王都めぐり
ギルドから出て向かう先はクラウディオ商会。三年前に俺が会頭を助けた商会であり、王都でも有数の規模で展開している商会だ。必要な物は此処に行けば大体手に入る。
ギルドよりも豪華で巨大な会館の裏に周ってフードを取り、警備している守衛に敬礼されながら裏口を潜る。所轄、顔パスというやつだ。付いて来ているエルさんの顔が白くなったが、見なかった事にして会頭室の扉を叩く。奥からガサガサと紙が擦れ合う音と共に、誰何する低い声が聞こえて来た。
「どなたでしょう?」
「チコです」
「おぉ!」
聞こえてくる声が喜を含んだ物に変わると同時に紙の擦れ合う音が激しくなり、暫くして消えたと思った瞬間に扉が勢い良く開いた。その奥に現れたのは、質の良い衣装に身を包んだデブ――クラウディオ商会会頭、クラウディオ・デボダ準男爵。名前の無かった俺に名前を付けてくれた人だ。
「お久し振りです、チコ殿。ささ、中へどうぞ」
「失礼します。あ、連れも一緒に良いですか?」
「チコ殿のお連れの方なら何も問題はありませんよ。おぉ、これは可愛らしい方で!ささ、奥へ奥へ」
饅頭に肌の色を着けてパーツを付けたような風貌のクラウディオに促され、俺達は奥にある応接椅子に座る。エルさんの目が死に掛けていたが、肩を揺さぶるとハッと目を覚まして俺に掴み掛かって小声で叫んできた。
「ち、チコさん!どうして私は此処に居るんですか!?」
「俺に付いて来たから、じゃないんですかね」
「質問を変えます!どうして此処に連れて来たんですか!?」
「会頭を当たった方が早いからです」
「そうじゃなくて……いえ、もう大丈夫です。落ち着け、私。落ち着け、チコさんにとってはこれが普通」
「普通じゃないですからね?」
念の為に突っ込みを入れていると、クラウディオさんが俺達の前にお茶と茶請けを出してくれた。緑茶と小さな饅頭という日本テイストなこれは、どちらも俺が紹介した物だ。最初は冗談のつもりで紹介したのだが、今では商会の主力商品になっているとか。和の心は異世界でも通じるらしい。
「ささ、まずはどうぞ。私もお茶の淹れ方を研究したのですよ」
ニコニコと笑うクラウディオさんの勧めるまま、俺は緑茶を口に含む。口に深みのある味わいとうま味が広がる。渋みが少なく、エルさんが子供舌だとしても問題無く飲めそうだ。これは恐らく……。
「玉露、ですか」
「ほほう、それが玉露だったのですか!流石チコ殿。一口で当てられるとは」
参りました、と豪快に笑うクラウディオさん。まだ教えて三年なのに、此処まで生産を進めているとは驚きだ。最初は茶葉を見つける所から始めていた上に、部位は名前以外教えていない筈なのだが……流石は商人と言った所だろうか。
茶器を机の上に戻し、饅頭に手を伸ばす。これまた俺が伝えた餡子が使われており、懐かしい甘味が口いっぱいに広がった。チラリと横を見ると、既に饅頭を食べたでエルさんが俺の方を凝視している。正確には、まだもうひとつ残っている俺の饅頭を凝視している。
「……食べますか?」
「……良いんですか?」
「……どうぞ」
「……ありがとうございます」
早速饅頭を口に運んだエルさんは、花の咲くような笑顔を浮かべて頬に手を当てている。本当にこの仕草をする人がいたんだなと思いながらクラウディオさんの方を見ると、ニマニマと気持ちの悪い笑みを浮かべながら俺を見ていた。
「コレ、ですか?」
「いいえ。全く。これっぽっちも」
小指を立てるクラウディオさんの言葉を否定すると、残念そうな顔をされた。俺みたいな化物が女性を引っ掛けられる訳が無い。全員俺の立場に恐縮するか、恐れるかの二択の反応しかしない。唯一そんな素振りを見せないイラーナさんは既婚者だ。残念だったな。
そんな事はどうでもいい。本題に入らなければ。
「クラウディオさん、商会では学園で必要な物を一通り販売してましたよね?」
「えぇ、貴族用から一般用まで幅広く取り扱っておりますよ。ふむ……差し詰め、チコ殿が何かやらかして入学する事になったんですね?」
「何で分かるんですか……」
「商人の勘です」
そんな事まで分かってしまうとは……怖ろしきかな、商人の勘。
それは兎も角、事情が分かっているなら話は早い。学園で一通り必要になる物を購入する旨を伝えると、明日までに用意すると確約してくれた。流石クラウディオ商会の会頭と言いたい所だが、彼の狙いが分かっている俺としては何も言えない。隣のエルさんは感動しているが。
「その代わりにですが……」
「分かってます。お金の種になりそうな何かを提供すれば良いんですね?」
「話が早くて助かります」
商人が見返り無しに親切にしてくれる事はありえない。その事は良く知っている。何故なら、目の前のクラウディオさんがその商人の鑑のような人物なのだから。目を輝かせていたエルさんが死人のような顔になっていたが、気にしない事にした。
この人を満足させるには、この世界に無い物、つまり前世の地球にあった物を小出しにするだけでいい。今まで提供した物は、先程の緑茶や饅頭の他には唐揚げや天ぷらなどがある。今回は何を提供しようか……。
「そうですね、こんなのは……っと、どうでしょう?」
「ふむ?ミソ、ですか?」
サラサラと紙に書いたのは、大豆を発酵させて作る日本の心、味噌の製造方法だ。かなりうろ覚えではあるが、名前以外何も教えていないのに玉露を見つけたクラウディオさんの力なら問題無いだろう。
「えぇ、味噌です。万能調味料ですよ」
「少々難しそうですが、莫大な金になりそうですね。御代としては十分です。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。明日、お願いしますね」
「お任せ下さい。クラウディオ商会の名に賭けて、必ずご用意致します」
目を細めて意地汚い笑みを浮かべるクラウディオさんと握手を交わし、俺は目が逝っているエルさんを呼び戻しつつ立ち上がる。用件を済ませた以上、此処に居座る理由は無い。煌びやか過ぎて目が疲れるし、何より忙しいクラウディオさんを長時間拘束するのは誉められた事ではないからな。
お辞儀をするクラウディオさんに見送られながら、俺達は会館の裏口から外へ出る。これで俺の用件は終わったが、イラーナさんに言い含められた用件は終わっていない。
イラーナさんは俺にエルさんをエスコートするように言ったが、これだと俺の買い物に付き合わせただけだ。このまま帰れば、イラーナさんの怒りの鉄槌と、今後の報酬の減額、そして嫌がらせが待っているだろう。まだ昼までは相当時間がある以上、やる事はひとつ。
「エルさん、俺と一緒にもう少し王都を回りませんか?」
「……え?良いんですか?」
「えぇ。エルさんが良ければ、是非」
というか、一緒に来てくれなければ困る。鉄槌と報酬の減額はまだ良いが、あの人の嫌がらせはガチでヤバイのだ。入学を控えている身で仕事を大量に仕事を押し付けられたり、王都中で犯罪が多発したりするのは本気で勘弁願いたい。ギルドマスターの癖に、嫌がらせの為だけに犯罪を増加させるのだからタチが悪い。
「えっと……お願い、します」
おずおずと頭を下げるエルさんに頷きながら、俺は内心でガッツポーズをした。喜びの内訳は、女の子と買い物に行ける事が0.1割、残りがイラーナさんの怒りを買わないで済んだ事だ。そこ、臆病者とか根性無しとか童貞とか言わない。
しかし、王都を回るといっても女性経験に乏しい――否、皆無の俺はエルさんを何処に連れて行けば良いのか分からない。面白い所に行けば良いのか、美味しい物が食べられる所に行けば良いのか、はたまた別の所か。えぇい、面倒臭い。
「何処か行きたい所とかありますか?」
「うーん……」
エルさんは腕を組むという親父臭い格好で傾げ、眉を八の字にして考え込む。突然何処に行きたいと言われても、すぐに答えるのは至難の業だろう。『晩御飯は何が良い?』と聞かれて『何でも良い』と答える人の幾らかはそう思っている筈だ。
暫く考え込んでいたエルさんは、何かを閃いたのか突然パッと顔を上げる。
「私、冒険者になりましたから、必要な物を見に行きたいです」
「成程。それは良いですね」
そういう事なら、俺は正に適任と言える。何せ、三年前からこの街でずっと冒険者をしているのだ。必要な物が揃う店は殆どを網羅し、その質も把握している。ついでにお詫びで何かを買ってあげても良いかも知れない。
エルさんは駆け出しだから、そこまで質の高い物を揃える必要も無いだろう。余り質の良過ぎる物を揃えていると睨まれるだろうし、何より人攫いや同業者狩りを生業をする冒険者に目を付けられて危険だ。三年前は依頼に出る度に襲われていたから良く分かっている。
それだと、行く店はマニアックスタイルで良いだろう。癖が強い物が多いが、普通の品も多いし質もそれなり、更に駆け出しでも何とか揃えられる程度には安いと来た。今回の買い物にはうってつけだろう。商品だけでなく、店の癖がかなり強いが……そこは割り切るしかない。
「それなら良い店を知っていますよ。行きましょうか」
「はい!お願いします!」
満面の笑みを浮かべるエルさんを連れて、俺はマニアックスタイルがある南門の方へと足を向けた。
「あれです。エルさん」
「あれですか……あれなんですか?え?あれですか?」
暫くして目的の店が目視出来る道に出た。俺がマニアックスタイルの建物を指差すと、エルさんは一度目を向けて逸らし、そしてもう一度目を向けて絶句する。気持ちは分からないでもない。俺も始めてその店を見た時は同じ反応をしたのだ。
ドギツイピンクを基調とした、前世で言うラブホテルにしか見えない建物。青い看板には『マニアック☆スタイル』と目に痛い黄色で書かれており、やけに近代的なガラス張りのショーウィンドウにはゴスロリチックな服が飾られている。何処からどう見ても冒険者が使用するような店には見えない。
「本当にアレなんですか!?何かの間違いじゃないんですか!?」
「いや、間違いじゃないから。入りますよ」
「あ!待ってください」
エルさんが「やっぱりやめましょう」と言いだす前にサッサと店内に入ると、彼女も慌てて入って来る。それと同時に、概観と同じ様にピンクを基調とした店内のあちこちで暇をしていた店員達が一斉に俺達の方を向いた。全員ゴリマッチョのむっさい男達だ。
「「「 いらっしゃいませぇん♪ 」」」
……全員オネェだが。
「ふぇぁあっ!?」
「落ち着いてください。アレが普通です。普通なんです」
「は、はいっ!あれが普通、あれが普通……」
エルさんに自己暗示を掛けさせると同時に、俺達は恐怖の店員達に囲まれる。かr……彼女等は俺が化物だと知っていても物怖じせずに接してくる。逆に可愛いと言いながら構ってくる始末だ。嬉しいが、全く嬉しくない。この複雑な化物心。
何を言っているんだ、俺は。
「チコちゃぁん、来てくれたのねぇん♪今日のお客様は可愛いお嬢ちゃんの方かしらぁん?」
「はい。費用は俺が持つので、一般的な駆け出し冒険者用の装備を整えてあげてください。あ、ナイフはちょっとだけ良い奴で」
「かしこまりましたわぁん♪さ、お嬢ちゃんはこちらへどうぞぉ♪」
「え、いや、チコさん助けて!やあぁあぁぁぁぁっ!」
俺は両脇を抱えられて奥に連れ去られて行くエルさんから目を逸らすと、巨獣素材で作られたと言う最新の軽防具を眺めた。
「ぐすっ……ひっく……うぇぇ……」
「チコちゃん、泣かせちゃったわ。ごめんなさいねぇん?」
「想定の範囲内です」
数十分後、何処からどう見ても駆け出し冒険者にしか見えなくなったエルさんが泣きじゃくりながら帰って来た。一般的な緑色のインナーと灰色のズボンに白いローブ、護身用と解体用を兼ねたちょっと良いナイフと安めのウエストバッグ。それに皮手袋という組み合わせだ。確かに似合っているのだが、このセンスの持ち主がオネェの店員だと考えると……いや、うん、似合ってるな、うん。
武器がナイフしかないのは、彼女が生粋の魔法士タイプだからだろう。戦い慣れていない所為もあるだろうが、足運びも接近戦に慣れた物とは言えないし、非力だ。魔法学園に入学出来るだけあって、魔法の才能はあるのだろう。店員もそれを考慮したに違いない。何だかんだ言ってプロだし。
ちなみに、冒険者向けのインナーには緑を基調とした物が多い。何故かというと、鎧を脱ぎ捨てて逃亡を図る際に森林に溶け込みやすいからだ。迷彩柄もあったりするが、そちらはダサいという理由で人気が無い。全身を迷彩で揃えると中々映えるのだが、そんな物好きは殆ど存在しない。
「代金は小銀貨七枚になりますわぁん♪」
「大銀貨で」
「かしこまりましたぁん♪」
絶対に早く逃げたがっているであろうエルさんの為、すぐに会計を済ませて外へ出る。トラウマになってなければ良いのだが……女性のエルさんには難しいかもしれない。女性の採寸の際には、女性ではあるが店員の誰よりも逞しいレズビアンのゴリマッチョ店主が出て来るからだ。エルさんが戻ってくるまですっかり忘れていた。
「うぅぅ……もうやだぁ……」
しっかりトラウマになったらしい。
俺はよろよろと歩くエルさんを支えつつ、やはりマニアックスタイルは失敗だったかと考えながらギルドへと足を向けた。安さや品質は重要だが、店自体の質も今後は考慮する事にしよう。