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静かなるナチズムの中で。

まだまだ、若い誰かと、子供達が、その儚い命を投げ出す話が絶えない。多分、この国のお偉いさんがどんなに、命の尊さを叫んでも、無くならないだろうと思う。ましてや、「いじめに負けない強さ」や「苦難を乗り越える力」とかを美化し歌えば、ますます、自殺者の数は、加速するだろう。


よく、「やられる方にも、責任がある」という言葉を聞くが、何度でも思うが、やっぱりあれは、勝った側の言い訳に過ぎないと思う。


協調性を持ち、集団に足並みを揃えるのは、大事だし、集団の輪を身勝手な行動で乱せば非難を受けるのは、解るが、どうしても、付いていけない、人はいる訳だし、それを受け入れず、攻撃するのは、やっぱり大人気ないし、みっともない。


いくら、やられる方に、原因や、責任があったとしても、その人を、傷つけ、おとしめる行為は、悪意でしかない。自分と違うモノを排除したいと思うのは、人間社会の性とも言えるが、それを正当化してしまえば、どんな悪意も許されてしまう。その、最悪の事態が、ヒトラーの起こしたホロコーストと言われる、ユダヤ人、ロマ族、同性愛者、障害者などの大量虐殺だと、言われている。


詳しい、いきさつは、はしょるが、彼らはアーリア人という民族こそが、人類最高の民族であり、その末裔こそが、純潔のドイツ人だと考えた。そして、流浪の民としての源流を持つユダヤ人や、ロマ族。そして、アブノーマルな、性癖を持つ人や、どこか、身体や、精神に欠陥のある人を、自分たちの理想に反するとして、排除した。つまり、いじめの最悪な、最終形態であり、集団の暴走が、ホロコーストだと言えるのである。


ホロコーストの犠牲者たちは、生きるために、必死で、考えた。他国への亡命をする人もいれば、ユダヤ人でありながら、ナチスに忠誠を誓い、同胞のユダヤ人の情報をナチスに流した人もいた。

そして、どうにも出来ずに、ただ死を待つ人、自ら命を絶つ人もいた。


この構図は、やはり、今の社会に根付く、いじめや、集団における、異物排除の心理に似ている気がする。


人間関係や、集団行動の中には、それを支えるルールや、条件がある。けれども、そんなモノを抜きにして、誰かを好きになる力も、僕達の中にはあるはずだ。「好きな誰かの為なら何でもできる」そうだろ?


逆も、しかり。


実際、僕の事が気に入らないとの理由で、大事な報告を無視するオヤジがいるが、僕はそいつを見て、自分の失態よりも先に、そいつが哀れに見えてしまう。


そして、そいつにならなければいいと、自分に言い聞かせる。


もしも、あなたが、やられる側で、やる側を哀れに思うのであれば、それはあなたが、あなたを守る心理としては正しい。


そして、あなたはまだ、集団心理や、いじめに負けていない。


強くなるために、心を麻痺させる事じゃ無くて、痛みを知り、その痛みを与えるモノ達をどう思うか考える。その際、痛いと泣いたり、叫んだり、助けを求めるのは決して恥ずかしい事じゃない。


自分は自分でいい。


それが、見えないホロコーストや、ナチズムに勝つ方法だと思う。

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