今年も色々あった。からの〜。
もう、今年も、あと、2ヶ月なわけで、まあ、色々あった年だと思うのは、まあ、毎年の事である。なんせ、何にも無い年なんてない。つっても、過去何年かの出来事を僕の脳内メモリーが全て記録してる訳ではないから、いついつに、どんな事があったかなんて、いちいち正確に覚えてないけど、大抵の年は何かしら色々あるもんである。
詰まる所何が言いたいかって?
何にもないよ。ただ、年の瀬が近付くと、条件反射の様に、そんな言葉が口を突いて出るだけ。
まあ、でも、色々は、あったと思う。
政治関係だと、うちの会社も押していた、民進党が、事実上分解し、ヒッチャカメッチャカになった事で、連合やら、組合やらも、迷走した事や、(参院の民進党は、残るらしい)首相との交友関係からの高待遇を世論が騒いだモリカケ問題。
メディアでは、将棋の加藤一二三九段の引退後の楽しげなテレビ内での立ち振る舞い。
同じく将棋の藤井聡太四段の中学生とは思えない落ち着き。
芸能人の不倫。自殺サイト経由の猟奇殺人。
色々あった。
色々あったが、書いてみると、何だか、新聞の記事や、ワイドショーの寄せ集めみたいだと、今気付く。
自分自身の日常では、かもなく不可もなく、ダラダラと、順調に日々が流れて行っただけである。
とにかく平和。
大人げない事を1つ上げるなら、33歳にして、未だに使えるスーファミを引っ張り出し、マリオや、カービーにハマってしまった事だ。終いには、ブックオフで、中古で売られてたスト2まで買ってハマってしまう始末。
あの頃のゲームは、シンプルで面白い。
今は、スマホで、ゲームをやる時代だが、僕はやっぱり、ゲームは、ファミコンみたいな奴がいい。データだけをスマホに取り込んで、1人でやるより、(スマホゲームも通信で対戦は出来るが)1つの機械を複数で使って、やるのがいい。ダウンロードじゃなくて、わざわざ、ソフトをおもちゃ屋まで買いに行って、買ったあと、わくわくしながら、新しいゲームのスタートを切るのがいい。
1つの機械を共有する事で、友達との一体感を感じたし、自分で買った、もしくは、クリスマスとか、誕生日にプレゼントされたゲームのソフトに、内容以上の思い出や、思い入れが生まれた。
そこが良かった。
本でも、CDでも。
何でも、効率化で、内容つまり、データだけが、市場で消費されている昨今にどこか、寂しさをかんじる。
内容を抱く、書物や、レコード、ゲームは、かつて、生きていた様に想う。内容が彼らの持って生まれた魂なら、その魂をもつ、彼らの姿は、モノとしての肉体だろう。そして、モノとしての肉体を得た彼らと出会った僕たちは、そこに、僕たち個人個人の思い出を注いで行く。本ならば、ページの折り目だったり、ゲームなら、セーブデータだったり。そうやって、モノは僕らと共に成長して行く。
九十九神なんて、昔の人は言って、物は、やがて、魂を持ち、後に神に成ると言ったらしい。
それが、物が怪。物の怪の語源だとか。
今年も、あと少しなんて話から、何だか変な話にすり変わってる。
だけど、1年、1年と、時が過ぎると共に消えて行く何かの中には、まだ、ここにいてほしいものが沢山あるんだと、思う。




