始原の熾天使
「えぇ、もう少し置いておくのは賛成ですよ、勿論。ですが、そこまで甘くなるほど放っておくのは愚の骨頂。酸味が強い時に食してこそ、これは最も輝くのです。そんな事も分からないのですか?」
「あぁ、分からん。全く持って分からん。まずこれは甘い時が最高だろう。ボケる……柔らかくなるまで放っておくのは愚の骨頂だが、酸味が押さえられて甘さがマックスになった時こそが食べ頃だろう。お前のは邪道だ、邪道」
ベッドの上と椅子の上。二つの上に座った俺とエルネスタは、互いに鬼気迫る表情をして激しく意見を交わしていた。何の意見かって?リンゴの食べ頃の意見です。
「ほう……どうやら私達は永遠に相容れないようです」
「リンゴは甘い物……酸味を求めるのなら別のもんでも食ってろ」
俺とエルネスタの視線の交差点に、バチバチと火花が散る。この時点で、エルネスタは俺の中で不倶戴天の敵と認識された。
真面目にやれって?今から真面目になります。
「……お芝居は此処までで良いだろ?」
「そうですね。本題に入りましょう」
場に充満していた殺伐とした和やかな雰囲気が霧散し、ピリピリとした緊張感のある雰囲気が取って代わる。互いに気配や表情は一切変わっていないが、まるでこの空間自体がこれからの話の重要さを察したようだった。
エルネスタは右手を顔の高さまで持ち上げ、パチンと指を鳴らす。それと同時に白色の魔力の霧が渦巻き、俺達の周辺を取り囲む。転移の魔法に繋がる空間隔絶の魔法だ。これで俺達の姿や声は、魔力の霧に包まれて外の人間には聞こえなくなる。どうやら、周りには一切聞かれたく無いような重要事項を話すらしい。
「まずは、主の命令とは言え、偽りの仮面であなたに接した事をお詫びします」
「構わない」
「ありがとうございます。今日私が此処へ来たのは、主の命によるものです。あなたに全てを明かし、その上で協力を請うように、と」
そう語るエルネスタの表情には、何処か尊敬の念が窺える気がする。彼女にとって、主とは自らの全てを捧げても良いくらいの存在なのかも知れない。どこぞの宗教団体で無い事を祈るばかりだ。
「最初にお話すべきは目的でしょう。あなたも気になっているのでは?」
「それはもう」
初めて彼女に不信感を抱いたのは、盗賊団を殲滅した後にセーフハウスで出会った時だ。あの時、俺は暗殺が目的では無いのかと疑っていた。だが、彼女は無防備に見えるように寝ていた俺に何の手出しもせず、結果として俺はまた気を許した。
その後、何故だかボロボロとボロを出し始めたエルネスタだが、決して俺や周辺の人へ害意を向ける事は無かった。その事を疑問に思い、深読みしすぎた結果、俺は彼女に剣を突き付けた。そして彼女は演技を止め、今の無機質な本性を剥き出しにした。
だが、その後もエルネスタは俺に敵対をしなかった。逆に絶体絶命だった俺を救い、手まで貸した。俺と敵対したくないのは分かるが、わざわざ手を貸す理由も無かった筈。所属も分からない以上、何がしたいのかはサッパリ分からないのが現状と言える。
「私の目的……如いては主の目的ですが……」
生唾を飲み込む。彼女の目的によっては、俺は剣を取って斬りに行かなければならない。勿論、彼女を斬り捨てて。
だが、そんな考えは次の瞬間に霧散した。
「あなたを籠絡して懇ろになる事です」
「ぶほっ」
予想外の予想外を行くエルネスタの答えに、俺は思わず噴出して自分の膝に突っ伏した。彼女の言った事はつまり、俺と恋人同士もしくは夫婦になるという事と同義だ。多分。しかも目的は完遂されかけていた。
俺と懇ろになる事が目的だと考えると、エルネスタはどこぞの貴族か王族の令嬢で、取り込み工作を仕掛けて来たと考えるのが普通だ。もしもそうだとしたら、同時に何処かの暗部にも所属していたのだろう。そうすれば、あの演技力にも納得出来る。
「それと、私は貴族や王族、国とも関係はありません」
全然違いました。
貴族や王族が関係無いとなると、有力な商人や冒険者……いや、もしかしたら取り込み工作という前提から間違っているのかも知れない。だが、俺の頭では取り込み工作以外の目的が思い付かない。
悶々としていると、エルネスタは溜息を吐いた。
「賢いのも考え物ですね」
「単純に考えろという事か?」
「ご名答です。私の目的はあなたを籠絡して、隣に納まる事だけです。それ以上は主より何の指示も出されていません」
「そもそも主とは誰だ?」
そう聞いた瞬間、エルネスタの雰囲気が一変した。放つ気配が極寒地獄を思わせる冷たい殺気に変わり、僅かに変化していた表情が完全に消え去り、冷たく光る眼は鋭く俺を睨みつけている。周辺の空間は、完全にエルネスタに支配されていた。
「それを聞いて何になるのです?既に私に害意が無い事は示した筈です」
「お前に害意が無い、ねぇ……」
俺は小さく鼻で笑い――
「だが、主が俺を殺せと言えば殺すんだろう?」
「……ッ!」
――支配された空間を、殺気で塗り潰した。
「そうやって誰かに忠誠を誓った人間を隣に置いて……安心出来るとでも?笑わせるな」
敵対する可能性のある人間に忠誠を捧げた人間を傍に置いておくなど愚の骨頂。特に目の前のエルネスタのように崇拝の域まで達している奴は、躊躇いも無く共に過ごした人間の首を取りに来る。何故なら、主の意向に沿う事が何よりも重要だからだ。
そんな危険を多分に孕んだ人間と共に人生を過ごしたくは無い。そんな馬鹿な事をする人間は、腐った貴族だけで十分だ。
「どうしても俺の隣を狙うのなら、全てを明かすんだな。主は勿論、生まれ、育ちから何から何まで。それで俺が納得すれば可能性はあるぞ?」
言外に諦めろという意味を込めて吐き捨て、ベッドに横になる。エルネスタは何も言わずに、殺気の消えた静かな空間の中で俯いている。気配は珍しく揺れていて、彼女が葛藤しているのが手に取るように分かった。
「……いいでしょう」
暫くして聞こえて来たエルネスタの声は、微かに震えている。主を無駄に強調していた割には、主の事はあまり話したくは無かったらしい。なら強調するなよと叫びたいが、今はグッと押さえて上体を起こし、エルネスタの方を向いた。
既に元の無表情無感動の表情に戻ったエルネスタは、相変わらず冷たい目で俺を見据えている。無言で続きを促すと、彼女は小さく頷いた。
「では……」
エルネスタは目を閉じ、静かに意識を集中させ始めた。隔絶された空間の中に乱す事が本能的に憚られる神聖な空気が流れ始め、白い魔力の霧が揺らぎ始める。これから起こるであろう超常現象の予感に、俺は自然と身構えた。
エルネスタを中心に空気が回り始める。肌をチリチリと刺激するほどに活性化した魔力が流れに乗り、隔絶された空間の中でぐるぐると廻る。
そして、エルネスタが目を開けた瞬間にそれは起きた。
「……あなたの驚いた顔を見るのは始めての気がします」
思わずぽかんと口を開けてしまうほどの衝撃。俺は冷静に突っ込みを入れてくるエルネスタに反応する事すらもせずに、目の前の美しく、非常識で、非現実的な光景に目を奪われていた。
翼。
エルネスタの背中から純白の翼が生えているのだ。片方だけでも人の身長と同じくらいの長さがある翼が六枚。それが人の背中に生えている光景は、宛ら神話の中の天使を思わせる。
更にそれを彩るのは鼠色に近い銀髪。白との対比で鈍く光る髪がゆらりと羽に掛かり、無表情な顔と相まって冷徹な印象を抱かせる。髪と同色の瞳は無機質に冷たく光っており、そういう趣向を持った人間を骨抜きにしてしまいそうだ。
「神に仕える御使い、神の寵愛を受けし御子、代理人、代行者、他にも様々な呼び名がありますが……やはりあなたの中で最も分かりやすいのは、天使という言葉でしょうね」
「なるほど……体に見合わない身体能力は天使故、か」
「その通りです。基本的に天使の肉体は人よりも遥かにスペックが上なので。最も、あなたには及びませんが。ついでに魔力を譲渡出来るのも天使の力です」
エルネスタが天使である事をカミングアウトした事で、俺の疑問の内幾つかは氷解した。息切れをしなかった事も、馬車で一日の場所にいた事も理解できた。後者の方は、もしかしたら翼で飛んで来たのかもしれない。
そして、竜に追い詰められていた時に何故か回復した魔力も、エルネスタが譲渡していてくれたらしい。あれが無ければ、俺は戦う事が出来ずに倒れていただろう。天使の力とは便利な物だ。
「……天使が同じ天使以外に羽を見せるのは、本当に心を許した相手だけなんですよ」
「だから責任を取れって?」
「そこまで期待はしていませんが……私からの、あなたへの信頼と思ってください」
エルネスタから発された信頼という言葉に、俺は首を傾げた。少なくとも、俺はエルネスタに信頼されるような行動は取っていないと断言出来る。精々が食事を作ったくらいだろう。
「物じゃありませんよ。あなたの性質や性格の方です」
俺の考えを読んだのか、若干不満そうな目をしたエルネスタが注釈を入れてくる。自分では性質や性格と言われてもピンと来ないが、エルネスタから見た俺は信頼に足る人物らしい。さっぱり訳が分からない。
俺の性質や性格の良し悪しが分からなくても分かるのは、この翼を見るのは今日で二回目だという事。
「なぁ……」
「何ですか?」
「助けてくれてありがとう」
「……構いません。受け取ります」
頭を下げた俺を見てそっぽを向いたエルネスタの表情は僅かに綻んでいた。気配も微かに揺らいでおり、喜んでいる事が良く分かる。無表情でも、決して感情が無い訳では無いらしい。
「まぁその事はどうでもいいです。あなたの望み通り、私や主の事をお話します」
一度咳払いをして表情を戻したエルネスタに合わせ、俺も姿勢を正して話を聞く体勢を作る。
「私の主は、数え切れないほどの昔にこの世界を創り出した、創造神ミツキ様です。そして私は、ミツキ様が最初に創られた最高位の天使」
椅子からスッと立ち上がったエルネスタは、翼を大きく広げて優雅に礼をした。
「『始原』の座を戴く熾天使、エルネスタと申します」
…………。
驚きで声も出ないとはこの事だと思う。一応、サブカルチャーの知識として天使の序列は頭の中に入っているが、その中の最高位とされる熾天使、それも一番最初に創られた天使だと言う。まさかの超大物の登場だよ。
っていうか創造神って何ですか。この世界で一番偉い人ですか。そしてこの人はその神様の第一号の天使様ですか。訳わかんねぇですよ。というかこの人に身分開示要求とか無礼な事し過ぎてますよ。ふぁっ!?ですよ。ふぁっ!?
……ふぅ。
「……えー、今までの御無礼、重ね重ねお詫び申し上げます」
「止めてください、今更ですし気持ち悪いです。あなたは不遜な程度が丁度良いんですから」
ベッドの上に正座して土下座すると、頬を抓られながら無理矢理顔を上げさせられる。顔を上げた先で目が合ったエルネスタさんは、まるで聖母を思わせるような慈愛の表情をしていた。
「育ちは長いので割愛してもよろしいですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「敬語も一切止めてください。そしたら下の事を言い触らします」
「分かった」
演技を止めても本質は変わっていないらしい。
「では、次にあなたを籠絡しようとした理由ですね」
何事も無かったように翼を畳んだエルネスタは、再び椅子に腰掛けて話し始める。正体を明かす前に話していてもおかしくない内容だが、話していなかったという事は上の意向か何かが関係あるのだろう。もう何も隠す気は無いらしい。後で面倒臭い事になりそうな予感がする。
「この事は、主の意向が関わっています」
「意向?」
「『世の中を乱す可能性のある強者は、常に我等の監視下に置かれるべき』。それが主の意向です。それに従い、世の中を乱す可能性のある人物は、伴侶か親友に素性を隠した天使がいます」
「……つまり、力を持つ人間は常に神の監視下にある、と」
「その認識で構いません。人とは愚かな生き物です。親しい人が死んだだけで世界を憎み、破滅させようとする事もある。強き天使がその親しい人になる事で死による暴走を防ぎ、情に訴える事で暴走を防ぐ。それが監視役の天使の仕事です」
天使が積極的に人の世に介入し、人の世の安寧を手助けする。そんな神様事情を淡々と聞かされ、俺は頭を抱えた。藪を突いて蛇を出すとはこの事だ。事情を知ってしまった以上、彼女は俺を逃がす事は絶対に無いだろう。やっぱり放っておけば良かったと、俺は心の底から後悔した。
「……私達の仕事を知ってしまった以上、絶対に逃がしませんよ。逃げたら下をばら撒きます」
「聞く前から詰んでんじゃん」
☆魔獣図鑑☆
黒鉄竜鉄の虚無
ランク:魔王級(ランク無し)
体高:約83メートル
体長:約145メートル
体重:約13200トン
皆大好き巨大ドラゴン。巨獣に分類される魔獣で、古い時代から存在が確認されていた魔獣。強大過ぎる力を持つ為、Sランクの枠にも収まらず魔王に分類された。普段は温厚で思慮深いが、怒りに囚われて暴虐の化身と化した。強大な体力と魔力を使いこなし、チコを後一歩まで追い詰めた。
鱗は未知の金属物質で構成されており、それはオリハルコンよりも強靭。王国の学者によって、虚無鉄と名付けられた。現在は流出を防ぐ為、王国が全てを買い取って下に少量を売るという方法で確保されている。
鱗だけでなく、骨も強靭。金属ではないものの、高い対衝撃性と防刃性を持ち、防具や剣の鞘としての利用が期待されている。一部では構造物に流用するとの案も出ている。
外見はキングギ○ラの首と尾を一本にし、首を半分ほどの長さに、翼を二倍にして腕を付けた物に近い。原型が残っていないという意見は受け付けない。
作者の技量不足でエルネスタが加勢した瞬間に雑魚になった印象があるが、エルネスタ単体では接近戦に持ち込まれると不利になる。チコとエルネスタが両方揃ってこそ、圧倒する事が可能になる。




