本選と羞恥プレイの始まり
向こうに見える白い出口の先に試合会場となる闘技場があるであろう廊下の途中にある椅子で、俺は目を閉じて瞑想していた。辺りに人影は無く、薄暗い廊下には外から聞こえて来る観客のざわめきだけが僅かに反響している。
今の時刻は昼過ぎ。魔闘大会予選の第三戦が終わってから二時間ほどが経った時間であり、昼食の為に設けられた休憩時刻が終わってすぐの時間であり、俺の出番となる本選トーナメント第一戦を目前に控える時間だ。
俺の対戦相手となるのは、予選第一戦で静かに立ち回り、見事本選への切符を掴んだ短剣使いのフェルナンさんだ。残念な事に、レグロと最初に戦う事にはならなかった。だが、同じブロックの為すぐに戦う事になるだろう。
「チコ選手、準備は良いですか?」
「えぇ、大丈夫です」
いよいよ出番が近付いて来たのだろう。傍らのドアから顔を出した係員に応え、俺は椅子から立ち上がって剣を担ぎなおす。少しばかり乱れた髪を整えると、観客席からギリギリ見えない位置まで入場口に近寄った。
『さァァァいよいよ本選第一戦の始まりよォォォッ!! 最初に入場するのは、第一試合で静かに活躍していた短剣使い!! 出来る所まで行きたいと思います!! フェルナン!!』
外からイラーナさんの声に続いて、観客達の雄叫びが聞こえて来る。向かい側からフェルナンさんが入場したのだろう。暫くするとその雄叫びは自然と消えて、場はシンと静まり返った。
『続いて入場するのはァァァッ! SSランク冒険者にして偉大なる竜殺しッ!! 剣聖の称号を持つ最強の剣士!! 目標は一応優勝です!!チコ!!』
イラーナさんが俺の名を呼ぶのに合わせ、闘技場の中へと歩みを進める。眩しい日の光に晒された瞬間、全方向から鼓膜が弾けてしまいそうになるほどの凄まじい声量の雄叫びが発された。
その雄叫びに圧されるように闘技場の中央まで歩けば、先に入場していたフェルナンさんが苦笑していた。苦笑しながらも俺の観察を止めていないのは、フェルナンさんの経験故だろうか。
「おぉぉぅ耳が痛ぇ……俺が入場した時とは比べ物にならねぇな」
「そうですか。そりゃお気の毒に」
「まぁ知名度が違うからな。俺は無名の短剣使い、あんたは魔王殺しの剣聖だ。実況も明らかにお前の方が豪華だったじゃねぇか」
他愛も無い事を言いながら、極自然な動きで暗器の調整を始めるフェルナンさん。恐らく相手の体格に合わせて調整する必要があったのだろう。本選の組み合わせも発表が昼だった為、此処でやらざるを得なくなったという所か。
腕の中には仕込み針か何か。一見服の装飾にしか見えない鎖は分銅付き。髪飾りは実はナイフ。ズボンのベルトには毒か何かの液体が入った球が十。他にも暗器が多数。この男は全身が凶器だな。
「あちゃぁ、ばれてーら。ま、誤魔化せるとも思ってねぇけど」
俺が全身を観察している事に気付いたのか、フェルナンさんはぺろりと舌を出して腰の短剣を抜いた。調整は無事に終わったらしい。
『それでは両者、武器を構えてッ!!』
イラーナさんの声に合わせ、俺も背中から剣を抜いて構える。今日は少し構えを変えて、右肩に剣を乗せて腰を低くした。
「楽しめる事を祈ってるぜ、剣聖様よ」
「此方こそ」
互いに一言を交わし、完全に戦闘態勢に移行する。互いに気配を抑えているにも関わらずピリピリとした空気が流れ始め、それが観客席にも伝染したのか会場全体が静まり返った。
戦いの直前に満ちる独特の空気に、俺の感情が徐々に昂ぶって行く。大きく脈動する心臓が送り出す熱い血が体を廻り、戦いを求めて暴れだす。心地良い感覚に、俺は口元を緩めた。
『魔闘大会本選、第一戦……始めェッ!!』
物音ひとつしない闘技場に、イラーナさんの開戦を告げる宣言が高らかに響く。それと同時に俺は前方へ突撃し、フェルナンさんは何かをばら撒きながら後方へ下がった。
ばら撒かれたのは、ベルトに付けられていた物とはまた別の球だ。恐らく、粉末状の毒か何かが入っているのだろう。
卓越した短剣技と気配を殺す技術、そして数々の暗器。これがフェルナンさんの強さの秘訣か。確かに対人戦では非常に効果的と言えるだろう。
「だが温い」
俺は一言呟くと、身体強化を全身に纏って更に加速。自ら球の中へと突っ込んだ。
体に衝突した球が弾け、毒々しい色をした粉末が辺りに充満する。肌が溶かされているようなジュクジュクとした痛みが全身に奔るが、身体強化のお蔭で実際の体には一切影響が無い。
「ダァァァッ!この規格外めッ!!」
毒粉の中を突っ切って来る俺に悪態を吐きながら、フェルナンさんは手に持った短剣を迷わず投擲して来る。近接戦闘では勝ち目が無い事を察しているのだろう。
甲高い音を立てながら迫る短剣を左手で掴む。そのまま体を捻り、向かって来た時の数倍の速度でフェルナンさんに短剣を投げ返した。
耳に悪い音を立てながら飛んだ短剣はあっという間にフェルナンさんの腹に吸い込まれ、白い光を発しながら消えて行った。そのまま追撃しようと俺は地を蹴って――
『終ゥゥゥ了ォォォッ!! 予選を突破したフェルナン選手も、剣聖には手も足も出なかったァァァッ!!』
イラーナさんの声と観客の歓声が空に轟く中、俺は即座に停止して状況を確認する。フェルナンさんがいた筈の方向を見れば、遠くの壁に投げた筈の短剣が突き刺さっているのが見えた。だが、肝心のフェルナンさんの姿は何処にも無い。
「……あれ? 終わり?」
こうして、魔闘大会本選の第一戦はあっさりと終わりを告げた。
「チコ、早過ぎるのでは……」
「わざとじゃないんです……」
戻って来たVIP席で、微妙な表情をしたエルに言い訳をする。違うんや、あの程度なら避けてくれると思ったんや……。
「まぁ大体分かりますけど。私でもあの人なら避けられると思いましたし」
「敵わないと確信してわざと負けた、そんな所だろうな」
気配でも予選で見せていた実力でも、フェルナンさんの実力はあの程度の物ではなかった。用意していた暗器も殆ど使っていなかったし、何よりも魔法を使っていない。放出系魔法にしろ循環系魔法にしろ、全力を出すなら絶対に使う物を使っていないのだから。
恐らくだが、フェルナンさんは本職の暗殺者なのだろう。気配の隠し方が上手いし、何よりも仕込まれていた暗器は純粋な対人武器よりも暗殺に向いた武器の方が多かった。中身が空洞で毒を注入する事が出来る針とか。
一体何の目的を持って魔闘大会に参加したのかは分からないが、VIP席で騒ぎを起こしていない以上、目的は要人の暗殺とは別の所にあると考えるのが自然だろう。例えばレグロの成果報告とか。
「ま、問題無いか」
「ですね。表に出てる時点で末端でしょうし」
俺達はそう結論付けると、第二戦でリディアさんの魔法の嵐を見事に防ぎ切ったハルバード使いのレイナルドさんがレグロに瞬殺されるのを見物した。
「魔力がほぼ尽きてる所にレグロだもんな」
「可哀想ですねぇ」
「……これからの相手、レグロにリディアさんとか笑えないんだけど」
がっくりと項垂れる俺の肩に、エルがぽんと手を置いた。
本選は今日を含めて三日間掛けて行われるのだが、今日は第一ブロックの四戦しかしない。明日は第二ブロックの四戦と、午後に準々決勝の四戦、明後日に準決勝の二戦と決勝戦が行われる。
そのブロックだが、第一ブロックと第二ブロックそれぞれ八人ずつ割り振られている。俺やルフィノさん、ディオニシオさんにアメリアさんにリディアさんは第一ブロック、エルとアベルさんは第二ブロックだ。
そして、第一ブロックの対戦カードは第一戦に俺とフェルナンさん。第二戦にレグロとレイナルドさん。第三戦にディオニシオさんとアメリアさん。そして第四戦にルフィノさんとリディアさんだ。それと戦った後、第一戦の勝者は第二戦の勝者と、第三戦の勝者は第四戦の勝者と戦う事になる。
つまり、この時点で俺とレグロがぶつかる事は確定している。残りの第三戦と第四戦の選手だが、その中で一番実力があるのは間違い無くリディアさんだ。レグロの後はほぼ確実にリディアさんとぶつかる事になる。
「最後には私ですからね。強い人全部と当たってません?」
「そうだな。楽しみだぜ……」
楽しみだが、レグロという化物と同日に熾天使と戦うのはかなり辛い。レグロは兎も角、消耗した後に待っているリディアさんとの戦いは厳しい物になるだろう。
「絶対勝ち上がって来て下さいね」
「おう」
それでも負ける気は一切無い。レグロもリディアさんも越えて、決勝に勝ち残る。一応目標と明言してあるし。
「だが、その前に」
「えぇ、今日のメインイベントですね」
何時の間にかレグロさんが退場し、無人となった闘技場の方へ目を向ける。俺と同じように目を向けたエルの顔は綻んでおり、これからの一大決戦を実に楽しみにしているらしい事がよく分かる。
「ディオニシオさんはアメリアさんを破れますかねぇ?」
「どうだろうな」
正直、微妙な所だと俺は見ている。確かにディオニシオさんは以前と比べて遥かに強くなったが、それでもアメリアさんとの実力の差は歴然だ。ディオニシオさんが勝っている点は、俺とリディアさんで徹底的に鍛えた気配察知の部分しかない。
ディオニシオさんがアメリアさんに勝利するには気配察知の技術を応用してアメリアさんの裏を突かなければならないが、そこまでの技術はディオニシオさんにはまだ無い。戦いの中でそこまで成長出来るか、それが勝利の鍵だ。
「ただ、意地があるから可能性は結構高いと思うぞ?」
「ふふふ、期待しましょうか」
『さァァァあやって来たわよ第三戦! 第一戦、第二戦と速攻決着が続く中、第三戦で戦う選手は一体どんな戦いを見せてくれるのかァァァッ!?』
俺達が意地の悪い笑みを浮かべると同時に、速攻が続いて冷め気味な観客達を盛り上げようとするイラーナさんのアナウンスが反響する。観客達もそれに乗せられ、第一戦や第二戦と比べても遜色の無い歓声を上げた。
『最初に入場するのは、第三戦でレグロ選手と並んで無双していた女剣士! 弟子の成長を見守るのは師の務めであります!! アメリア!!』
アメリアさんが入場口から姿を現すと、主に男性の観客から大きな歓声が上がった。確かに、艶やかな黒髪と対照的な白い肌、そして金色に輝く瞳に整った体型のアメリアさんは見目麗しい。男達が魅了されるのも仕方が無いだろう。
とりあえず、隣に女性がいる男性はその人の視線をちゃんと読もうな。
『続いて入場するのは、第一戦で見事な立ち回りを演じた男性剣士! もう一度言うわよ、男性剣士!! あの、目指すは師匠の打倒です!! ディオニシオ!!』
大事な事なので二回言ったイラーナさんの声と共に、反対側の入場口から赤い長髪をポニーテールにした刀士が堂々と入って来る。またもや男性陣から歓声が上がるが、今度は女性からも甲高い嬌声が上がった。コイツら……。
「大人気ですね、ディオニシオさん」
「……噂ではディオニシオファンクラブなる物が出来ているらしいぞ」
「チコ!後で加入しに行きましょう!」
「行かねぇよ!!」
何で俺がそんな危ない物に加入しなきゃ行けないんだ……そして何でエルは乗り気なんだ……天使ェ……。
「それは兎も角として、アメリアさんが何か騒いでますね」
「ん?」
エルの言葉を受けて身体強化を施してみると、騒がしい歓声に混ざって確かにアメリアさんの声が聞こえて来た。より気を付けて聞けば、ディオニシオさんも何か言っている。
「何でディオニシオの方が人気なのでありますか! アメリアは女としての魅力に乏しいのでありますか!?」
「あ、あの! し、師匠はかっこかわいいですよ!!」
「弟子に誉められても嬉しく無いであります!」
「そ、そんなぁ……」
俺は身体強化を解き、腕を組んで溜息を吐いた。何時も思うが、あの二人は何処かズレている。
「何て言ってたんです?」
「世の中には知らなくて良い事もあるんです」
俺は曖昧な笑みを作ると、エルの質問をはぐらかして再び身体強化を付加する。恐らく此処からが本番。俺とエルが協力してディオニシオさんに教え込んだ、壮大な羞恥プレイが始まるはずだ。
「あの……」
「だいたいディオニシオが可愛すぎるのが悪いのであります!チコは小さくでも格好良い――」
「あの!」
ブツブツと呟き続けているアメリアさんの言葉を、ディオニシオさんが大きな声で遮る。突然の大声に驚いた表情になったアメリアさんだが、ディオニシオさんの鬼気迫る表情に顔を引き締めた。
幸いと言うべきか、観客達は歓声を上げるのに夢中で二人の変化に気付いていない。だが、感覚が鋭敏な種族は恐らく気付いているだろう。ディオニシオさんが恥ずかしい思いをしたくなければ、その種族から噂が広まる前に話を付けなければならない。広まれ。
「ボクは……!ずっとずっと……それこそ始めて剣を教えてもらった時から……」
よし、言え。言うんだ。
「師匠……師匠の事が好きだったんです……」
搾り出すような声で、しかし視線はアメリアさんから逸らさずにディオニシオさんは言い切る。何年か越しの想いを伝えたディオニシオさんの顔は真っ赤になっており、髪の赤と混ざって綺麗に見えた。
突然の告白を受けたアメリアさんは最初こそ驚愕に目を見開いたが、次の瞬間には厳しい表情になって体中から怒気を発し始める。何やらただならぬ雰囲気だ。地雷を踏み抜いたのだろうか?
「からかわれるのは嫌いであります……」
「違います! ボクは本気で師匠の事を……!」
「そうやって……私に甘い言葉を囁いて、利用しようとした奴は五万といた……どうせあなたもそうなんでしょう!?あんな……あんな美人を侍らせておいて……私を選ぶ筈が無い!!」
普段の飄々とした様子からは考えられないほど強い声を上げ、口調をも変えたアメリアさんは刀を抜いて両手で構える。恐らく、あれが本気の構えなのだろう。ディオニシオさんが何度か同じ構えをしているのを見た事がある。
そして、やはり色恋沙汰はアメリアさんにとって地雷だったらしい。俺と同じように打算で振り回され続けた結果、甘い言葉を囁く男を信じられなくなってしまったのだろう。
「……分かりました。だったらボクは――」
完全に拒絶された形となったディオニシオさんは、静かに瞑目しながら刀を抜き、アメリアさんと同じ構えを取る。再び開かれた目には、並々ならぬ強い決意が燃え上がっているのが遠目にも見えた。
「――此処で師匠を倒して、力尽くであなたを手に入れて見せます」
『第三戦、始めェェェッ!!』
俺が教え込んだディオニシオさんの宣言と共に、互いに構えを取った事を確認したイラーナさんの開戦の合図が響く。それは同時に、ディオニシオさんにとっての一世一代の大勝負――壮大な羞恥プレイの始まりの合図でもあった。




