第三十局 エピローグ 二本場『オレたちの戦いは……』
「着替えさせたって……誰が?」
オレはエクソシストに出てくる少女のように、ゆっくりと、そして恐る恐る右後方へ首を回して、カウンター席へと振り向いた。
そこにいたのは、引き締まった表情で真剣な眼差しを向けてくる二人のメイドさん。
「安心するです南先生、でございます。服を脱がせたのも怪我の手当ても、いわば医療行為。そこに、邪な気持ちや淫らな感情など皆無でした、でございますよ(キリッ!)」
「それに、患者のプライバシーを考慮して、触診も必要最低限しか行っていません(キリリッ!)」
し、触診……だと?
てか、必要最低限ってどこまで……?
オレは、それを確認すべく、今度は左後方。ボックス席の方へと振り向いた。
そこにいたのは、顔を真っ赤に染めながら、そっと視線を逸らす生徒会長と幼なじみ。
「わ、わたし口からは何とも……」
「とりあえず、わたしが幼稚園生の時に見たモノとは、まったく別モノでした……」
おい、コラッ! 痴女メイドッ!?
再びカウンター席の方へと振り向くと、さっきまでの引き締まった表情から一転。メイドたちは右手をニギニギさせながら、遠くを見上げ恍惚とした笑みを浮べていた。
「ええ。確かに邪な気持ちなど微塵もありはしねぇ、でございました……あの時は、でございます」
「はい。モミモミもニギニギも、確かに必要最低限でした……しかし、今宵の一人遊びは捗りそうです」
「あ……あああ……あ……ああ……」
四人の話を総合した結果、すべてを理解してしまったオレは、羞恥に身を震わせ、言葉さえも上手く発せなくなっていた。
「まあまあぁ~。いいじゃないの、友也きゅん。減るもんじゃないしぃ」
減るっ! 尊厳とか威厳とか、そういったモンが著しく減少するっ!!
「まあまあ、南先生、でございます。今度、フリーの同僚をまとめて紹介するから、でございます」
え? まとめて? しかも、フリーのメイドさ――
「はい、西園寺家からも、フリーで友也さまにお似合いの執事を紹介させて頂きます」
「って! 執事かよっ!?」
まったくっ! この腐ったお姉様たちは、どこまでもピュアな男心を玩びやおって。
「ところでお兄ちゃん……? 執事じゃなければ、何を紹介してもらえると思ったの?」
「友也さん……?」
更に追い討ちとばかりに向けられる、ピュアな男心を抉るようなお嬢様たちのジト目に、オレはそっと視線を逸した。
「とはいえ……ふぅ~~」
ユリさんは周りを見回しながら、細いメンソールのタバコに火を点けると、ため息をつくように白い煙を吐き出した。
「学校が始まって半月で、こんなたくさんの人に男バレするとはねぇん……」
うっ……それに関しては、返す言葉もない。
特にメイド二人と委員長に関しては、明らかにオレの不注意だ。
「これはもうアレね……もう一度、友也きゅんっ家に泊まり込んで、女装のなんたるかを一から教え込まないとダメなようねん」
「なっ!?」
ユリさんの口から飛び出した爆弾発言に、驚愕と絶望で一瞬目の前が真っ暗になった。
あ、あの地獄の日々が再びおとずれるというのか……
いやっ! ソレだけは断固阻止だっ!!
「ちょっと待って、ユリさ――」
「いいっ! それいいですっ!! わたしも泊まり込んで協力しますっ!」
「ええ、そうね! 友也さんの正体がバレそうになる度、ヒヤヒヤするのは御免ですし、わたしも協力致しますわっ!」
オレの上げた異議の言葉をかき消すように、身を乗り出して声を上げる、真琴ちゃんと響華さん。
いやいや、ダメだろっ!
嫁入り前の未成年が男の部屋に泊まり込むなんて、教師として認められんっ!!
「ちょっと待って、二人ともっ! 二人もウチの狭さを知ってるだろ? 何人も泊まり込むなんて無理だってっ!」
「ご心配には及びませんよ、友也さま。友也さまが住むアパートの近くに、西園寺グループのホテルがございますので、期間中はそちらへ移り住んで貰えれば問題ありません。そこの最上階にあるスイートならば、この程度の人数が一緒に住んでもお釣りが来ます。よろしいですよね、お嬢様?」
「ええ。もし、一室で足りないようなら、最上階をすべて貸し切ってしまいなさい」
「かしこまりました」
かしこまるなぁーっ!
「おそらく、葵さまも協力すると言うでしょうから、撥麗も一緒に住む、でございます」
「お嬢様が住むわけですから、当然わたくしもです」
ニッコリと微笑みながら、同居を宣言する撥麗さんとつばめさん。
ま、まずい……
前回、桃色熊一匹でも、貞操を守り通せたのは奇跡に等しい。
しかし、そこへ更に肉食系腐れメイドが二人も加わるとなると、オレに勝ち目など微塵もない。
「当然、お嬢様方と一緒に、南先生のお世話もさせて頂く、でございますよ」
「ええ、着替えのお世話はもちろん、掃除洗濯炊事、それに着替えのお世話まで、何でもお任せ下さい」
何で着替えを二回言った? それは重要な事なのかっ!?
「男の娘の生着替え……じゅるっ、でございます」
「メイドになって幾星霜……もはや諦めかけていたシチュエーションが現実に……」
そんなツッコミをするまでもなく、メイド服の袖でヨダレを拭う撥麗さん。そして、つばめさんに至っては、鼻から赤いモノがスーッと垂れているし……
くっ……着々と包囲網が築かれて行く。状況は、正に孤立無援の四面楚歌。
何かっ!? 何か、この劣勢を挽回する逆転の一手はないのかっ!?
オレは藁にも縋る思いで、辺りを見渡した。
「あっ、あのうっ!」
突然、カウンターの一番端の席から声が上がった。
そう……オレが目覚めた時から、ずっと俯いたまま無言で座っていた着物姿の少女。
掛ける言葉が見つからず――いや、オレには言葉を掛ける資格すらない少女……
オレが騙し傷つけてしまった北原さん……
それだけじゃない。彼女が男性恐怖症を患った原因の一端は、オレにあるのだ。
その北原さんが、意を決したような眼差しをオレに向けていた。
オレは逃げだしたい気持ちをグッと堪え、その眼差しを正面から受け止める。
そうだ、逃げ出す訳にはいかない。オレのした事は、決して許される事ではないのだから。
そもそもが、『女装のなんたるか』などと言っている場合ではないのだ。男のオレが、再び学院に通う事を彼女が許す訳がない。
姉さんには悪いけど、彼女が学院を去れ、二度と顔を見せるなと言うのなら、オレは甘んじて――
「わ、わたしにも協力させて下さい」
「………………はい?」
きょ、協力? 何を?
オレは北原さんの言葉が、咄嗟には理解出来ず口をポカンと開けて固まってしまった。
しかし、そんなオレに追い討ちを掛けるよう、北原さんは言葉を綴る。
「い、今……先生に学院を去られるのは……困ります」
徐々にトーンが下がっていくらものの、しっかりと自分の意識を表示する北原さん。
何が困るのかも、なぜオレが学院に通う事を許せるのかも分からない。
分からないが、一つ確かなのは――
「はい、友也さま。本案件は、満場一致で可決致しました」
「いや~、民主主義というのは素晴らしい、でございますなぁ。我が祖国にも見習って欲しいものだ、でございます」
ニッコリと微笑みつつも、瞳の奥に邪悪な光を宿した二人のメイドさん。
そう、一つ確かなのは、多数決という数の暴力に敗北したと言うことだ。
し、仕方がない……
こうなったら、我が身を守るための残された道は一つだけ。
オレは心を落ち着けるように、大きく息を吸い込んだ。
そして――
「すみませんっ! 今日はテッペンでケツカッチンだから、この辺でドロンさせて頂きますっ!」
そう、究極にして至高の護身術『戦術的撤退』を行使して、一気にダッシュ。オレは店の外へと飛び出した。
「逃がすかっ! でございますっ!」
「そのような、バブル時代の業界用語で、わたしたちを煙に巻けると思ったら大間違いですよ。友也さま」
モノトーンの黒ゴス服を靡かせ、肉食獣から逃げるシマウマの如く疾走するオレを、ネコ科の肉食獣みたいに、しなやかな走りで追うメイドさん達。
「てっぺん?」
「けつかっちん?」
「ってーっ! 響華さまも忍ちゃんもっ! そんな事、今はいいんですよっ! 知りたいなら後で教えますから、わたしたちも追いますよっ!!」
更に、肉食獣達が群れを形成し、獲物を追いかけて来る中、人混みの間を縫って走り抜けるオレ。
途中、ほろ酔い気分のおニイさん達から――
「キミ、可愛いね」
「どこのお店?」
「そこのキミ……やらないか?」
などと掛けられる言葉を振り切り、オレはただひたすらに走り続ける。
オレはようやく逃げ始めたばかりだからな。この果てしなく遠い、夜の歓楽街をよ……
そうっ! オレたちの戦いは――いや、オレの逃亡は、これからだっ!!
『未完っ!!』




