人間
ふざけた話だ。
神奈川の障害者施設で、殺人事件が起きた。それも、数十人の死傷者を出したと言う。犯人の男は、「障害者がいなくなれば、世界は、平和になると」とほざいていたらしい。
男のツイッターには、その発言に、賛同する数字が踊っていた。この、気違いに共感する人間がいると言う事である。
だが、決して驚く事はない。
障害者の介護は、生半可な気持ちでは、出来ないと聞く。予言するならば、介護師として、彼の苦労が解ると言い出す人物が出てくるだろう。
障害者の介護の大変さは、何も、身体や下の世話だけではないらしい。
障害者とは、他人と違うと言うコンプレックを人一倍感じているため、その心のケアは、繊細かつ、デリケートな対応が求められるらしい。
人と違う。人より劣っている。生まれ持った性質のせいで、努力も虚しい人生を歩んでいる彼ら障害者の心は、どことなく、歪んでいる。
一見、この発言は、差別化的ではあるが、考えてみて欲しい。報われたり、満たされたりする経験が殆どゼロに近ければ、あなただって、心を歪ませるだろう。
健常者と障害者の壁は、とても冷たく厚い。そんな壁を乗り越えるのは、全てを投げ出す慈悲の心。自己犠牲でも持ち合わせなければ、無理だろう。ましてや、アカの他人なら尚更である。
「何で、自分がこいつの為に」などと言う奴は、まず無理だろう。
今回の事件は、一見そんな、障害者と健常者の壁によって、起きた事件に思えるが、僕は、そうで無いと、思う。
犯人は、おそらく、普段の生活の不平不満がたまたま障害者に向かっただけで、何かのパズルが狂えば、あの秋葉原の事件の様な事をやっていたのでは無いかと、僕には思えてならないのである。
ただの直感だが、彼の言い分は、彼にとって、不都合な現実を壊そうとしただけの様に思えてならない。
確かに、障害者介護は楽ではないが、その中で、彼が障害者との間に信頼関係を築けなかったのが、大きいと思う。
僕には、介護の経験は無いけれど、同じ会社に、派遣の人で、ろうあ者の人がいる。彼は耳は聞こえているが、喋れない。けれど、「あー、あー、うあー」と言いながら、身振り手振りで、話して来るので、何となしに、僕には彼の言葉が解る。そして、彼は聞き上手であるから、むしろ、僕の方が彼に、「今日は、疲れたよ」とか、「アイツムカつく」とか、愚痴を聞いてもらっている始末である。
僕と彼にの間には、不器用者同士の通じるものがある。
僕等の間には、微力ながら、信頼関係が出来上がっている。
僕以外には、彼の言葉はよく解らないらしい。
信頼関係を築く為に努力をしろとは言わない。
人間は、ワガママだ。好き嫌いは避けられない。
ただ、自分が心を開けた人間だけは多少なりとも、不覚にも裏切ったとしても、裏切られたとしても、許せるはずである。
完璧でない姿をお互いに、さらけ出しているのだから。
弱さを見せ合い、認め合えば、お互いに、許せ会えるはずだろう。
人間は、そんな関係性を広げて行ければ、どんなにひ弱な奴でも、人生を豊かに出来るはずである。
僕は、そう思いたいし、そう思う。
最後の一行日本語として、可笑しいかも知れないが、これが、僕の素直な気持ちだ。