魑魅魍魎。百鬼夜行。僕ら。
コロナが、中々引かずにこじれている。
一時は、感染者の数が減り、色々な、規制が、緩和されたのだが、ここに来て、また、第二波、第三波と、こじれている。まあ、自然の摂理なのだから、仕方ないのかも知れないが、やはり、僕ら人間が、自然を舐め、気持ちが緩んだ結果であると言えなくも無い、と、思う。
感染症は、人類にとって、最小て、最悪の敵なのだそうだ。
なんせ、眼に見えない。
そんなモノと戦わなくてはならないのだから、本当に厄介だ。
だけど、そんな、厄介なモノと、我々の祖先は、戦って来た。
薬も、ウィルスや、細菌に対する知識もない時代から、戦ってきた。
平安時代、病は、鬼や、物の怪の仕業と考えられていた。百鬼夜行と言って、夏から秋へ変わる不安定な気候、天気が続く時期に、魑魅魍魎の類、つまり、鬼や、妖怪と言った者が列をなして、夜な夜な歩き回る。そして、それを見た者は、取り憑かれ、病に犯されて、取り殺されると言われていたらしい。実際、梅雨時や、秋口と言った季節の変わり目は、自律神経が乱れ、体調を崩しやすいと言うのは、現在では、常識だが、昔の人も何となくの生活の中で、ユニークな、伝承と言う形で、病に対する自己管理、対策を行なって来たのだろう。
神社や、お寺で、手を清める。これは手洗いだし。
先程の百鬼夜行も、夜遅くまで、出歩かず、物の怪に魅入られないように、家ですごすと言うのも、現代で言えば、夜更かしせずに、充分な、休養と、睡眠を取ろうと言う健康、体調管理の基本といえる。
現在、僕ら人間は、時間に追われるが余り、昼と夜の移り変わりや、季節の移ろいを無視し、また、忘れて来たのでは、なかろうか?
その結果、代償として、自然が、僕らをその一部と、見なすのをやめようとしているのではなかろうか?
『森は生きている』と言う童話にこんなシーンがあった気がする。
春の初めに咲く、マツユキソウ(スノードロップ)と言う花を真冬の最中に欲しいとただをこねた王妃に、十二月の妖精が罰を与える。
四季相応の生活を忘れた僕ら、今、罰を与えられているのかも知れない。
僕らは、今一度、自分たちがら大きな自然の小さな一部である事を思い出さなければならないのかも知れない。




