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Monochrome―化物剣聖と始原の熾天使―  作者: 勝成芳樹
第一章―二人の邂逅―
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衝撃的な出来事は何時も突然に

 ほくほくと湯気を立ち昇らせる鍋を挟んで、俺とエルさんは向かい合って座る。今日の献立は、野菜がたっぷり入った俺のお手製ポトフ。空腹を加速させる香しい匂いに鼻腔を擽られたエルさんは、口の端から僅かに涎を垂らしながらだらしない顔をしている。完全に美人が台無しだ。


「エルさん、涎、涎」

「え?……あわわ、はしたない所をお見せしました」


 慌てて口を拭う仕草は、年並みの少女のそれにしか見えない。恥ずかしそうにはにかんだエルさんは、頬をパンと叩いてポトフとの対決に備える。しかしその頬は相変わらずだらしなく緩みきっていて、気合を入れる仕草と相まって滑稽に見えた。


 そんなエルさんを眺めつつ、俺は二つの皿にポトフをよそい、片方をエルさんの正面に置いた。そしてもう片方を自分の前に置いて、手を合わせて食前のいただきますをする。それにエルさんも続き、バンガローの中での夕食が始まった。


「おいしいです~」

「それは良かった」


 満面の笑みを浮かべるエルさんに料理を誉められ、俺は僅かな嬉しさを覚える。今まで一人で食事を摂っていた為に知らなかったが、自分の作った料理をおいしく食べてもらえるのは存外に嬉しかった。テオドラさんも、毎日この感覚を味わっていたのかも知れない。


「そう言えば、チコさんは依頼でこの辺りに来てたんですよね?何の依頼だったんですか?」


 エルさんがポトフを口へ運びながら質問して来る。俺は騎士団が醜態を晒した後の尻拭いと言おうかとも思ったが、普段は平民の味方である騎士団の印象を落とす事は無いと思い直した。


「ちょろっと盗賊退治をしてたんですよ。結構大規模だったみたいなので」

「そうなんですか?私はこの辺りに来ている騎士団に届け物をしに来たんですよ。もしかして、関係あります?」

「……えぇ、関係ありますよ。しかしエルさんってまだGGランクでしたよね?一人で此処まで来たんですか?」


 街の外への荷物の配送依頼は、強力な魔獣と遭遇する事もある為に要求されるランクが高い。例えば、王都から隣街への配送にはD以上のランクが求められる。当然ながら、生死が掛かっている可能性がある騎士団への配送であれば、その要求ランクはCに至ってもおかしくは無い。


 対してエルさんは、二週間前に冒険者になったばかりの駆け出し。その内一週間は学園の方にいたため、どんなに頑張ってもまだGGランクのままの筈だ。もし上がっていたら、最速昇格記録を持つ俺を抜かした事になる。


 ただ、エルさんは強さだけで言うならば既にDランク程度はある。学園での放出系魔法の実技の時、彼女は魔法をポンポンと、否、ボボボボとまるでガトリング・ガンのように連射していたのだ。そこまでの実力を持っている事を、仮にイラーナさんが知っていたとしたら……ありえる。


「はい、イラーナさんが『多分大丈夫でしょ』って言って許可してくれました」

「あの駄目人間は帰ったら折檻しておきましょう」


 暫くして食事を終えた俺達は、毛布を取り出して並んで寝転ぶ。既に外は暗くなっていて、明かりが備え付けられていないバンガローの中の光源は、外から差し込む月明かりだけになっている。先程までは俺の持っていた魔道具が光源になっていたのだが、充魔をサボっていた所為で魔力が尽きてしまった。まだ寝るには早い時間だが、本も読めないのでは仕方が無い。火を熾すのは面倒だし。


 横になって暫く無言の時間が続く。普段はもっと遅い時間に寝ている所為ですぐに寝付ける筈も無く、反射光で青白く照らされる天井を冴えた目で見つめていると、隣のエルさんが此方の方に顔を向けた。


「男の人と寝るのは初めてです」

「……家族は?」

「うーん……母や妹達とはよく寝ましたけど、父はちょっと苦手でして……」


 エルさんが苦笑しながらそう言い、「チコさんはどうなんですか?」と問い返して来る。此処で雰囲気を暗くするのもなんだし、この世界の親ではなく、前世の親で考える事にした。


「……三歳くらいまでは一緒に寝てましたかね。その後は潜り込んでも戻されました」


 前世と今世、足して三十年前の出来事だ。どんな状況で、どんな会話を交わしてどんな事を考えていたのかは既に忘れている。ただひとつ覚えているのは、母親と父親に挟まれるようにして抱き締められた時、途轍もなく心地良い幸福感と安心感に包まれたという事だけだ。


「仲が良い家族なんですね」

「はい……良い家族()()()よ」


 俺が死んでから十五年……あの後、皆はどうしたんだろう。両親は悲しんでくれただろうか?友人は大学で上手くやれたんだろうか?その後、幸せな家庭を築いたりしてるんだろうか?知りたい事は尽きないが、それを知る術は無い。


 感傷に浸っていると、隣のエルさんが顔を真上に戻す音が聞こえた。今度は俺が顔を向けると、彼女は僅かに眉を下げて天井を見つめているのが見える。何処か哀愁を感じさせる表情をしたエルさんは、明るい月の光に照らされて神秘的な雰囲気を纏っていた。


「……チコさん」

「……どうしました?」


 エルさんの呼び掛けに応えつつ、顔を正面に戻す。彼女は暫く沈黙していたが、やがて小さく深呼吸をしてから、意を決したように口を開いた。


「明日、騎士団の所まで付いて来てもらっていいですか?」

「……構いませんよ」

「それと、さんはいらないので取ってもらっていいですか?」

「……エル、と呼べばいいんですか?」

「そうです」


 騎士団の方はおまけで、呼び捨てにしてもらう件の方が本命だったようだ。僅かにピンク色が混じっていそうな緊張した気配がエルさんから伝わって来て、俺の頬まで若干熱くなってしまう。フラグは少しだけ立てたけども、まさかたった一週間で此処まで来るとは……!とか考えてしまう。


 一先ず深呼吸をすると、昂ぶっていた感情と荒ぶっていた思考が平静を取り戻す。女性からの気持ちに一時の激情に流されたまま応えるのは、未熟者のする事だって師匠が笑いながら言ってた。


「……いえ、親しき仲にも礼儀ありと言いますし……」

「それ、良い言葉ですね。ですけど、私はチコさんと一歩進んだ関係になりたいと思っているんです!そう、呼び捨てで呼んでもらえる関係に!」

「……俺が付けているだけで普通は全員呼び捨てなんですけどね」


 俺の差し水に、手を上に伸ばしてグッと握っていたエルさんがガクッと力を失った。


「……えっとほら!私が同年代での呼び捨て第一号にですね!」

「いや、そこまで必死にならなくても大丈夫ですよ。これからはエル、と呼ばせてもらいます」

「ありがとうございます!それとですね……」


 ピンク色の気配が一段と濃くなり、隣の毛布がもそもそと音を立て始める。かなりモジモジしているようだが、まさか夜のたたk……いやいや、俺はそこまでフラグを立てたりした覚えは無い。これはあれだ、呼び捨てにさせたついでに俺を呼び捨てにしても良いか聞いてくるパターンだ。


「あの……チコさんの事、チコって呼び捨てにしても……良いですか?」


 予想的中。べ、別にがっかりなんかしてないんだからねっ。


「えぇ。互いに呼び捨ての方が自然ですしね」

「やった!ありがとうございます!!」


 そう言って、エルさん改めエルは、思わず見惚れてしまうほどの可愛らしい笑みを浮かべた。


 その後、夜が更けて行くのを感じながら、俺とエルは雑談に興じた。内容は主に学園の事で、エウヘニオさんが煩いとか、ディオニシオさんはやっぱり女じゃないかとか、本当に他愛も無い話だ。俺も楽しかったし、エルも楽しそうに笑っていた。






 次の日の早朝、日が昇ると同時に起床してバンガローを出発した俺達は、二時間ほど掛けて騎士団の陣に到着した。周辺の魔獣を騎士団や盗賊団が粗方狩り尽くした為か、道中は戦闘が全く無かった。楽が出来てラッキーだ。


 騎士団の陣だが、昨日とは別の意味で暗鬱たる雰囲気と、酸っぱい臭いが漂っている。新人騎士だけでなく、ベテラン騎士まで暗い顔をして座り込んでおり、時折何人かが口元を抑えて出て行っている。恐らく、吐きに行っているのだろう。血の海と死体、死臭で体調を崩したようだ。


「チコ殿、お帰りになられたのでは?」


 その中で、昨日と全く顔色が変わっていない騎士隊長が俺達を見つけて話し掛けて来る。彼が平然としているのは慣れ故で、俺と知り合った頃は何度も何度も吐いていた。ささやかな成長を感慨深く思いながら、エルが荷物を届けに来た事を説明する。


「荷物ですか」

「はい。騎士団長様からとの事です」

「拝見しましょう」


 エルがバッグから取り出した包みのような物を受け取った騎士隊長は、神妙な手付きでそれを開封する。そして中から一枚の紙を取り出すと、それを開いて読み始めた。荷物と一緒に手紙も入っていたらしい。


 暫くして手紙を読み終えた騎士隊長は、小さく息を吐いて荷物ごとそれをしまうと、代わりに別の紙とペンを取り出してサラサラとサインを書き、エルに手渡した。


「……確かに受け取りました。では、これが証明書になります。ありがとうございました」

「あ、はい!」


 証明書を受け取ったエルは、それを大事そうにバッグに入れる。これで彼女の依頼は終了で、後は王都に帰って報告すれば報酬が貰える。無茶をさせたのだから、彼女は無理矢理にでも昇格させよう。そうでもなければ割に合わない。権力の乱用も辞さない構えだ。イラーナさんだから、その辺りは抜け目無いだろうけども。


「それじゃ、帰りましょうか、エル」

「はい、そうしましょう」

「あ、チコ殿」


 いざ帰らんと背を向けた所で、騎士隊長が俺を呼び止めた。何が言いたいのか予想は付くが、あえてそれを口には出さずに顔だけで振り返る。さっきまでの凛々しい顔とは違い、泣きそうな表情になった騎士隊長はここぞとばかりに捲くし立てた。


「手加減してくれって言ったじゃないですか!おかげで鎧が血塗れのぐっちゃぐちゃなんですよ!?嫁に怒られるじゃないですか!」

「知りませんね」


 俺は一言そう言い残すと、エルの足を払って抱え上げる。ギルドで気絶したエルを抱え上げた時と同じ、お姫様抱っこだ。突然の事態に目を白黒させているエルを抱え、俺は地を蹴って逃げるように騎士団の陣を後にした。


「ち、チコ!?顔が近いです!」

「喋ると舌を噛みますよ」


 顔を真っ赤にしているエルの叫びをスルーし、街道まで飛び出す。そこからは腕やエルの体に負担が掛かるお姫様抱っこを止め、おんぶに変える。剣はエルが持つと主張したが、三十キロもある剣を背負いながら激しく上下すると骨が折れる可能性がある為、バッグの中に放り込んだ。どの道魔獣は全部振り切る予定の為、問題は無い。


 地面にしゃがんでエルに負ぶさるように言うと、一拍遅れて人肌の温かい感触と重みが布越しに伝わって来る。同時に手が首に回され、かなりきつめにしがみ付かれた。どうやらお姫様抱っこの時の揺れと速度がトラウマになっているらしい。え?胸の感触?ねぇよんなもん。


「お尻を触らないでくださいよ」

「誰も貧相な尻に興味を持ちませんよ」


 顔を憤怒で真っ赤にしたエルに首を絞められつつ立ち上がり、王都の方向を確認する。日は既にかなり高くなっていて、到着は相当ギリギリになるだろう。エルの事を気遣う余裕は無いな。


「じゃあ行きますよ。しっかり、本当にしっかり捕まっていてくださいね」


 宣言と共に地を蹴り、王都へ向けて加速する。あっという間に最高速度まで達し、周りの景色がかなりの速さで流れて行く。この速度なら、飛行する魔獣以外は振り切る事が出来るだろう。その飛行する魔獣も、此処から王都までの草原には生息していない為、実質的に安全だ。


 道中、顔にあたる空気の圧力で息苦しそうにしたエルが青い顔をしながら聞いて来た。


「こ、これ……何時まで続くんですか?」

「日暮れまでです」






「うぅ……腰が……腰が……」

「ちょっとチコ君!あなたナニやったの!」

「俺は悪くねぇ!!」


 その日の夜の冒険者ギルドで、俺は凄まじい形相をしたイラーナさんに追い詰められていた。その横のソファではエルがうつ伏せになっており、腰を抑えてシクシクと泣いている。長時間の高速おんぶで腰が立たなくなったのが原因だ。


「別にそういう事をするのは構わないのよ!でもその後に見せ付けるようにギルドに連れて来るってどういう事!?」

「そういう事じゃねぇよ!サッサと依頼達成手続きしろ!!」


 思わず素に戻って叫びながら、騎士隊長から渡された二枚の証明書とギルドカードを叩き付ける。片方は俺の、もう片方はエルの物だ。それを受け取ったイラーナさんは、即座に仕事モードになって手続きを始める。


「はい、チコ君は黒貨二枚、エルちゃんは大銀貨二枚と小銀貨四枚、同時に昇格ね。GGランクからFFランクになったわ。おめでとう」


 イラつくほどの速度で真っ当な手続きを終了させたイラーナさんは、俺に二枚の黒貨とギルドカードを投げ付け、エルのバッグに報酬の入った袋とギルドカードをそっと入れる。扱いに此処までの差があるのは問題だと訴えたいが、周囲も完全に敵に回って殺気を撒き散らしている以上勝ち目は無い為、黙っておく。


 だが、今はそれ以上に話さなければいけない事がある。


「イラーナさん、ちょっと此方に」

「あら?何かしら」


 真面目な雰囲気を察したイラーナさんが、表情を引き締めつつ俺のいる角に来た。エルとは大分離れており、酒場の喧騒も混じっている為聞こえる心配は無い。此処まで来れば分かると思うが、話す内容はエルに関する事だ。


「イラーナさん、エルに今回の依頼を任せたのは何故ですか?」

「あの子、成績が優秀だからいけると思ったのよ。それに多分あなたが付いて行くと思っていたし」

「俺は一緒に行きませんでした。エルと会ったのは昨日の夜です」


 此処まで言えば分かったのか、イラーナさんの顔色が急速に悪くなった。どうやら何が起きたのか気付いたらしい。


「もしそれが本当だとしたら……少し拙いかも知れないわね」

「いえ、拙いです。取り合えず――」

「チコさん、SSランク冒険者のチコさんはいますか!?」


 今後の対策を、と続けようとした所でギルドの扉がけたたましい音と共に開き、一人の男が飛び込んで来た。何事かと目を向けて見れば、二週間前に代理処罰をしたブラスの腰巾着だった小者の一人が激しく息を乱している。


「あ、いました!チコさん、大変なんです!兄貴が!兄貴が!!」

「まずは落ち着いて、何があったのか説明してください」

「あ、はいすみません、ですが本気で拙いんです!!」


 錯乱した様子の小者を宥めながら、俺はあの大柄な男がどうなっているのか思案する。イラーナさんから聞いていた話では、あの後至極真面目になったブラスは、極普通に依頼をこなしていた筈だ。実力もそれなりにあり、冒険者のしての知識も申し分無いと高評価を得ていたが、イラーナさんの目に留まるような冒険者が無茶をするだろうか?


 その疑問は次の瞬間に小者から発せられた報告で全て霧散し、そして俺を含むギルド内の全員の顔から色が消えた。


「兄貴が……兄貴が金色の小皿って宿で突然暴れだして、チコさんを呼んで来いって……来なきゃ宿の娘から順に殺すって……何とかしてくだせぇ、チコさん!!」

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