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独白

 ――見事に全員潰れたわね。


 金色の小皿亭の食堂の床を覆い尽くす大人達を眺めながら、私は一人つぶやいた。酒に強かった筈の姉は私が強制的に酔わせて潰し、最後まで起きていたチコも今は夢の中。まだ幼いこの店の娘は先に部屋に戻っているから、今この場で意識があるのは私だけだ。


 一人で酒をちびちびと飲みながら、目の前の机に突っ伏しているチコを眺める。昨日までは眠る度に魘されていたけど、今日は魘されてはいないみたいだ。眉根こそ厳しく寄ってはいるけど、何時もの表情だから問題無いと思う。


 手段と目的が逆転していたチコは、持ち前の強靭すぎる精神力と強さという柱で心を保っていた。その柱はどんなに傷付けられても折れる事は無かったけど、何時までもその状態を保っていられるという保障も無かった。


 私達天使が介入する理由はそれだけで良かった。チコの心が折れてしまえば、それだけ後に禍根を残す可能性が高くなる。だから柱を絶対に折れないように補強するか、或いは一度折って立て直す必要があった。


 本来であれば、その役目を担うのは私の筈だった。確実に魔闘大会に出場するであろうチコと戦い、負ける事で更に自信を付けさせるか、勝って心の柱を折り、姉に支えさせる事で立て直す予定だった。だけど、姉が魔闘大会に出場すると言った事で予定が狂った。


 最初に何故、と思った。チコの精神を立て直す計画は、姉ではなく私主導で、しかも姉に伝える事無く遂行される予定だったからだ。だから姉は計画の事を何も知らない筈なのにと、そこまで考えた所で私は昔を思い出した。


 姉もまた、チコと同じ状況に陥って壊れかけた時期があった。それは主様の手によって鎮められたけど、その時の記憶は心に深く刻まれている。勿論当事者である姉の心には、私以上に深く刻まれているに違いない。


 姉は心が壊れた時の辛さを知っている。その所為か、姉は精神が不安定な人間に対してとても敏感だ。だからチコが壊れてしまう可能性を嗅ぎ取ったのだろう。そして同時に、優しい姉はチコを助けたいと思ってしまった。


 助けたいと思ったからこそ、姉は私達の計画と同じ方法を考え付き、決行へと踏み出した。意外と頑固な姉は、一度決めた事を中々変えてはくれない。だから私は、私の役目を姉に任せて前座に回る事にした。


 私に負けるならそれでも良し、勝ったなら本気の姉との戦いになる。正直、チコに更に自信を付けさせる案は駄目だろうと思った。流石のチコでも本気を出した姉には敵うまいと、そう考えていたのだ。


 でも、チコは私の予想の斜め上を行っていた。


 確かにチコは本気を出した姉には敵わなかった。でも、後一歩の所まで姉を追い詰めた。前日は私と互角だったのに、たった一日で大きく成長して、私の手が届かない遥かな高みへと昇ってしまったのだ。


 私はその時、初めて悟った。チコの強みは先代剣聖に教わった剣技でも、無理矢理に高められた身体能力でも、ましてや体に宿した魔力でも無い。確かにそれも強みのひとつではあるけど、本質はもっと別の所にある。


 チコの強みは、その驚異的なまでの吸収力と成長力。こと剣技や循環系魔法に関する事であれば見るだけ、試すだけでほぼモノにしてしまうほどの学習能力と並外れた精神力こそが、チコを最強へと押し上げる原動力となっている。


 主様が姉にも抑えられないかも知れないと評した理由が始めて分かった。確かに今日の所は姉が勝利したけど、何時かは――いや、恐らくもう一度戦えば、姉はチコに敗北するだろう。間違い無くこの世界では最強であった姉が。


 際限無き可能性と進化、そして強敵との戦いが生み出した新たなる最強(チコ)。そしてその最強は無事姉に惚れ、この世界で生きる事への執着を強くした。予定の狂いはあったけど、目的は確実に達成されている。


 それに加えて、姉の意識の変化も見られた。今まで仕事一辺倒で合理的な思考の持ち主だった姉が、チコの為に初めて合理的ではない選択をした。初めて自分の感情で行動した。


 正直、姉を取られているみたいでいい気はしない。でも、今まで自分の感情を後回しにして主様の為に動いて来た姉を変えたのは間違い無くチコだ。今はまだ小さな変化に過ぎないけれど、これからもチコはどんどん姉を変えて行くに違いない。


 姉の事を熟知している主様でさえも、姉の心が壊れるのを食い止める事しか出来なかった。でも、姉の心に最も深く侵入しているチコならきっと――と、そう思ってしまう。






 だけど、その未来は決して訪れない事を私は知っている。いや、寧ろもっと悲惨な未来になる事を知っている。本当に、本当に避けたい結末ではあるけれど、それを回避する道筋を私は知らない。


 頑張って避けようとした。でも避けられなかった。姉を救ってくれるかもしれない人の命と、姉が救われる可能性を犠牲にしなければ、この世界を簒奪者から守る事が出来る可能性を生み出せなかった。


 このまま行けば、計画の成否に関わらずチコはその命を落とし、姉は救われぬまま最高戦力として戦乱の中に身を投じる事になる。両方が生き残る道を掴み取る可能性は、限りなく不可能に近い。


 更にチコに限って言えば、魔闘大会で予想外に鍵を二つ解き放ってしまった事で危険度が増している。この世界の概念に封じられている()は目覚めつつあり、既にチコの体を蝕み始めている。


 このまま何の対策も打たずにいれば、チコはその精神を奴に喰われて自我を乗っ取られる事になるだろう。勿論その対策は考えてあるけど、それを乗り越えてもチコを待ち受ける結末は変わらない。


 チコには絶対に戦ってもらわなければならない。この世界より格上の世界から来る簒奪者の最高戦力に対抗出来るのが、奴を取り込んで世界の理を超えたチコなのだ。命を犠牲にするほど体を強化する事で、最高戦力と互角に持ち込む事が出来る唯一の存在なのだ。


 既に理を超えている姉ならそれなりに戦えるけど、勝算は殆ど無い。更に、格上の世界の住人で構成された簒奪者の軍に対抗出来る戦力も少ない。集団戦が得意な姉にフォローに回ってもらわなければ、勝利を得る事は出来ないのだ。


 もしも私達が敗北する事があれば、簒奪者はこの世界から全てを奪って行くだろう。資源や生物は勿論、私達の体や姉の能力、そして主様の身まで、全てを……。


 そんな結末は絶対に許してはならない。だから私は生贄を生み、犠牲に差し出す。例えそれが、最愛の姉を深く傷付ける事になったとしても。


 だけど……だけど、私は祈る。主様は勿論、簒奪者よりも遥かに格上の神に届くように願いながら祈る。僅かとも表現出来ないほど小さな小さな可能性が――二人が共に生き延びる可能性が現実となるように。


 ――どうか二人に、幸せなその先がありますように、と。

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