銀の少女と不届き者
鼠色に近い銀の髪を揺らしながら入って来た少女は、挙動不審気味に辺りを見回す。慣れていない様子から見ると、此処に来るのは初めてのようだ。
俺も昔はあんな感じだった。剣の腕を生かして冒険者になろうとしたのはいいもののどうして良いか分からず、しかめっ面で立ち竦んでいたらあんな風にイラーナさんがやって来て――
「あら、初めての人?依頼かしら?」
それで強引に手を掴まれて、依頼用のカウンターに引っ張られて「何を依頼するの?」と聞かれた所で漸く――
「ち、違うんです!冒険者登録に来たんです!」
うん、三年前の俺と全く一緒の流れじゃないか。
随分と可愛らしい、それでいて凛とした声で叫んだ彼女に、イラーナさんはあらあらと微笑む。チラリと俺の方へ目を向けた所を見ると、やはり三年前と重ねているらしい。
「ごめんなさいね、可愛らしかったからつい、ね」
「は、はぁ……」
改めて登録カウンターに移動した二人は、外と内に別れて相対した。ガチガチに緊張している少女は、相変わらずあらあらまあまあしているイラーナさんに促されて必要事項を記入している。かなり書くスピードが早いが、学があるのか?
「えぇっと……うん、問題無いわね。じゃあこれからギルドの説明をするわよ」
「は、はい、お願いします」
「じゃあまず注意事項から……」
イラーナさんが注意事項を説明し始めるが、どれもこれもありきたりの物だ。基本は国の法律遵守、他の冒険者を襲わない、取り分は自分達で決める……しかし、少女はそのひとつひとつを真面目に聞いていた。
そして最後に、イラーナさんは王都ギルド以外では説明されない注意事項を着けた。
「いいですか?これが最も重要です」
「はい」
「もしもあなたが何かをした時に、黒いコートを着てデカイ剣を持っている小さな少年に声を掛けられたら……」
「……はい」
「土下座しなさい。悪いようにはならないわ」
「えっ」
何吹き込んでんだよ。俺が避けられてるの絶対その所為だよ。
少女は恐る恐る俺の方を見て、サッと目を逸らした。俺の精神は大ダメージを受けた。果実水が更に不味くなった。
「じゃあ次にランクについて説明するわね。冒険者はCDランクとか、FDランクとか呼ばれて評価されているわ。このランクにはG~Sの二つの組み合わせで区別されているの」
「はい。Sが一番高いんですよね」
「そうよ。それで、一つ目の位、文で左側に来る方はギルドからの信頼度を表しているの。依頼をしっかりこなしていれば上がるし、依頼の達成評価が高くても上がり易くなるわ。逆に依頼をすっぽかしたり、犯罪を犯すと下がるの」
「二つ目の方はどうなんですか?」
「二つ目の位は達成可能目安度……ぶっちゃけちゃうと、強さの指標よ。強ければ上がるわ。此方は信頼度と違って、昇格の際に試験があったりするわ。依頼の難易度は基本的にこっちで示されているからね」
「分かりました」
説明が終了し、イラーナさんは「ちょっと待っててね」と言って奥に引っ込む。冒険者の身分証明書となるギルドカードを作りに行ったらしい。残された少女は、今の内にと依頼掲示板の前へ移動してそれを眺めている。熱心な事だ。
果実水を飲み干した俺は、少し居眠りする事にして顎を両手に乗せ、目を閉じる。僅かばかりに残っている二日酔いの残滓である頭痛が、今は丁度良い睡眠導入剤になっていて心地良い。あぁ、堕ちる……
「ガキがこんな所で何してんだ!邪魔なんだよ、退きやがれ!!」
「キャッ……!」
と、眠りに堕ち掛けていた俺の意識は、悲鳴によって一瞬で表に引き戻される。目を開けて依頼掲示板の前を見ると、見覚えの無い冒険者が突き飛ばしたのか、少女が壁に叩きつけられて崩れ落ちるのが見えた。
「ケッ!これだから都会者はいけ好かねぇんだ!俺達冒険者が暮らしを守ってやってるのによ!」
「流石兄貴!」
「一生付いて行きやす!」
少女を見下ろして鼻を鳴らす大男の言葉に、腰巾着らしき小男二人が媚びた声で花を添える。相当田舎から出て来たのか、服装も貧相で持っている武器も品質が悪い。そして、ギルドでのマナーや王都ギルドの厳格さも知らないようだ。
さて、此処で少し俺の話をしよう。
俺はSSランクの冒険者だ。SSランク冒険者というのは、ギルドからの信頼も篤く、そして尚且つ単独で巨大な魔獣――巨獣の大半を圧倒できるような実力を持っている。全冒険者を見ても、その域にまで至っているのは俺を含めて三人だけだ。
此処までの実力を持つ冒険者は、掲示板に貼られた依頼をこなす事は殆ど無い。ギルドから直接依頼される、高難易度高報酬の依頼をこなすのだ。勿論掲示板の依頼もこなす事はあるが、ギルドからの依頼と比べて報酬の差が大きい為に受ける必要が無い。だから先程イラーナさんに依頼の有無を確認したのだ。
勿論、此処までの道はかなり面倒だった。三年前の俺は、剣一本と、それを操る腕と、人に舐められるような低い身長と、全く愛らしく無い眉間に皺の寄った顔と、僅かな日本人的感覚しか持っていなかった。勿論、そんなちんちくりんがまともに相手されるわけが無い。
認めてもらう為に、初めて冒険者登録をした日から毎日、片っ端から依頼を受けた。耄碌した爺の話し相手から、知識人の研究の手伝い。家の解体、手伝い、マッサージ、魔獣討伐、それこそ何でもやった。それらの殆どを成功させて来たからか、少しすれば俺のランクは瞬く間に上昇した。
そして信頼度を示すランクがSになったのが数ヶ月前。その日に、俺はギルドからとある権限と共に義務を与えられた。
代理処罰権。規約違反や法律違反を犯した冒険者を、俺の裁量で処罰出来るようになる権限だ。迅速に処罰が可能になる一方で、俺の気に喰わない冒険者を一方的に弄る事も可能になってしまう危険な権限でもある。勿論俺は一切それを使わない予定だったのだが、イラーナさんに考えを読まれたのか義務が付け加えられた。
そしてその義務が、処罰権を行使せざるを得ない状況では必ず行使する事。行使しなければ信頼度をGまで下げると言われては、流石に首を縦に振らざるを得なかった。何せ、ランクGSとSSでは受けられる依頼の多さが格段に違うのだから。
そして今目の前で起きた、男が理不尽に少女を突き飛ばすという事件。ギルド規約では冒険者同士の私闘等は認められているが、彼女はまだ冒険者カードを持っておらず、冒険者ではない。勿論、冒険者が一般人に手を挙げる事は規約だけでなく、この王国の法でも禁じられている。
つまり有罪。よって俺は仕事をしなければならない。極めて面倒臭い。
「ハァ……仕事しますか」
傍らに立て掛けてある剣を背負うと、酒場から出て少女の容態を確認する。意識を失っているようだが、命に別状は無さそうだ。大方、頭をぶつけて脳震盪でも起こしたんだろう。これなら後回しにしても問題は無い。
勝ち誇った表情で小物二人に賞賛されている男の背後に回り、トントンと背中を叩く。水を差されて不機嫌そうに振り向いた男は、フードを被って剣を背負った子供にしか見えない俺を見てその表情を嗜虐的な物に変えた。
「おうおう、ガキが俺に何の用だぁ?」
この人を見下して掛かる態度、不愉快だ。
「ギルドの規約に違反しておいて何の用だ、とはお笑い種だな」
「あぁん?文句でもあんのか」
「一般人に対しての暴行は規約と法によって禁じられている。よって、代理処罰権を行使させてもらう」
「ア"ァ?」
威圧するように俺を睨み付けて来るが……正直言って怖くもなんとも無い。
「処罰をすると言っている。冒険者カードを渡してもらおうか」
「処罰とか知らねぇよ!テメェなんかに渡すわけねェだろ!」
「流石兄貴!」
「一生付いて行きます!」
……あまりの馬鹿さ加減に溜息しか出ない。不愉快だ。
「ならば実力行使と行こうか」
足を肩幅より少しだけ広げ、右足を半歩後ろへ、膝は伸ばしたまま。剣は必要無い。この男から発せられる闘気はかなり薄く、魔力も殆ど感じない。気配を遮断されている様子も無い。タダの田舎上がりだ。
俺が体勢を変えたからか、男も腰を落として拳を構える。武道の流れを組んだ物でも、戦いの中で鍛えられた物でもなく、タダの喧嘩に使うような稚拙な構え。正直、冒険者なのだからもう少しまともかと思っていたのだが、期待はずれだ。
後ろの小物は参加しないようだ。キィキィ喚いて耳が痛い。不愉快だ。
「オラァ!今更怖気づいてんのかァ!?」
「煩い……来いよ」
右手の人差し指でチョイチョイと招く。何かがブチ切れるような音が耳に届くと同時に、男が雄叫びを上げて襲い掛かって来た。
「ォォォオオオオオオオおおぉぉおぉぉっ!?!?」
「気迫だけは一人前だな」
伸びてきた拳を掴み取って捻ると、男はそれだけで叫び声を上げた。体重が乗っているパンチだったが、そこまで重くは無い。力だけならEランク辺りか。
「実力差は分かっただろう。カードを渡してもらおうか」
「ガッ……グゥッ、誰がッ……」
「そうか」
「ッ!ぬぐぁァアアグバァッ!!」
掴んだ腕をそのまま上に放り投げる。男は綺麗な放物線を描きながら地に墜ち、ビクビクと痙攣し始めた。怪しい音がしたが、多分大丈夫だろう。腐っても田舎から王都まで出る腕はあるからな。多分。
気が晴れた所で男の荷物を引っ繰り返し、青銅で作られた冒険者カードを拾い上げる。名前はブラスと言うらしく、ランクはDF。元いた場所ではそれなりに活躍していたようだ。
俺は白金で出来た自分の冒険者カードを懐から取り出し、男のカードに重ね合わせる。そのまま魔力を通すと、白金と青銅の二枚のカードが発光を始めた。代理処罰権が承認された証だ。
「SSランク、チコの権限に於いて代理処罰。二ヶ月間、報酬を二十パーセント減額。以上」
処罰を下すと同時に、カードの発光が治まる。重ねていたカードを離すと、ブラスのカードに赤いバツ印が刻印されていた。処罰が正常に下されたされた証だ。
「これ以上俺の仕事を増やすなよ」
未だにピクピクしているブラスにカードを投げ付けると、俺は隅で抱き合って震えている小物をチラリと見やる。あいつ等は一応何もしていない。処罰を下す必要は無いか。
俺は崩れ落ちている少女に近付き、その体を抱え上げる。身長が俺よりも高い所為か持ち上げる事に若干難儀したが、一度持ち上げてしまえば後は楽だった。
しかしこの少女……肉付きが悪い。卑猥な意味では無く、体にあまり筋肉が付いていないという意味だ。冒険者になるには本当に最低限しか付いていない。魔法で戦うタイプかも知れないが……いや、もしかしたら小遣い稼ぎかも知れない。
彼女を近くのソファまで運び、そこに横たえる。活性魔法が効いて来て意識が浮かんで来たのか、彼女は瞼を震わせて艶かしい呻き声を上げた……が、俺は起きるのを待ってやるほど優しくは無い。
「果実水、お願いします」
「ひゃあぁぁい!」
何時の間にか出て来ていた給仕の女の子が厨房に飛び込んで行くのを眺めながら、剣を背中から降ろして酒場の椅子に座る。すぐに戻って来た女の子は、俺の前に果実水とシフォンケーキを怯えながら置いた。
「シフォンケーキは頼んでないんですが……」
「あわ、こ、こりぇはです!アレです、サービス!」
「サービス?」
俺が目を細めると、女の子は「ひぅっ!」と悲鳴を上げて縮こまってしまう。俺が悪役みたいになるから止めて欲しい。マジで。
それは兎も角、サービスとは何だろうか?三年間この酒場を利用しているが、こんなサービスをされた事は無い。
「ほ、ほりゃ!あそこにょ女の子、助しゅたじゃにゃいですきゃ!」
「ハァ……」
「しょれ!しょれぎゃ理由れす!じ、じゃあ私はこりぇで!!」
滑舌が壊滅的になった女の子は、再び悲鳴を上げて机に躓きながら厨房へ飛び込んでいった。俺の前に残されたのは、果実水の入ったコップとシフォンケーキの乗った皿のみ。
「……フォークが無い」
この後滅茶苦茶叫ばれた。
それから少し経って、俺が落ち込みながらシフォンケーキを食べ終えた頃になって漸くイラーナさんが戻って来た。彼女は燦々たる有様となっているブラスと取り巻きの小物二名、そしてソファの少女を見てから少し考え込み、合点が行ったように俺を見た。
『ありがと』
口の動きだけで伝えられたその言葉に手を挙げ、果実水を飲み干す。後はイラーナさんに任せておいても問題は無いだろう。
顎を組んだ手に乗せ、目を閉じる。どうせ昼間でやる事も無いんだ。あの男に邪魔された昼寝を楽しむ事にしよう。