程よい興味と無関心
コロナに、戦争と、世の中が、混沌として来ている。
陰謀論界隈では、終末思想が飛び交い、TVの中では、著名人のざんぬんな知らせが、溢れている。
皆んな、不安なんである。
だから、よくわからない陰謀論に縋り付くし、あらゆる思想に敏感になっているのだと思う。
それでも負けずに、平静を保つべきなのだけれど、それで、踏ん張り過ぎては、いつかは折れてしまう。
怖いなら、怖いと言っていい。
痛いなら、痛いと言っていい。
そして、それを誰も否定してはならないと、今思うのだ。
君は弱い、甘い、まだ出来る。
そんな、叱咤激励の奮い立たせる言葉や、先人の経験よりも、今は、痛いよね。辛いよねの、共感が、薬になると思う。
けれど、心の深い所まで、探る必要は無いと思う。
だって、そこは本人にも見えない、深い闇なのだから。
昨日の朝のワイドショーて、こんなのがあった。
「ウクライナから逃げて来た転校生に、どう言葉を掛ければいいのかわからない。戦争の事を根掘り葉掘り聞くのは気まずいし、何も聞かないと無関心だと思われないか?」
確かに難しいけれど、僕なら、こう言って貰いたい。
「あんた、戦争から逃げて来はったんやな。大変やったな。今は骨休め思って、日本でゆっくりしたらええ」
事情は、理解してるけれど、あんまり深く探らない、程よい上部言葉。
それが案外、ありがたいし、欲しい言葉の時もある。
程よい無関心と、興味は、案外心地が良いのだ。




