力とは?
苦労とは?
ふと、最近考える。
近年と言うかここ最近の社会状況、カルチャー文化を見て思う事に、お金の稼ぎ方や有名になる方法が、一気に変わってきた気がする。
それは、スマホやPCさえあれば、ブログもかけるし、動画の配信も出来る。株や債券、仮想通貨の取引だって出来てしまう。つまり、動かなくてもなんでも出来てしまう環境が我々の目の前に大海の様に広がて、どんな人にも平等にチャンスが与えられていると言う事。
今までは、ごく一部の才能のある人、さらに、その才能を磨いて努力したものだけが成功をする世の中だったと思うが、チャンスが溢れた今の世の中は、その一部が取っ払われて、誰でも、成功への切符を手に出来る様になってしまった。
それは、すごくいい事でもあるのだが、弊害も起きていると僕は思うのである。
それは、モラルの欠如だと思う。
成功をするためのチャンスを掴み、そして努力をする事で磨かれるのは、もちろん技術もあるが、一番は心だと思う。成功を掴むまでの苦労や、掴めなかった時の敗北感から、人は、モラルを学ぶのだと思う。
何かを成し遂げるには、人の協力がいる。そこには優しさや厳しさがあって、そこに触れる事で、人とのつながりや、絆を作っていくのだと僕は思うのだが。
今の子供達はどうなのだろうか?
少しの知識と、環境さえあれば、なんでも出来てしまう。(もちろん土方や、製造ラインは違うが)簡単にお金も稼げて、有名にも慣れてしまう。
人間は力を得ると傲慢になる。
確か、誰かの本で読んだ気もするし、20年のサラリーマン生活の中でもそう感じる事がある。
つまり、言いたい事は、人間は、簡単に力を得てしまうと、どうなるのかって事だ。努力の上での得た力ですら、人を傲慢にする魔力があるのに、それが簡単に手に入ってしまったら、どうなるのか?
努力の末に力を得て、少しばかり傲慢になっても、そいつはまだ、モラルをわきまえれると思う。それは、傷ついて強くなったから。
では、簡単に力を得た子供達はどうなるのか?
ただ、傲慢なだけで、わがままになり、自分と他人を優劣で考え、平気で人を見下し、自分の力を特別な才能だと勘違いする。そんな人間になりはしないだろか?
もちろん、これは偏見で、そうじゃな子もいるかも知れないが、人が簡単に力を得てしまうと言うことは、そう言う事だと思うのである。
そして、そんな人間ばかりになってしまったら、社会は崩壊する。
あの、麦わら帽子の少年を支援し、その動向に叱咤激励を飛ばす、自営の社長も、「楽して稼ぐ事を考えるヤツばかりになったら、国が崩壊する」と言っていた。
それに、底辺の職業ランキングなんてものが巷で問題になった時にも、いろいろな職業があるから、よの中が回るんだと、いろいろな人が声を上げた。
職業の優劣なんてものが出てくる事態、今の世の中が、勝利至上主義に移行しつつある証拠であり、その結果、楽して稼ぐのがバストなのだと今の若者の間で、そんな毒が広がって来ている気がする。
そんな状況に僕も、あの社長も、底辺職業ランキングに異議を唱えた世論も危機感を覚えている。
勝利至上主義。結果さえよければいい。
そんな世の中ではよくない。
負けたっていい。結果が悪くったっていい。
人の、人としてのモラル、優しさが身につけば、それでじゅうぶん、勝ちではないか。
本当の強さは、誰かより優れている事なんかじゃなくて、人らしく優しくなれる事だと、僕は思うし思いたい。




