第二十四局 挫折 五本場『忖度』
「つばめさん……知り合いって?」
「ええ、あちらの剣字さん――一色剣字さんは、元北原流の師範をしていた方なのですよ。わたくしも北原流で教えを乞うた身。出向いた時には、よく稽古をつけて頂きました」
北原流の出? 確かにあのバカ共も、元は北原流の奴らだ。ツテがあっても不思議ではないけど……
ただオレには、つばめさんの説明にもう一つ首を傾げる点があった。
「一色剣字――一色?」
最近、何処かで聞いた様な……
そんなオレの態度を察してか、つばめさんはニッコリ微笑みながら、衝撃の真実を口にした。
「はい、一色剣字さんは、一色緑先生の弟さんですよ」
…………………………へっ?
あのオッサンが緑先生の弟? って事は、緑先生がお姉さん……?
……
…………
………………
「はあぁぁああぁ~っ!? 緑先生の弟ぉぉおぉ~っ!?」
あの、おっとりぽあぽあの美人女教師と、この、やさぐれたオッサンが姉弟だと?
とても、同じ母親から産まれたとは思えんぞ。
い、いや……それ以前に、緑先生っていくつだよっ?
新卒であるオレの先輩教師なワケだから、年上なのは確実だけど…………それでも、上なのは二つか三つくらいだと思っていた。
しかし、あのオッサンの姉となればアラサー……いや、ヘタしたらアラフォーという可能性も――
「南先生? 何やら失礼な事を考えているようですが…………緑先生にチクリますよ」
「イヤイヤイヤイヤッ! 滅相もないですっ! 何も考えてないですよっ!!」
ニッコリと満面の笑みを向けるメイドさんの、ある種「死の宣告」とも取れる言葉に、慌てて否定の言葉を述べるオレ。
「ふむ。その態度だけで、情況証拠としては充分ですが……まあ、今回は見逃しましょう。しかし、女性の年齢を詮索する行為は、殺されても文句は言えないのでご注意を」
メイドさんの温情による執行猶予に、オレはホッと胸を撫で下ろす。
でも……
「何でそんな人が、あんな奴らと一緒に……? そりゃあ、アイツらも元北原流ですから、面識はあるでしょうけど」
オレの口から漏れた疑問に、つばめさんは男の方へ視線を戻すと静かに口を開いていく。
「面識がある、なんて程度ではありませんよ。なにせあの五人――北原さんを襲ったあの五人は元々、剣字さんが師範を務める道場の門下生でしたから」
「えっ?」
オレは思わず自分の耳を疑った。
当然、オレ自身に面識があるわけでもなく、オッサンの詳しい人柄まで知っている訳ではない。
ただ、北原さんの話では、門下生による不祥事の責任を取って、自ら師範を辞任。門下を離れたと言う事だったはず。
その話を聞いたオレの中で彼は、『責任感が強く清廉にして愚直』。そんなイメージだった。
しかし、正面に座るオッサンからは、そんなイメージなど微塵も感じ取れない。
「元々は、責任感が強く、清廉潔白な方だったのですよ――」
まるでオレの考えを読んだかの様に、ゆっくりと語り出すつばめさん。
「しかし、幼い頃より剣道一筋だったので、世情には疎かった……なにより、慢心もあったのではないでしょうか?」
「慢心……ですか?」
「はい。剣字さんは、北原十三段にその才能を見出され、幼い頃は神童とさえ呼ばれていました。ですから、北原流を離れてもやっていける。何処の流派でも自分を必要としてくれるはずだ――そう慢心してしまったのでしょう」
「世間知らずなヤツ……」
響華さんと白鳥さんが首を傾げる中、ポツリと呟く真琴ちゃん。
まあ、確かにそれだけ腕前なら、何処の流派でも喉から手が出るほど欲しがるだろう。
でも――
オレは、オッサンの現状認識の甘さに眉を顰めた。
確かにつばめさんの言う通り、世情に疎い。そして真琴ちゃんの言う通り、ハッキリ言って世間知らずだ。
そんなオレの考えを肯定するように、つばめさんは言葉を綴って行く。
「しかし、剣字さんは北原家の――北原雄山氏の影響力というもの分かっていなかった。真実はどうであれ、形だけ見れば剣字さんの行動は『北原流内で不祥事を起こし、その責任を取り北原流を辞めた』というもの。日本武道界の首領とまで呼ばれる北原雄山氏に睨まれたら、どこの流派も――いえ、流派だけでなくマスコミですらタダでは済みません。たとえ雄山氏にそんな思惑などなくとも、火種となる可能性があるのなら、何処も受け入れたくはないでしょう。結果、剣字さんは、そのまま剣道界から締め出されてしまったのです」
「なるほど……いま流行りの言葉を使えば、雄山氏の思惑を勝手に『忖度』したわけだ、でございますね」
忖度――相手の意向を推し量る事。推測する事……
確かに撥麗さんの言う通り、働いたのは忖度――北原雄山の思惑に対しての勝手な推測が剣道界に働いたのだろう。
しかし、何処の流派だって、北原流と揉めて辞めて来た様なヤツは、やはり受け入れたくはない。
触らぬ神に祟りなしである。
「そして、その後は何をやっても上手くは行かず、身を持ち崩し、酒に溺れた生活をしている――などという噂は聞いておりましたけど……まさか、自分が北原流を辞める原因を作った男達の用心棒にまで成り下がっているとは……正に、絵に描いた様な負け犬人生ですね」
笑顔で死体蹴りの如き言葉を繰り出すつばめさんと、それを淀んだ目で忌々しげに睨みつけているオッサン……
神童とまで呼ばれ、剣道のエリート街道を歩んで来た男が、その華々しい道が突然閉ざされたのだ。
それはおそらく、初めて味わったであろう『挫折』の味――
北原雄山を……北原家の人間を恨む気持ちも分からなくもない。
しかし、それは北原雄山とは関係ないところで、剣道界の人間が勝手に顔色をうかがっただけ。撥麗さんの言う通り、雄山の意思や思惑を勝手に忖度した結果である。
そう、その恨みは、完全な逆恨みだ。
しかも、その逆恨みの矛先を、孫娘である北原さんに向けるなど、断じて許せるモノではない。
オレは込み上げて来る怒りに、拳を強く握り締めた。
「ご家族に顔向け出来ないという気持ちも分からなくはないですが、そこまで落ちぶれる前に変な意地やプライドなど捨てて、ご家族を頼るべきだったのではないですか? お姉さんも、とても心配しておいででしたよ」
「姉貴は関係ねぇだろっ!」
痛い所を……触れては欲しくない所に触れられたオッサンは、激昂するように声を上げ、手にしていたウィスキーの瓶をつばめさん目掛け、勢いよく投げつける。
「よっと」
しかし、当のつばめさんは顔色一つ変える事なく、飛来する瓶を片手で難なくとキャッチ。そして、親指一本で器用にキャップを外すと、中身を呷るように口を着けた。
「ふうぅ~。たまになら、こんな安いお酒も悪くはありませんが……次はもう少しムードのある場所で、美味しいお酒をご馳走になりたいものですね」
オッサン相手に、大人の女性の余裕を見せつけるつばめさん。
ホント、この人の年齢も謎だ……いったい何歳なの――ぐほっ!?
「友也さまぁ? 女性の年齢を詮索する行為は、殺されても文句は言えないという忠告をお忘れですか?」
殺気をダダ漏れさせつつ、ニッコリと微笑みながらオレの口へウィスキーの瓶をネジ込むつばめさん。
口内へと強引に流し込まれる、安物のウィスキーを押し留めながら、オレは怯えるように首を振った。
しかし、さっきといい今回といい……なんなんだ、この感の良さは?
もしかしてニュー○イプなのか?
「ちょっ!? つ、つばめーっ! そ、それって、か、かかかん、間接キキキキッ、キキキ………」
「ああ~っ、ずるーい! 次わたしっ! お兄ちゃんの次はわたしっ!!」
「ちょいと東さんっ! 未成年の飲酒など、この白鳥家の次期当主、白鳥葵の目が黒い内は、許しませんことよっ!!」
つばめさんの行動に、何やら一斉に騒ぎ出すお嬢様たち……
ただ、美女との間接キスも、こんな殺気まみれの状態では嬉しさなど微塵も湧いて来ない。
「やかましいぞ、コラッ!!」
三人寄って、姦しく騒ぐお嬢様を一喝するように、オッサンから怒声が飛ぶ。
「雨宮っ! とっとと、この茶番を終わらせろっ!!」
「オ、オッス……」
用心棒に怒鳴りつけられ、縮み上がる雇い主。
差し歯男――雨宮と呼ばれた男はひとつ咳払いすると、コチラの方へ視線を向けた。
「オラ、南っ! ゲームを始めんぞ、とっとと前に出ろやっ!!」
雨宮の言葉を受け、オレは軽く息を吸い込むと気合を入れるため、両の頬を『パンッ』と張る。
「友也さん……」
「お兄ちゃん……」
「南先生……」
背中越しに聞こえる響華さん達の声――
そんなお嬢様達の心配そうな視線を背中に受けるオレの耳へ、つばめさんがそっと口を寄せて来た。
「後の事はご心配なく。友也さまは心置きなく、ご自身の我を通して下さいませ」
つばめさんの言葉に、オレは思わず頬がほころんだ。
ホント、この人は何でもお見通しだ――
「ありがとうございます」
西園寺家次期当主専属メイドさんへそう言い残し、オレはゆっくりとした足取りで歩き出した。




