第二十六局 決戦 ニ本場『負ける気がしねぇ(男限定)』
なにやら、背後でガールズトークが繰り広げられているようだけど、集まった馬鹿共の上げる歓声にかき消され上手く聞き取れない。
まあ、逆に言えば、コチラの声も大声を出さなければ聞こえないという事だ。
「なあ、オッサン……ひとつだけ聞きたい」
「………………」
後ろのお嬢様達には聞こえなくても、目前のオッサンには充分に届いているはずの声。
しかし、オッサンは返事を返す事なく、じっと木刀の先端をオレの方へと向けている。
まっ、お喋りが得意なタイプには見えんしな。
オレは、オッサンの沈黙にも構わず話を続けた。
「あんたは、この状況に満足か?」
「………………」
「北原さんは、あんたを兄のように慕っていたって言ってたよ……で、あんたはどうなんだ? 妹のように可愛がっていたんじゃないのか? その妹のように可愛がっていた北原さんを、自分トコの門下生が襲った。その事に責任を感じ――その事の責任を取って、北原流を辞めたんじゃないのか?」
「………………」
「その後に、何があったかは知らんし、中年オヤジのドロップアウト人生になんて興味もねぇ。でもな……かつては兄のように慕われ、妹のように可愛がっていた娘を襲った連中に加担して、こんなトコに立っている自分に満足してるのか? その娘が、あの時と同じ――いや、あの時よりも酷い目にあわされようってぇのに助けるどころか、それに加担している自分に満足してるのか?」
「………………」
オレの問いに、顔色ひとつ変えず――眉ひとつ動かさずに沈黙を守っているオッサン。
「おい、答えろよ、オッサン……」
オレはオッサンを挑発するように、半歩ほど間合いを詰めながら、再度問いかけた。
「答えるまでもねぇよ……」
更に半歩――オレの左足がオッサンの間合いに踏み込もうとしたところで、オッサンはようやく重い口を開いた。
「オレはもう北原とはなんの関係もねぇ。その女がどうなろうと、知ったこっちゃねぇよ」
まったく感情のこもってない平坦な口調で、ハッキリと言い切るオッサン……
オレは視線だけを僅かに動かし、オッサンのすぐ後方をうかがった。
木刀を構えるオッサンのすぐ後ろ――男達に囲まれ、安物のパイプ椅子に座る北原さん……
いくら周りが騒がしいとはいえ、この距離ならオッサンの言葉も届いているだろう。
彼女は今、どんな顔を――そしてどんな気持ちなのだろうか?
俯いて座る彼女の表情は、前髪に隠れココからでは確認出来ない。
くっ……
オレはやるせない想いに奥歯を噛み締めながら、木刀の切っ先に……そして、その先にあるオッサンの、死んだ魚みたいな目に視線を戻した。
「仮にも、元は北原さんの兄弟子だ。多少なりとも自責の念があるなら、少しは手加減してやろうかとも思ったけどヤメだ……全力でブッとばすっ!!」
「寝言は寝て言え……コッチも、つまんねぇ問答で無駄な時間使ったからな。一撃で決めてやるよ……」
「!?」
オッサンの気だるげなセリフと共に、視線の先にあった木刀の切っ先がスーッと上って行く。
上段……だと?
そう、オッサンは木刀を振り上げると、正眼の構えから上段の構えへと以降したのだ。
木刀を大きく振りかぶり、威圧するオッサン。まるで、教科書のお手本みたいな姿勢――
いくら自堕落な生活をしていたとしても、長年の稽古で染み込んだモノは、そうそう抜けるモノではないか……
そして、身長も体型も全く違うはずなのに、その綺麗な上段の構えが、不意に北原さんの上段の構えと重なった。
上段の構えから、一撃で決める……か。
ふと、夕方の公園で、北原さんが語った話の一節が頭を過ぎった。
そして、その言葉を脳内で再生しようとした時――
「南先生ぇーっ!!」
喧騒の中から突然聞こえて来た言葉に、オレは自分の耳を疑った。
せ、先生……?
オレを、まだ先生と呼んでくれるのか……?
そう、喧騒の中から届けられた言葉は他でもない、北原さんから発せられたモノだ。
もう、彼女と言葉を交わす事はないと……交わす事が出来ないかもしれないと覚悟していた。仮に言葉をかけられたとして、それが一方的な罵倒であったとしても、甘んじて受け入れると覚悟していたオレ。
その北原さん口から、『先生』と言う言葉が発せられたのだ……
オレは驚きに見開いた目を、北原さんの方へと向けた。
まるで、試合の時のような引き締まった表情。オレの視線を正面から受け止めながら、見据えるように真剣な眼差を送る北原さん。
そして、お互いの視線が交差した事を確認すると、大きく頷いた。
それはまるで、さっきオレの頭に過ぎった言葉が……オレの考えが間違っていないと、肯定しているようであった。
いや、事実そうなのだろう。北原はカンの鋭い娘だ。オッサンの構えを見て、オレが北原さんと交わした言葉を思い浮かべた事に気付いたのだろう。
そして、その考えが肯定してくれたのだ。
オレは一度顔を伏せると、口元に笑みを浮かべながら、相対するオッサンに向けて顔を上げた。
こんな言い方は失礼かもしれないけど、言葉の内容はどうでも良かった。
もう、二度と言葉を交わす事が出来ないと覚悟していた北原さんから名前を呼ばれた――南先生と。
我ながら単純だと思うけど、それが嬉しくて仕方ない。
当然、これで許されたなんて思ってはいない。そもそも、彼女に対する仕打ちは、許される事ではないのだ。
しかし、嬉しさのあまりアレドナリでも大量に分泌されているのだろうか?
全身を襲っていた痛みが、ドンドンと引いていくようであった。
「なに、ニヤニヤしてやがる? 恐怖で気でも狂ったか?」
「っるせー、さっさと打ってこいや、オッサン。今なら、誰が相手でも負ける気がしねぇ(男限定)。とっととブチのめしてやるから、その後は北原さんと緑先生に土下座して来い」
そう言って、オレは不敵に笑いながら、オッサンの間合いへと無造作に踏み込んだ。




