化物剣聖
「……何というか……」
「まぁ、師匠だし。自由奔放すぎて困る人だったし」
「そうねぇ……あなたにはどう見えたの?」
「勝手な人、だな。自由になった今では結構感謝してるけど」
「今が良ければ良いんじゃないかしら?私達エルフはそうやって生きてるわよ」
「寿命が長いもんな」
「まぁね。それで、その後はどうなったの?」
「そうだな。確か――」
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目の前に転がる師匠の骸に、彼の愛剣を突き立てる。何の反応も無く冷たい身体に沈んだサーベルは、赤い血を滲ませながら墓標の様に突き立った。
師匠の死と俺の解放を目撃した奴隷達がざわめいている。当然だ。初めて弟子の方が勝利したと思ったら、突然師の方が弟子の忌まわしき枷を破壊し、死んだのだ。抑圧されている奴隷達がそれを目撃して、黙っている方が難しいだろう。
その煩い声は、俺にとって不愉快な物でしかない。
自分の剣を持ち、師匠の骸に背を向けて、俺は門の方角へと向かう。取り囲んでいた奴隷達は、俺が近付くと海を割ったように道を開けた。目には尊敬や困惑よりも、恐怖の方が色濃く見える。前々からそうだったが、大量の奴隷達を無慈悲に葬った俺が恐いらしい。
奴隷達の間を抜け、施錠されている扉を蹴り破る。轟音と共に吹き飛んだ扉は、向こう側で見張りに立っていた兵士を肉塊に変えてからバラバラになった。
「何事……ッ!」
騒ぎを聞きつけた別の兵士が、解放された俺を見て血相を変える。すぐに笛を取り出し、高々と鳴らして異常事態である事を周囲に知らしめた。そのまま流れるように抜剣し、俺に飛び掛って来る。
踏み込みが大きすぎる。剣も大降り過ぎて隙だらけ。速度も大した事無い。子供だからと舐め腐り、傲慢にも武装した元戦奴隷に単騎で掛かる。
不愉快極まりない。
斜めに斬り上げ、剣を弾き飛ばして拳を顔面に叩き込む。たったそれだけで、目の前の兵士は顔面の骨を砕かれて死んだ。
それでも、目の前の不愉快な塊は己の役目を果たしたと言える。笛の音に誘われ、取るに足らない武器で武装した兵士達が俺の行く先を阻む。数は四十五。
その中で一際豪華な鎧を身に付けた髭面が、大仰に口を開いた。
「そこの戦奴隷、サッサと降れ。今なら咎無しで済ませてやる」
戦奴隷?俺はもう奴隷じゃない。首輪は既に、俺が打ち負かした剣聖と共に消えた。
今の俺は、先代の剣聖を打ち負かした新しい剣聖だ。
「笑わせるな」
「残念だ。やれ!」
髭の号令に、兵士共が一斉に襲い掛かって来る。ドイツもコイツも動きがトロい。何度も打ち合ってきた戦奴隷にすら劣る。誇り高き剣を振り回すだけの木偶でしかない。不愉快だ。
足を肩幅より少しだけ広げ、右足を半歩後ろへ。剣は右手に持ったまま脱力し、膝は伸ばしたまま。師匠のムカつく面を思い浮かべ、目の前に迫る木偶へ向けて剣を振る。
一振り毎に数人の体が割れ、血飛沫が辺りに舞った。死体からはみ出た内臓は殺到する兵士達に踏み潰されて潰れ、目まで染みるような臭気が漂い始める。兵士達はそれに顔を顰め、剣線をブレさせた。
未熟所の話ではない。命のやり取りの現場で他の事に意識を取られるなど、愚かにも程がある。不愉快だ。
剣を振るい、道を塞いだ兵士を二人斬り捨てる。これで三十人目、いい加減無駄だと知ればいい。
剣聖の前では、並みの兵士など有象無象と何ら変わらない。
「化物ォォォッ!!」
年若い兵士が槍を構え、叫びながら突進して来た。本当は怖くて仕方ないくせに、空気に呑まれてそれから目を背けている。狂ったように見開かれた目は血走っていて滑稽だ。
化物、か。正に俺を形容するに相応しい言葉だ。差し詰め俺は、化物剣聖という所か。
一閃。
若い兵士は体を両断されて崩れ落ちる。目もくれる必要など無い。こんなふざけた所からはサッサと消えてやる。
そう思って門へ向かおうとした所で、髭の男が視界に入った。腰を抜かして失禁……いや、それ以上の物を垂れ流しながらガタガタ震えている男は、ぐちゃぐちゃに崩れた顔で俺を見上げている。
未熟な部下を突撃させ、自分は高みの見物と決め込んでいたか。不愉快だ。
「だ、だずげェエ!」
「死ね」
真上からの振り下ろし。男は真っ二つに裂け、断面から様々な体液を噴出させながら左右に崩れ落ちる。断末魔の声すらも無かった。
剣を大きく、鋭く振る。刃毀れひとつ無い磨き上げられた刀身は、たったそれだけの動作で全ての血糊を地面へと叩き付けた。
まだ生き残っている兵士達から哀れな悲鳴が上がる。チラリと目を向ければ、白目を剥いて失神した。胆力の無い奴だ。俺が屠らずとも、戦場ですぐに死ぬだろう。
何時の間にか目の前まで迫っている閉じられた城門を見上げると、剣を左手に持ち替えて右拳を振りかぶる。身体強化を濃縮付加しつつ助走を付け、全身の力を込めて門を殴れば、鋼鉄製の扉はいとも容易く歪んで穴を開け、掛けられていた太い閂が轟音と共に折れた。
濃縮負荷の影響で壊れた筋繊維を活性魔法で癒しつつ穴を潜り、外へ向けて走り出す。俺は馬車よりも早い。兵士共は俺に追いつく事は出来ない。このまま距離を稼ぐ。
街中を走る途中、突然目の前に翼の生えた蜥蜴が降り立って来た。鋭い眼光が俺を憎々しげに睨み付けて来る。背中に兵士が乗っている事を考えると、竜騎兵って所か。
だから何だ?
跳躍、一閃。
それだけの動作で、蜥蜴の首は胴体から別れてゴトリと落ちる。哀れに叫ぶ兵士の前に着地した俺は、そのまま顔面に回し蹴りを叩き込んだ。
兵士の頭が弾け、原型を残さぬ肉塊となって血と脳漿の雨に混ざる。不愉快極まりない。
ピクリとも動かなくなった蜥蜴の死体を蹴り、再び疾走を開始する。人間を避ける為に途中で屋根の上に飛び移ると、遥か後方から大量の蜥蜴が飛翔するのがチラリと見えた。馬で追いつけないなら竜を使えば良いらしい。
此処で身体強化を濃縮付加して逃げても良いが……それだと市民が瓦礫に埋もれて大量に死ぬ。せめて街の外までは逃げなければならない。
猛追してくる蜥蜴共を何匹も斬り飛ばし、蹴り飛ばし、踏み付けて殺す。返り血を避け損ねた所為で体が真っ赤になったが、そんな事はどうでも良い。街の外壁まではあと少しだ。
外壁に一番近い屋根を強く蹴り、体を捻って足を外壁の門にめり込ませる。それを引き抜きながら真上へ跳躍し、突進してきた蜥蜴を足蹴にして壁を越えた。同時に、異世界に来て始めて見る景色が俺の前に広がった。
草原だった。
俺の前方180度には、ただひたすらに草原が広がっていた。それも現実ではありえないような、足首までしかない短い草に覆われている草原だ。良く手入れされた公園、と言えば分かりやすいだろうか。その中に、土が露出した道が一本だけ続いている。
一瞬唖然としてしまったが、すぐに気を取り直す。兎も角、俺はサッサとこの街から離れたい。城から来る追っ手が鬱陶しい。
外壁の影から急降下して来た蜥蜴を真っ二つにした上で、両足に身体強化魔法を濃縮付加する。ゴーグルが無いのが口惜しいが、目に身体強化を掛けておけば小石程度でつぶれる事は無い。
剣を納め、足を屈めて地を蹴る。後ろで外壁に大きな罅が入るのが見えたと同時に、俺は弾丸のように道を跳んだ。体を起こせば揚力が得られる程の豪速だ。あの蜥蜴でも捕らえる事は出来ないだろう。
三十秒程後、減速した俺は地に足を付けて一度止まる。後ろを振り返れば、かなり遠くに巨大な城が聳え立っているのが見える。人間の足で歩けば一時間とちょっと位の距離だ。混乱しているだろうし、突然跳んでいった俺の後を追う事はもう出来ないだろう。
俺は自由になった。
だが、心の中で未だに燃えているこの黒い感情は未だに残っている。
転生してすぐ捨てられた事。無理矢理奴隷にされた事。無理矢理剣を握らされた事。気が狂うような痛みを何度も味わわされた事。人殺しを強制させられた事。化物にされた事。
最も憎み易かった師匠は、最後に俺を解放して死んだ。拳を振り下ろす対象を奪われた気分だ。彷徨う拳を何処に振り下ろせば良いのかが分からない。顔すらも見た事が無い、師匠を隷属させた陛下とやらを憎む道しか俺には残されていない。
俺があの城から消えるのは、その陛下にとっては手痛い出来事だろう。剣聖を失い、その弟子である次代の剣聖も逃げた。良い気味だ。
一度は城に乗り込む事も考えたが、止めた。何度か出た市井は治安も良かったし、君主の評判も良かった。人々には笑顔が溢れていた。俺を化物に仕立て上げたのも国益の為なんだろう。その陛下を殺して世を乱して人々を路頭に迷わせるかもしれないと、俺は躊躇した。
いや、正直に言えば恐かっただけだ。死にたくなかった。折角自由になれたのに、折角師匠が自由に生きて欲しいと願って解放してくれたのに、折角異世界に来たのに、またあの恐怖を味わいたく無かった。
いや、もう過ぎた事だ。止めよう。不愉快だ。
兎に角この道を真っ直ぐ進もう。俺の速度は強化無しでも馬より速い。連絡が行くよりも先に別の街か何処かに着いて、情報を集められる筈だ。幸い、この世界の言語は慣れ親しんだ日本語だから問題無い。寧ろ、この格好が問題だ。
剣を持った血塗れの少年……怪しすぎる。
「何処かで交換するか洗わないと……」
思いの外小さく掠れた声で呟いた俺は、水場が無いか周りを見渡す。だが、残念な事に川所か水溜りすら存在していない。自然と舌打ちが漏れた。
仕方無く血塗れのまま道を走った。誰かと鉢合わせたりしたら厄介だが、一瞬で通り過ぎる俺の事など分かりはしないだろう。精々、化物か何かが通ったと思われるだけだ。
走っている最中、時折動物を見掛けた。それも普通の動物ではなく、角が生えた兎やら巨大な熊やら怪獣映画に出て来ていた気がする巨大な蟷螂やらだ。魔物、とでも言えば良いのだろうか。通り過ぎる俺を補足した魔物が敵意を顕わにしていた。関わらない方が良さそうだ。世界は平和が一番だ。
その想いも、遠くから響いて来た咆哮と立ち昇る土煙によって打ち破られた。
強化魔法を目に付加すると、地平線の端に巨大な恐竜のような生物が見えた。足にも強化し、全力で接近する。数秒も走れば、その恐竜に襲われている人間達と馬車が見えて来た。相当追い詰められているように見える。
一瞬見捨てるか迷ったが……あの恐竜の血に塗れてしまえばこの返り血を誤魔化せるかと判断して助ける事にした。恐竜は外見は完全にT-レックスだ。体高が十メートルを超えていてT-レックスの枠に収まっていないが、恐らくやれる。いや、殺る。
迷いは捨てろ。意識を研ぎ澄ませ。目の前の敵を屠る事だけを考えろ。
体を目一杯前に倒し、剣を抜いて肩に担ぐ。最大速度で接近し、軽く跳躍。腕のみで剣を振って首を斬り付ける。
鍾馗で鱗に覆われた首元を斬れるか不安だったが、それは杞憂だった。確かな手応えと共に鮮血が流れ、俺の背後を赤く塗り潰した。
だが、やはり浅い。力を込めた一撃でなければ、あの鱗を貫通する決定打を放つ事は出来ない。
ならば、やるだけだ。
「だ、誰だか知らねぇが助けてくれ!」
「私からもお願いします!!」
明らかに盗賊にしか見えない傷顔の男と、身なりの良いでっぷりした男が此方を見ずに叫ぶ。ロングソードとダガーを持ってはいるが、その程度の武器では傷すらも付ける事は叶わなかっただろう。現に、周辺にはグチャグチャの死体と共に折れた武器が転がっている。
彼等は役立たずの足手纏いではあるが……恐竜も誰を優先して殺すべきか理解しているようだ。
俺の方へ首を向けた恐竜は、ダラダラと血を垂れ流しながら咆哮する。巨体から放たれる咆哮は、それだけで萎縮してしまうような迫力と音量を誇っていた。
それが何だ。
再び剣を肩に担ぎ、右足を一歩引いて屈む。恐竜は脅威たる俺が戦闘態勢に入った事を理解したのか、頭を下げて突進して来る。
跳躍。恐竜の頭突きを回避し、重力に任せて急降下しながら上体を下へ向ける。
俺の剣と体重の全てを乗せ、両手で剣を振り下ろす。俺を見失っていた恐竜は、首を逸らして俺の存在に気付いた素振りを見せたと同時にその頭を落とした。
大量の鮮血が溢れ、わざと浴びるように動いた俺の体を濡らす。爬虫類の血液は人間のそれと違い、冷たさを感じた。
剣を振って血糊を払う。業物だからなのか、それとも刀身に使っているオリハルコンの質が良いのか、剣にべっとりとこびり付いていた冷血は、ほんの僅かな雫を残して海に堕ちた。
残った雫を辛うじて乾いている布で拭い、背中の鞘に剣を納める。傷とデブの居た方向を振り返ると、さっきまで恐竜と戦っていたであろう人間達が膝から崩れ落ち、どっと息を吐いている所だった。
その中から傷とデブが、恐怖の表情を浮かべながら俺に近付いて来る。血の海の中に佇む俺の目の前まで来た二人は、深々と頭を下げながら感謝の言葉を述べる。
「た、助かったぜ」
「本当にありがとうございます」
声が震えているが、あの恐竜を一撃で倒した化物を相手にしていると考えれば相当な胆力だと感心できる。俺も腰を折ると、軽く会釈を返しておいた。
「我々は王国へ向かう商人だったのですが、見ての通り巨獣に襲われまして。商品も護衛の殆ども無事だったのは、あなた様のお蔭です」
「その通りだ。お前が居なければ命は無かったぜ。ありがとう」
怯えながらも、素直に感謝をしてくれる二人。服をせびる相手としても、同行者としても最適だ。
相手をこれ以上怯えさせて逃げられないよう、俺も出来る限り丁寧な言葉を心掛けながら返す。
「いえ、偶然通り掛りましたので」
「偶然か……此処まで凄腕の少年剣士が、偶然此処を通り掛るかね?」
「間違い無く偶然ですね」
そもそもこの方向へ向かった事も偶然なのだから、間違ってはいない。
傷顔はまだ疑っているようだったが、俺の機嫌を損ねては拙いと考えたのか、それ以上追求してくる事は無かった。
「私としても何かお礼をしたい所なのですが……」
揉み手擦り手をしながら、俺に媚を売ろうとするデブ。お礼と言いつつ、俺を護衛として使おうという魂胆が丸見えだ。だが、次の街へ向かいたい俺にとっては好都合だ。ついでに衣服も調達してしまおう。
「……それならば、衣服を都合してもらえませんか?見ての通り、血塗れなので」
「えぇ、その位ならば喜んで」
「それと、街か何処かまで同行させていただきたいのですが……」
俺が顔を逸らしながら目だけでデブを見ると、それはそれは嬉しそうな表情をしている。あのサイズの脅威を退けられる俺を護衛として雇えるのが相当嬉しいのか。
「私からも是非ともお願いします、えぇ」
「では、交渉成立という事で」
俺が頬を全力で吊り上げながらそう言うと、デブの顔が引き攣った。
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「なるほど、それがクラウディオ商会のトップとベルナベさんとの出会いだったのね」
「よく分かったな」
「外見聞けば大体分かるわ」
「……そうだな」
「納得するあなたも大概ね」
「……まぁ、これで終わりか。後は名前貰って、それに付いて行って王国に来ただけだし」
少年は話を切ると、再びグラスを傾ける。僅かに残っていた酒が喉の奥へと流れて行き、長話で乾いていた彼の喉を潤した。
「それで、三年?こっちに来て」
「……その位だったか」
「それから急速出世だもんねぇ……今や全冒険者のほぼトップじゃない?」
女性はそう言いながら、少年の前に置かれていた肴をひとつ摘み、口に運ぶ。少年は肴の皿を手元に引き寄せながら、女性の言葉に眉間の皺を深くして「興味無い」と一言だけ述べた。女性はほうと息を吐くと、浮かべていた笑みを更に深くする。
「フフッ、あなたらしいわね、チコ君。でも成人したんだし、そろそろ女の子くらいには興味を持ったら?ギルド長もこの国の王様も、あなたに子供残して欲しいそうよ?」
「興味が無い……そろそろ帰る。それじゃ、イラーナさん。さいなら」
「……えぇ、さようなら」
チコと呼ばれた少年はその言葉も一蹴し、代金を置いてフラフラと酒場を出て行く。イラーナと呼ばれた女性はその後ろ姿を、どこか複雑そうな、寂しそうな影のある表情で見送った。
「あの人に付いてる二つ名多すぎだろ!」
「それだけ活躍してるって事だろ」
「でもよ、その中で一番似合ってるのは『アレ』だと思うんだ」
「お、多分俺も被ってるぜ」
「あの人にはやっぱり『アレ』だよな」
「じゃあ同時に言おうぜ」
「おし、じゃあ行くぜ。せーの――」
少年が立ち去ってもまだ会話を続けていた男達は顔を見合わせ、一致しているであろう意見を同時に口にする。奇しくもそれは、過去の少年が自分を形容する際に使った名と全く同じ物であった。それ即ち――
「――化物剣聖」