レインマンを信じるな。
久々の更新。
まあ、半年は、とうに超えていて、しかも、今から話す事は、大変嫌な話だが、そこは、駄作家の駄文故に堪えて頂きたい。
レインマンを信じるな。
それだけである。
最近、発達障害やら、アスペルガーやら、まあ、障害者と、健常者の境にいるグレーゾーンの人達に、注目が行き始めていて、それは、大変良いことだとおもう。世の中がそれだけ、人の多様性を見つめ、理解し始めた証拠何だと思う。
けれど、障害が有るにも関わらず、何かしらの才能を持った人、無いし、障害を公表して、社会的に活躍している人を、あまりマスコミなどで取り上げるのは、どうなのだろうか?と思うのだ。
まあ、取り上げたいのもわかる。だけれども、彼らが障害を持っているからこそ輝けると言うのは、例え、彼らにとって本当であっても、彼らと、同じ障害を持つ人全てが彼らの様に、輝ける訳では無いのだ。彼らはやはり特別な、一握りでしか無い。
そこを間違えては、行けないのだ。
例えば、ある発達障害の絵描きがいて、その絵描きと同じ障害の子供がいるとする。
その子の親は、多分、その絵描きの様になって貰いたいと、画材をその子に買い与える。だけど残念な事に、その子には、絵の才能は、おろか、見たものをスケッチする事しら出来ない。
極端に言えば、丸をみても、四角しか描けない。そんな所だ。
ただ、彼にできる事は、自分の印象に残った物語を繰り返し、何時間も、話し続ける事だ。それも、相手が、飽きてしまって、「うるさい」と言われても、まるで、ボイスレコーダーの様に永遠に。
彼の親はそれを矯正して、やはり、ありもしない、絵の才能に期待をする。
そして、彼は孤独となり、道を外す。
気づいてあげるべきなんだ。
一人ひとり違うってことを。
出来ない物は出来ないってことを。
何にもなくていい。
生きていてくれるだけでありがとう。
そう言いたい。
だから、レインマンを信じるな。




