、足を踏み入れた病室は予想よりもずっと狭く感じられた。
ベッドを囲むカーテンがほとんど閉じられているので、余計にそう感じるのかも知れない。
カーテンの区切りの数を見るに、ベッドの数は片側三つずつ、向かい合わせに置かれていて計六つ。そしてそのうち五つのベッドのカーテンが閉じられていたのだ。
そして、唯一カーテンが開いているベッド――右側の一番手前のベッドにいた女性を見た瞬間、わたしの心臓は大きく跳ねた。
「よっ、らっしゃい」
読んでいたマンガ雑誌から顔を上げて、屈託のない笑顔を浮かべる女性……
その姿は、わたしの知る南先生と瓜二つだったのだ。
似ているとは聞いていたけど、ここまでソックリとは……
「友子さん、具合はどうですか?」
ベッドの前で立ち竦むわたしを余所に、丸椅子に腰掛けて楽しそうに話しかける真琴さん。
「ああ、元気元気っ♪ 元気過ぎて夕食のプリン、四個も食べちゃった」
この時、ほかのベッドからカーテン越しに、三人分の舌打ちが聞こえて来たのはナゼだろう?
「で、そちらの美人さんが西園寺の響華ちゃんかい?」
「えっ、は、はい! 初めまして、西園寺響華です。え、えと……あの、え~と……」
「ハハハ、友子でいいよ。響華ちゃん」
突然話しを振られて慌てるわたしに、とても暖かい笑顔で話す友子さん。
その優しい笑顔と声が南先生――友也さんと重なって、心臓が高鳴り顔も熱くなる。
「は、はい、友子さん……よろしくお願いします……」
「うん。こちらこそよろしく、響華ちゃん♪」
響華ちゃんなど呼ばれたのは、子供のとき以来だ。
でも、友子さんにそう呼ばれるのは、嫌な感じではない。むしろ心地よく自然な感じだ。
「まっ、立ち話しも何だから響華ちゃんも座って――って椅子がないか? ねぇ、源さんっ! そっちの椅子貸してぇ!」
「アジのひらき……」
「はぁあ?」
友子さんが向かいのベッドの方に声を掛けると、カーテン越しに意味不明の答えが帰って来た。
これには、声を掛けた友子さんも首をひねる。
扉の横に貼ってあった患者名を思い出すに、そのベッドは萬田源三郎と言う人だったはずだ。ちなみにその隣が高索銀次、その向こうが筒井政志となっていた。
「じゃから、朝飯のアジのひらきの件。チャラにするなら貸してやる」
「なっ!?」
驚きの表情を浮かる友子さん。
何を言っているのかは分からないけど、友子さんには通じているらしい。
そして、しばらく悩むように考えてから――
「たくっ、足元見やがって……わーたよっ、チャラでいい」
友子さんが了承すると、カーテンの下から丸椅子が三つ、そっと差し出された……って、なんで三つ?
「ちょっと待てっ! 銀さんと政さんには頼んでないぞっ!」
「何を言っておる! 源の奴ばかりズルいではないかっ!」
「そうじゃそうじゃ! それに朝飯からアジのひらきを取ったら何が残るっ!?」
同時に友子さんへ不満の声を上げる二人――声の感じは、全員がかなりご高齢のようだ。
「ハイハイ分かりました――まったく、食い意地張ったじいさん達だ……」
「「「お前がゆーなっ!!」」」
三人分の怒声に、ビクンっと肩を震わせるわたし。
しかし、当の友子さんも、先に椅子へ腰掛けていた真琴さんも、まったく動揺することなく平然とした顔をしていた。
「まあ、そういう訳だから響華ちゃん。選り取りみどり、どれでも好きな椅子に座ってよ」
「は、はあぁ……」
好きな椅子と言われても、多分病院の備品なのだろう。まったく同じ丸椅子である。
とりあえず、一番近くにあった椅子を受け取り、真琴さんの隣へ腰掛けた。
そんなわたしと真琴さんの顔を見比べるようにして、優しい笑顔を浮かべる友子さん。
そして、こちらの考えを見透かすように、わたし達の目を見つめながら話しを切り出した。
「で、さっき友也から電話があったから、来るんじゃないかとは思っていたけど……ずいぶん遅かったね?」
「へへぇ♪ ちょっと作戦会議をしていたもので」
「作戦会議ねぇ――さしずめ作戦名は『Tomo・Yashima作戦』ってところかな?」
「さすが友子さん! その通りです!」
な、なんで分かるのだろう? 本当にカッコ良い名前なのだろうか?
「じゃあ、一ついいことを教えてあげよう――縞パンは白と水色が一番人気で、それが王道だし友也も好きだろう。ただ友也の場合、若干だけど白と水色より白と緑を好む傾向がある」
「さ、さすがお兄ちゃん……二番人気の白とピンクを通り越して、三番人気の白と緑を好むとは……渋すぎる」
「これは一番人気より二番人気、三番人気のキャラが好き。マイナー時代は好きだったけど、メジャーになったら途端に冷める。というアキバ系の性――いわゆるマイナー愛に通じるものだと思われる」
「なるほど、参考になります!」
はい、参考になります! 何を言っているのかは、分かりませんけど。
真剣な表情で話し合う二人。
わたしは、ほとんど理解出来ない二人の会話に聞き入っていた。内容が南先生の好みの話しだ、当然だろう。
今日は帰ったら南先生の言葉だけでなく、友子さんの言葉も調べなくては――今夜は徹夜になるかもしれないわね。




