第三局 精神的外傷 二本場『首領の孫』
『ぷはぁーっ! この一杯のために生きてるなぁ!』
どの一杯だよ? まさか病室でビール飲んでいるワケじゃあるまい?
『ところで友也。その手紙の主は、なんて言う子だ? って言っても、あの学院に知っている子なんてほとんどいないけど』
そう言って、再び飲み物に口を着ける姉さん。そう言えば、名前を言ってなかったか……
オレもウーロン茶に一口だけ口を着け、封筒に書かれていた名前を再度確認する。
「えーと、北原忍さんって――」
『ブゥゥゥゥーーッ!!』
オレの言葉の途中で豪快に噴き出す音が携帯越しに届く。飲んでいたのが牛乳とかじゃなければいいけど……
『友子ちゃん、鼻から牛乳が出てる牛乳が』
同室の患者とか思われる、オッサンの声。やはり牛乳だったか。乾くと匂うんだよな……
「姉さん――大丈夫か?」
『ゴ、ゴホゴホッ……大丈夫じゃない……器官と鼻に入った――じゃなくて、北原忍だって!?』
『と、友子ちゃん……とりあえず鼻かみな、ホラ』
『ありがと、源さん――ちぃーーんっ!!』
相変わらず、どこに居ても周りに迷惑掛けてるな……
『ところで友也。その北原忍ちゃんっていうのは、一年生で小柄なショートボブの大人しそうな子か?』
「えっ? ああ、その通りだけど……知っているのか?」
的確に、北原さんの特徴を上げる姉さん。姉さんが、あの学院に真琴ちゃん以外の知り合いが居るなんて驚きだ。
しかし、姉さんの次のセリフで、オレの驚きが驚愕へと変わる事になる。
『いや、直接の知り合いじゃないけど、何度か遠くから見た事があるし、お前だって見た事あるはずだ――いいか? 北原忍と言えば、あの北原雄山のお孫さんだぞ』
「…………………………はい?」
一瞬、姉さんの言葉が理解出来なかった。
オレの知る北原雄山という人物と、北原忍さんのイメージがあまりにかけ離れていたから……
『いや、だから! あの北原十三段のお孫さんだ!』
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~っ!! マ、マジでっ!?」
北原雄山十三段――
実戦派として名高い北原流剣術の本家現当主にして、現代の侍や最後の剣聖などと呼ばれている剣豪。
なにより、その権力は剣術界のみならずに、日本武道界の首領などと言われており数々の武道大会に主賓扱いで招かれるほどだ。
オレ自身、北原雄山十三段は空手の大会で何度も見掛けた事がある。
そんなイカツイじいさんと大人しそうな北原さんとでは、二足歩行の哺乳類ということ以外の共通点など見当たらないし、とても血が繋がっているようには見えない。
ん? ちょっと待て――でも、北原十三段の孫なら……
「い、いや、それおかしい……確か北原流の家は武芸百般。男女関係なく武道に精通してるはずだろ? そんな子がチンピラに絡まれたくらいで、ビビッたり泣いたりするか?」
『確かに北原の人間なら、普通そんな事はあり得ない――ただその子は……北原忍って子は、男性恐怖症らしい』
「えっ……?」
姉さんのセリフに、一瞬言葉を失った。
だ、男性恐怖症……?
普通に生活していれば、まずそんな事は起きやしない。何かしらの重大な精神的外傷でもない限り……
あんな大人しそうな子に、そんな精神的外傷が出来るような何かがあったと言うのか?
そんなオレの考えを察するように、真剣な声でゆっくりと話しを続ける姉さん。
『これはあくまでウワサなんだが、彼女が小学校の六年の時に五人組の大学生から集団で暴行されそうになったって話しだ。まあ、暴行自体は未遂で済んだらしいけど……それでも小六の女の子には、ショッキングな出来事だったんだろう。以来、彼女は男性恐怖症になったらしい……』
オレは拳を握りしめながら、姉さんの話しを聞いていた。
小学六年――
いくら武道に精通していても、まだ小さな女の子だ。そんな子が大人五人に囲まれて暴行未遂……それはどれ程の恐怖だったのだろうか?
オレはいたたまれない気持ちになり、同時にその男たちに強い怒りを覚えていた。
『でもそうすると、友也が男だってバラすのは得策じゃないかもな――』
うっ……そっちの問題もあったんだった。
姉さんの話しのインパクトが強すぎてすっかり忘れていた。
オレの事を好きだという、男性恐怖症の女の子。
でもそれは偽りのオレ。本当のオレはその子の嫌いな男なんだ。
そんなオレが彼女にしてあげられることなんてあるのか? 正体を隠してみんなを――彼女を騙しているオレに……
『あまり悩みすぎるなよ友也。どうするかは友也に任せるけど、最悪は当たり障りなく教師と生徒として接して、時期が来たらあたしと代わればいいからさ』
「あ、あぁ……そう、だな……」
すっかり黙り込んでしまったオレに、優しい口調で語りかける姉さん。
確かにそれが一番かもしれない。
でも……それでももし、オレに何か出来る事があるなら、オレは……
『ところで友也。実はさっきから、ずっと気になっている事があるんだけど……聞いていいか?』
「えっ? な、なに?」
急に声のトーンを落とし、真剣な口調で話す姉さん。
そのあまり見せない真面目な口調にオレは背筋を伸ばした。そして姉さんから発せられた問いとは――
『一つさらせば自分をさらす、二つさらせば全てが見える。で、三つさらせば――の次は何だっけ?』
「地獄が見えるだけど、今その話は、全然関係ねぇよっ!」
『それだっ! さっき麻雀している時から、ずっと気になっていたんだよ。いや~、おっぱいのつかえが取れたよ友也♪』
「さっきからってのは、そこまで戻るのかよっ!? てゆうか同じ意味かもしれんが、それを言うなら胸のつかえって言え!」
『お~い、源さんたち~っ! 晩飯食べたら、もう半荘いこう! 今度は朝飯のアジのひらきを賭けてさっ』
「だから他の患者の病院食を巻き上げるなよっ! てか話しを聞けーっ!!」
再三の突っ込みに、オールスルーをかます姉さん。ホントに地獄を見せたろか、コラッ!?
『という訳で友也。姉さんたちは食堂に移動するから――』
「ちょっと待て、姉さん!」
『なお、このテープは自動的に消去される。では健闘を祈る!』
「だからちょっとま……」
ちっ! 切りやがった。
携帯の画面には通話終了と通話時間の文字が表示されている。
でも、有益な情報が聞けたのは確かだし、あとはオレがどうするか――どうしたいかだ。
オレは静かに携帯を折りたたみ、それをテーブルの上に――
「なっ!? し、しまった……」
そう、それをテーブルの上に置いた瞬間、オレは愕然に目を見開いた。
「ま、また……やってしまった…………」
そしてガックリと肩を落とすオレ……
そう……携帯を置いた先には、手紙を読む前にお湯を入れたカップ麺が寂しそうに立っていたのだった。




