オリンピックは、小さなナチズムに勝てるのか?
いじめをもちろん肯定は、しない。
だけど、何かが違う気がする。
コーネリアスこと、小山田圭吾氏が、過去にいじめをしていた事を公表した事で叩かれている件について、思う事なのだが、あまりにもバカバカしくて、下らない。
障がいのある、同級生に対して、いじめをしていたとのことなが、もちろんそれは、良くない事である。
だが、問題はそこではなくて、それが、何十年も前の、小山田氏が、学生時代の話しであり、そして、それを公表したのも、20年も前の週刊誌のインタビューでの事だと言うのだから、正直、何を今更としか僕は思えなかった。
小山田氏は、オリンピック、パラリンピックの音楽担当で、あったため、スポーツと、芸術。平等と、無差別で作る平和の祭典には、この話題は、相応しく無いのかも知れない。
ただ、それは、小山田氏が、いじめをしたのが、学生時代の話であって、現在、小山田氏が、そう言った差別主義者と言う訳では無いのだから、はっきり言って、これは、この報道は、小山田氏に対するメディアと、大衆によるいじめなのでは無いだろうか?と、僕は思うのである。
誰かを傷つけた事は、責めるに値するかも、知れないが、ここで、許してもいいのでは無いのだろか?
確かに小山田氏は、間違いを犯したかも知れないが、今は反省をしているのだし、よく、やった方はすぐ忘れるけれど、いじめられた方は、忘れないと言う。
けれど、小山田氏は、やった方だが、忘れなかった。だから、公表もした。それは、彼なりの贖罪なのでは無いのだろうか?
僕はそう感じた。
オリンピック、パラリンピックに向けて、みんなの想いは1つの方向に進んでいる。
それと、共に、その、1つの方向に向けない者や、その活動に、参加するのには、相応しく無いと判断された人々への風当たりも、強くなって無いだろうか。
丁度、80年前、ヨーロッパ制覇世界制覇を夢見た、ナチスドイツの様に。
小さな、静かなナチズムに今僕らは、蝕まれつつある様な気がする。
僕らは、この、小山田氏の報道をきっかけに、いま一度、静かなナチズムと戦う事を考えなければならないのかも知れない。




