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5.

 



「雅彦」

「圭?」

「迷惑掛けて、ごめんなさい」

「迷惑なんて、」


「ありがとう」




 翅白さんたちの葬式から一週間。未だぼんやりした感が抜けない圭の様子を見に家を訪ねた日。圭がくれた謝辞に舞い上がったなんて自分で吃驚した。舞い上がったことはこのあともたびたび在った。

 莫迦げてる、有り得ない。

 そう打ち消そうとするその都度、感情は浮き上がった。


 早い時間に浮かぶ白い月のように。

 霞んでも眩ませても確固として“在る”のだと。


 あの月のように。




 あのときも。




「雅彦……っ」

「ああ、……よぉ」

 息を切らす圭へ片手を上げて応える。ほっとしたように、胸を撫で下ろす圭に心が躍ったなんて今でも秘密だった。

「襲われた、って聞いた……その包帯」

 包帯が巻かれた顔の左半分。ああ、と俺も気付いた。左側に出入り口が在るこの病室では、圭が見づらいはずなのだ。俺は今左半分が覆われていて左目が見えないから。……いや。

 この左目は一生見えることは無い。二度と。

「……いつかやるとは思っていたけど」

「うん、まぁ、自業自得だよな」

「そんな、軽い話でも無いでしょう。

 左半分、火傷を負ったのよ。しかも失明まで」

 自らの頬が痛むかのように顔を顰める圭によろこんでいるほうが大事なんてこの場では言えはしない。だが真実自分は和やかな気持ちでいた。

 圭が俺を見ている。誰より何より俺を気にしている。これだけで良かったのだ。本当に。

「痛む?」

「いや? 全然」

 最先端医療でも完全に痛みを取っ払うことは難しい。痛みは危機感に直結する。痛みを知らないのは生きることを知らないに等しいとか、何とか?

 ゆえに鎮静剤やら何やら投与しまくったとしても、左目を失うくらいの大火傷がまったく痛まない訳が無いのだが。俺は痛いと感じていなかった。麻痺していただけかもしれない。が、大半が表面を焼いた傷は深部の神経が生きている。やっぱり痛いはずなのだけど。

 不思議と痛みは無かった。ただ熱くて冷たくて疼いた。

「嘘。それとも麻酔がまだ残ってるのかしら?」

「さぁ?」

「呑気ねぇ。……“自分で焼いた”って本当なの?」

「本当だよ」

 事実だった。この傷は自身で付けた傷だったのだ。

「何で、」

「あの女が碌なこと言わなかったから」

「? どう言う、」

「圭は知らなくて良い」

 事情聴取されても、わからないだろう。そう言う風に俺はしたから。


 あの女のことなど、圭は考える必要は無いんだ 。圭は余計な心配をする必要は無い。俺のことは気にしてほしいけど。圭には変な心労を煩わせたくなかった。

“たいせつにしてるらしいじゃない、今度の子。……ああそうだ。出来ないんなら、代わりにその子の顔をズタズタにしてあげようか? ねぇ雅彦”

 女なら誰でも良かった。けど、比較的に自分に似た人種の、賢い女を選択して来たつもりだったのに。見る目が無かったなとひどく醒めた。瞬間笑えた。

 滑稽な女の執念にも笑えたし、久々の飲み会での現実味を失した珍事にも、引き起こした自らの愚かさにも。

 嗤えた。

 だから、良いよ、と笑んで見せたんだ。

「そんなんじゃ、すぐ治っちゃって意味無いでしょ」

 沸き上がる嗤いを抑えられず、喉を鳴らしながら女に言った。“相も変わらず綺麗ですかした顔”女の放った言い掛かり。その顔に一生残る傷付けて。そうしたら解放してあげる、とも抜かされていた。だから。

「こんな切れ味が良いナイフじゃ意味無いよ」

 女の般若の面が戦慄いて崩れた。嗤った。胸ポケットに入れたジッポがやけに主張するから。取り出して蓋を開けて。

「一生残してやるよ? ただしお前のためじゃないけど────ここまでやらせんだ。背負えよ」


 あとは、まぁ、ご覧の通り。

 女は発狂して俺とは別の病院に送られたし、闖入者のせいで騒然となった飲み会の会場もギャラリーも多分会話の前後なんて細部までわかりゃしない。覚えていたとして精々「顔に一生残る傷を付けて」、くらいのもんだろ。あの女、早口で聞き取れないくらいだったから。

 だので、これで良い。


 退院した俺はしばらくその場にいたヤツらや周りには避けられた。当然だろう。気違いと思われても仕方ないことをして見せたんだ。唯一あの席にいて俺に応急処置をし、搬送先まで付き添ってくれた野中だけが退院直後も変わらず接していてくれたけれど。野中は見た目こそ、時代的に今時めずらしい程の平々凡々だが度胸と言うか器が周囲と桁違いだった。その人柄が本人は良い人止まりだと考えていたようだけれど、実は何人かの女子から想われていたことも俺は知っていた。(かば)チーフも通常運転の人使いの荒さだし。

 女を手当たり次第じゃ無くなっていた俺は、男とも元々当たり障りの無い生活を送っていて。ゆえに忌避されようとまったく変化は無かった。

 圭が俺のそばを離れることも無かったし。


 圭がいれば良かった。

 それだけであとは要らなかった。




「え、別れたの。大西(おおにし)さん」

「らしい」

「だって、あんなに……」

 野中が詰まった。大西さん、とはついこの話題の一箇月前に申請が在って『蘇生執行』した独身者だった。この世界は子の無い独身者に強制的な若さの持続をさせるだけでなく、死ねば自動的にクローンで存在代替をしてしまう、そんな世界だった。

 俺はその事務処理を仕事にしていた─────言うなれば代替クローンの起床指示と死んでしまった独身者の遺体処理が俺の情報整理で行われた。

 大西さんは結婚の一箇月前に事故で亡くなった。だから悲嘆にくれた婚約者が是非にと『蘇生申請』をして来たのだが。

「当たり前だろ」

「……」

「本人じゃないんだ。上手く行くはずが無い」

 クローンが、幾ら記憶を継いでいたって本人な訳が無い。わかり切った、動かぬ事実だ。……そうだ。誰も、代わりになんかなれないんだ。幾ら似ていたって、幾らその戸籍を持っていたって、幾ら同じ細胞を持っていたって幾ら記憶を持っていたって……


“私は、侑梨菜さん以外の、『私』として愛されていたかった”


 本人になんか、なれはしないんだ。

 同じように、愛し合えるなんて、有り得ない。


 ─────……


 そこまで考えてふと思い付いた。じゃあ、俺はどうなるんだろう? 俺も子の無い独身だ。未婚者だ。死んだら、クローンが[俺]になる。俺の記憶と戸籍とを受け継いで、遺伝子まで[俺]と同様の俺じゃない人間が。

 そうしたら、そうしたらどうなる?

『俺』は抹消されて廃棄される。

『俺』は[俺]じゃなくなる。


 圭は……圭は。


 翅白さんたちが亡くなったとき、クローンを破棄した。理由は簡単。翅白さんたちが帰って来る訳じゃないからだ。圭はちゃんとわかってる。でも、俺はこのままじゃ消えるだけだ。圭に弔われることも無い。大西さんを他人事に出来なくなった。 圭は『俺』じゃない[俺]を愛したりしない。ここに醜い嫉妬は消えたけれど。


 不安になった。

 圭を失ってしまう、と。


『俺』じゃない[俺]を圭は愛さないだろう。だがこれは、圭がやがて『俺』を不要とすることになるんじゃないだろうか。圭が『俺』を要らなくなる。『俺』を見なくなる。

 圭の意識が『俺』から離れる。


 考えたら耐え難くなったんだ。


 その時期、然程面識の無い、親子程年の離れた従弟が自殺してクローンが目覚めたことも、追い討ちだった。




 それから俺は無茶をした。圭が嫌がってるとわかっていてわざと避妊しなかったりとか。最低だと思う。今更だけど。あのときの俺はわかっていなかったんだ。どうしても圭を手に入れていたかった。その感情を、俺は未だに実は理解出来ていない。アレは愛だったんだろうか。違う気がした。

 結果的に俺らは別れた。莫迦みたいだった。

 欲しいとしながら自ら手放した。莫迦みたいだった。

 俺は歩きながら不意に眼鏡を掛け直した。と、眼帯に触れる……ああ、どうしよう。この傷の意義はもう無い。傷痕がまだ生々しかったころ何度も圭に左目の再建手術と共に整形手術を勧められて断った。それは意地で在ったし、何より圭に通じるモノだと、俺は消したくなかったのだ。こんな、醜いケロイドさえ。

 けどもう要らないのだ。圭はいない。


 要らないのだ。




 家路に急ぐ雑踏。正乃は家で体を休めると言うし今日は久方振りの一人だ。一人で酒でも飲もうか、つまみでも見繕って。頭で小さな計画を立ててモールに入ろうとした俺は、足を止めた。

 圭がいたんだ。見間違いかと思った。だけども違った。圭だった。

 思わず浮き足立った。反射の如く声を掛けようとして、気が付いた。圭は誰かと喋っていた。向かいに一人、若い男と、隣に一人。やはり若い男で。圭は隣の男にひどく注視していて……ああ。


「……圭は、」

「んー?」

「そう言う人、出来たの?」


「うん」


 彼が、その人なんだね。


 夕暮れどき、仕事や学校帰りで人の多い中、立ち止まった俺はさぞや邪魔だっただろう。俺はそれどころじゃなかったが。踵を返した。蹲れるなら蹲りたかった。だけど一刻も早く逃げ出したくも在った。流れる人々に、後者しか道が無かっただけだ。


 あの日。別れを告げたのは別れたかったからじゃない。

 追い掛けてほしかったんだ。俺を呼んでほしかった。


「雅彦」


 ばかみたいだ。

 俺を、物質的にも意識的にも見てほしかったんだ。

 自分勝手な俺。何て身勝手。

 手遅れだ。


 覚束無い足取りで、反芻する思い出。嘘みたいに穏やかであたたかなあの日々は紛うこと無く在ったのに、俺には今でも愛だったかどうかわからなかった。


 仰いだ空に浮かぶ月は頼り無げで切れ目みたいで。だけれど確かに存在した。


 この傷のように。







   【Fin.】

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