**賢者の予見
「あっ……灯璃いいいい!!」
家を出てすぐ、今は会いたくなかった人物に見付かってしまった。かなりの飛行速度でロニヤが突っ込んでくる。朔也が僕から少し距離を取った。避けることも出来たが、そうすると朔也が犠牲になりそうなので、僕は抵抗せずに抱き抱えられた。ロニヤはそのまま高くまで上昇し、くるくると回転する。
「いやーん。本当に無事だったのねー!」
「うん……」
彼女が宙で回転すること、それはとあるゲームの開始を意味していた。案の定、ロニヤが回るのをやめると下方から火球が飛んでくる。好戦的に、楽しそうに笑ったロニヤ。直撃すると思われた攻撃は、直前で不自然に軌道を変えた。まるで球状の結界が僕らを包み、その面に沿って火球が受け流されたかのように。しかし実際には結界など張られていない。
初撃を皮切りに、あちらこちらから攻撃が迫る。逸れて天井に向かった魔術は、僕が張った結界に吸い込まれていった。しかし武器は弾くので、矢や石はどこかへと落下していく。
およそ三分が経過して攻撃がやむと、満足気なロニヤは地面に降り立った。最後まで彼女の回避が失敗することはなかった。今回も彼女の勝ちだ。もしもロニヤに勝てたなら、何か賞品が貰えるらしい。
「ふう! 灯璃が無事だったのが嬉しすぎてはしゃいじゃったわ!」
「お前、いつもながらにすげーなあ」
「そりゃ特化型だもの。これが出来なきゃ辛いわよ」
ようやく解放されたので、僕は朔也の横に立った。真横ではなく、さりげなく一歩後ろであることは気付かれているだろうか。人に振り回されるのは嫌いではないが、動きが激しいと疲れる。
友人のリュディガーと話していたロニヤは、急にこちらに顔を向けた。近付いてくる彼女に、朔也が若干後ろに下がる。合わせて僕も後退した。
「こんにゃろ!」
デコピンを食らった朔也は、何となく不服そうな面持ちで眉間に触れた。
「まったくもう。朔也くんてば勝手なことしてくれちゃって」
「誰だよお前……」
「まったく、朔也くんてばまったく!」
人差し指で額をぐりぐりと押され、朔也はうんざりした顔付きになる。表情は変化するが、それが薄い朔也にしては分かりやすい態度。リムを相手にしているようだと感じて、合点がいく。ロニヤとリムには何か相通ずるものがある。
「ま、でも。ネスティを助けてくれて感謝してるわ」
「知り合いか?」
「伴侶よ」
ちなみにネスティよりも百歳以上ロニヤは年下。イムの中ではよくあることだ。真偽のほどは確かではないが、過去には四百歳差の夫婦もいたそうな。
ぐっとロニヤに顔を近付けられた朔也は、無表情で仰け反った。
「ふんふん。イティの言う通り、確かに綺麗な顔してるわね。歳も近いし、どう? マリア貰っちゃわない?」
「……はあ」
「あら! つれないわねー。ドラゴでもいいのよ?」
「うっわ」
「冗談よー!」
心底嫌そうに顔を歪ませた朔也の肩を、ロニヤは至極楽しげに何度も叩いた。このままだとしばらく時間を取られそうだ。彼女の後ろにいる友人に目配せし、朔也の前に出た。
「ロニヤ、僕は朔也に話があるんだ。申し訳ないけどまた後にしてくれる?」
「あら。私の前では出来ない話なの?」
「うん」
「ちょっとルーグ! 今の聞いた!? 即答よ、即答! きっと人には言えないあれやこれやをするつもりなんだわー!」
「そうかもなー。もう行くぞ。お前ら、邪魔してごめんな」
リュディガーはロニヤの襟裏を掴んで飛び立っていった。彼はそこそこ常識人なので助かる。
「朔也、僕らも飛んで行こうか。ロニヤみたいな人に捕まってしまう」
「そうだな」
「無事を喜んでくれるのは嬉しいんだけどね」
人の姿を保ったまま、僕は背中から竜の翼を出して飛んだ。地下都市を見下ろし、人気のない方向へ進む。中心部からなるべく離れた場所。地下都市の北、先程まで朔也とマリアがいたであろう空き地に降り立った。ぽつんと寂しく置かれているベンチに腰を下ろす。
「えっと。まずこれ」
持っていた紙片を差し出す。そこにある文字を見て、朔也は若干眉根を寄せた。朔也は紙片の裏も見たが、残念なことに文字があるのは表のみ。
「これ、書いたのは賢者か」
「そうだよ。それはケイの言葉なんだね」
理解出来ない僕のために、朔也は文を声に出して読んでくれた。
「――我は我自らの王である。故に何人たりとも我を操ることは出来ない」
毅然とした言葉だった。全体よりも個人を重視したクラウスらしい。
我自らの王である。すなわち、自分に命令を下せるのは自分だけだということ。更に言い換えると、彼は常に自らの意思に従って行動しているということ。故に、彼を操ることは不可能である。
「何だこれ」
紙片を返される。
「これは元々、冊子の最後のページだったんだ。端に書いてあったものを破った」
「へえ」
「クラウスが幾つか魔法陣を描いて、それを冊子にしてくれたんだ。凄い魔法陣ばかりが載っていて、悪用されると危険だった。自分で管理出来なくなるなら、僕はそれを処分しなくちゃいけなかったんだ。勇者が来る前に燃やすべきだった」
「燃やしたのか」
「一応」
秘術、禁術、僕でも見たことがない珍しい術。それらが記載されたあの冊子は、魔導の道をゆく者には垂涎の的だった。
「クラウスが描いてくれたんだ。魔法を使わず、彼がその手で作ってくれたもの。それはとても珍しくて、だから僕は燃やすのを躊躇った」
朔也は数秒黙って、それから問うた。
「転移陣が載ってた?」
「うん。マリアから聞いたんだね」
紙片を持っていない方の手を握り締める。腕を失ったことをマリアは悲観していない。それどころか義手となった魔道具を、本当に貰っていいのかと返却を申し出るほどだ。勿論断った。
しかしあのように目に付く黒。見るたびに胸が痛む。
「状態を維持する祝いを掛けて、王都の地面に埋めたんだ。周りに人がいないか確認はしたんだけど」
「マリアが見てたのか」
「違う。マリアじゃない。マリアは地下都市の広場であれを拾ったと言った」
誰が掘り出したのかは定かではない。積極的に犯人探しをしようとは思わなかった。地下都市で発見されたのだ、イムに違いないとは思う。だが僕の感知の術から逃れられる者などいただろうか。
「マリアを助けた後、冊子を燃やした。あんなことになるなら初めから燃やしておけばよかった」
「終わったことだ。仕方ねえだろ」
「……マリアとドラゴは、生まれた時からずっと見ていたんだ。僕はミリオの家で暮らしていたから、本当に十六年間ずっと。右腕を失って眠るマリアが痛々しくて、うなされて親の名前を呼ぶのを聞いて。…………僕は、クラウスとの約束を破ってしまった」
僕に家族はいない。だがもしも弟や妹がいたのなら、きっとこういう気持ちになるのだと思う。あの時、僕は自分を殺したくなった。代わってあげたかった。朔也に謝罪しなければならないのは、その後の行動。
「マリアの腕。あれは本当は、君のものだったんだ」
「……いや、違うけど」
「違わないよ。クラウスは君と勇者に二つずつ、助けになるものを残していった。それは僕たちと、もう一つ。武器だ」
「賢者は未来が分かるんだよな?」
確信を得るための問い掛け。僕は首を縦に振った。
「断片的に未来が見えるっていう制限付きだけど」
実のところ、僕も煌璃もクラウスの目的を理解していない。魔獣の襲撃からイムを救ったが、彼は人族や亜人族にも手を貸している。精霊とも関わりがある。知識を求めていたように思えるが、決してそれだけではないはずだ。
「あれは黒い剣だった。だけど形を変えて、肉体の欠損部位を補うことが出来た。だけどそうしたらもう二度と剣には戻らない」
「へえ」
「勇者の武器にそんな機能はなかったよ。オリハルコンの剣だからね。……未来を予見出来る賢者が、朔也にはそういう武器を用意した。意味は分かる?」
深く考えるまでもない。既にマリアの腕として動いているのだから。
「体の一部を失うと。俺が」
「それか、君に近しい人が。きっと。……ごめん」
朔也は正面を向いたまま、自らの喉元を親指で撫でた。
クラウスが僕と煌璃に伝えたのは、稀人の名前と召喚される時期、それと場所。召喚者や稀人の種族は教えてくれなかった。彼の予知の範囲外だったのかもしれない。
客観的に見ると、朔也にとってマリアは加害者である。それを知らなかったとはいえ、僕は朔也の大事な武器を彼女に渡してしまった。知っていても渡しただろう。激怒されても仕方がない。
「まあ予言だろ。外れることもある……といいな」
「……うん」
今までに外れたことはないけれど。
沈黙が痛い。風はなく雨も降らないので、自然現象は静けさを掻き消してはくれない。朔也は思い出したように「ああ」と呟いた。
「オリハルコンってあれか。何か有名なやつ」
「……え?」
「違うか? 聞いたことあると思ったんだけど」
それを勇者に持たせるとは鬼に金棒どころではない。朔也はそう淡々と言う。
「怖くないの? 体の一部がなくなるんだよ? 指かもしれない、足かもしれない。痛いし、生活がとても不便になる」
「ああ…………俺はイムでよかったのかもな。足がなくても移動出来る」
「そうじゃなくて」
なぜだろう。言いたいことが伝わらない。案じている点がずれている。僕は黙り込んだ。すると隣からふっと笑うような吐息が聞こえた。驚いてすぐさま朔也を見上げたが、その時には既に表情は失せていた。
「怖いな。けどその武器が手元にあれば、俺もマリアに渡しただろうし。別にいい」
「どうして?」
「過去より未来、未来より現在が大事だろ。未来のことは未来の俺が何とかするんじゃねえの。知らねえけど」
本人は納得していなかったが、やはり朔也は寛容だ。実感がないだけかもしれないし、未来のことを考えていないだけかもしれない。それでももう少し自分を大切にした方がいい。紛れもない事実として、朔也はリムや僕、マリアよりもずっと弱いのだから。
「話は終わりか?」
「うん」
帰宅していいか念話でドラゴに尋ねると、是と返答があった。
「飯食った後、灯璃は広場に行った方がいいな」
あれだけ喜ばれるなら、と彼は続ける。
朔也が自分と勇者の関係をドラゴ達に知らせたのは、僕には間違いだったように思う。その情報を持っている者は限られている。加えて、イムに告げ口するとなると精霊か神獣でなくてはならない。イムが真実を知る可能性は非常に低かった。知られたとしても知らぬ存ぜぬで押し通せた。朔也に非はないのだ、苦境へ繋がる道を選ばなくてもよかったのに。
決して強くはない。それなのになぜ。
「朔也」
「何」
「僕はいつでも、君の味方でありたいと思うよ」
今の気持ちを正直に告白すると、朔也は不思議そうに僕を見た。
「好きにしろよ。……変わってるな、お前」
そうだろうか。むしろそうでなければおかしいと思う。僕は八十年間ずっと朔也の訪れを待っていたのだ。三日と続けて朔也のことを考えない日はなかった。煌璃も似たようなものだろう。人族は言うまでもないが、たとえイムだろうと。僕は僕に誓って、誰にも朔也を殺させはしない。
我は我自らの王である。
それはきっと賢者だけでなく、全ての生物に当てはまることだから。




