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4.

 



 親父の世話をしていた『ドール』は二体いた。名を『薔薇(そうび)』『荊棘(いばら)』と言った。親父が付けた。字が好きだ、と笑っていたのが鮮明に思い出せた。『荊棘』はどこか無機質な、必要最低限しか喋らず常に表情の動きも微かにだけ見せる機械のような『ドール』だった。『薔薇』は正反対で、本当にいつも笑顔の、ふんわりと朗らかで明るい、人格者の代表のような、いわゆるヒトみたいな『ドール』だった。

 原型がほぼ同系の姉妹機で、『荊棘』が姉、『薔薇』が妹らしい。単純な起動時間の違いだが、人間はなぜかこんな拘りを見せる。研究所にも何体か兄弟機、姉妹機が在るが、当の『ドール』たちがどう認識しているか謎だった。

 ただ人に酷似したヒトガタだ。もしかしたら人間同様の感覚で捉えているのかもしれなかった。

 所詮、ヒトはヒトの感覚しか持ち得ないのだから。造るモノだってヒトの観点からでなければ出来ないに決まっている。

『ドール』はその特質からヒトを愛した。プログラムではなくそう刷り込むんだ。

『ドール』はロボットの『三原則』を加えず道徳倫理の情報だけインプット、ベースに教育する。


 そうして、それは最悪な形で露呈することも在るのだ。




 一瞬取り乱した雪菜だったがすぐに我に返り冷静になった。そこはさすが我が姉。あの政治家やら音楽家やら輩出して言い方は悪いが世界相手に商売している家で生活していただけは在る。未だ不安定さが垣間見えたけれど自己を保とうと背筋を正す姉に水を差すのも気が引けて、今後のことなどを一旦脇に置き、俺たちは分かれた。

 雪菜は今の家族に報告もせねばならず自分の家へ帰り、俺は実家に向かった。遺体は取り敢えず安置することになった。調査が残っているからだ。

 俺は久々の実家で遺されたもう一体を探した。目当てのソイツは、相変わらず主人もないのにてきぱきと働いていた。

「荊棘」

「何ですか、雅彦さん」

 くるりと俺を見返ったソイツは記憶と変わらない無機物さだった。成程。俺は心中で手を打った。常日頃僅かにしか表情筋が動かないソイツ、荊棘と標準が笑顔の薔薇は確かによく似ていた。いや、造作はまんま同じだった。眠るように機能停止した顔を思い出す。間違いなく、姉妹機だった。皮肉にも、こんなときに再確認したのだった。

(じん)さんのご遺体はいつ戻られますか?」

『仁』は親父の名だ。日本に帰化した際、崎河と言う名字を与えられ名前に選んだ漢字を当てた。生まれ付いての名は『ジャン』。スペルが『ジーン』とも読めるため捩ったのだった。

「当分無理だ。調査が終わり次第だからな。解剖もするだろう」

 病を患っていたのだし目に見えてわかりそうなものだが、人の、『ドール』だが、他者の介入によって齎らされた死だ。下手な可能性が浮上したせいだ。呼吸器を止めたことで親父が死んだとしても原因はそこじゃないかもしれない。また他に死因が在るかもしれない。むしろ何で死んだのか。周囲が安堵するためにも納得の理由付けが要るんだろう。

「そうですか。薔薇は廃棄されますか?」

「人に害を与えた……と断定されれば。そうでなくても機能を停止してしまったんだ。もう動くかどうか」

「……ならば、

 ならば、廃棄してください。

 あの子のためですから」

 俺は耳を疑った。何だって?

 俺が困惑しているのを余所に荊棘は何の躊躇いもない当たり前の主張をしただけと、俺の登場に一度やめた作業を再開していた。端から淡々と紡がれる声音に悲哀の色は窺えなかった。だが普段から感情を表に出さない荊棘だから、たとえ『妹』の死に動揺してもわかりにくいだけなのかと思っていた。それが、違っていたのだろうか。

 それとも、愛する主人の親父を殺した薔薇を憎んだ?

「荊棘……どうして」

「私たちの顔が、お母様に似ていることはご存知ですか」


「母さん!」


 雪菜の小さく吐き出された悲鳴が耳元で再生された。錯覚だった。けれどもあまりの生々しさに眩暈を覚えた。お袋は、親父が倒れる三年前にこの世を去った。────三年? 奇妙な符合を見付けた気がした。……まさか。

 まさか、親父、まさか。

 俺が己の発想に掻き乱されている横で荊棘は起伏を欠いた調子で語る。お構いなしに。

「私たちはお母様の“代わり”だったんですよ。仁さんは……雅彦さんのお父様はずっとお母様を愛しておられた。放したくない程。だけど始めからココロは仁さんの元に在りませんでした。だから、仁さんはお母様を自由にした……そうして、雅彦さんを、私たちをそばに置かれたのです」

「何で……だったら何とかお袋を説得して縒りを戻せば良かったじゃないか。何も『ドール』を代わりにする必要は、」

「愛しておられたからです」

「愛……?」

「そうです。愛しておられたから─────愛されていないご自分から自由になりたいとお母様が仰せになったとき、お放しになられたのです」

 意味がわからなかった。何でそうなるんだ、何で。

 俺が混沌に飲まれても荊棘は話すのをやめなかった。予め用意された台本の何度目かの朗読をしているかの如く、口調は一切淀みが無い。

「私たちはお母様に似せて造られました。けれど、お母様には到底なれませんでした」

「……」

 それはそうだろう。『ドール』だって人だって、誰かになれる訳が無い。ゆえに、言ってしまった。「当然だろう、そんなこと」

「ええ、そうですね」

 俺の自失の声に少しも揺らがない荊棘の声が返る。「だけれど」


「薔薇はそうなりたかったんです」




 このあとも聴いた薔薇の話。

 俺の知らない親父の話。


 荊棘は今とある養護施設に働いている。脳の電脳部に在るメモリーを初期化して。

 荊棘の願いだったからだ。




「あの子に泣かれたことが在ります。私は、仁さんによく“侑梨菜(ゆりな)に似ている。彼女はクールだった。きみみたいに”と言われていましたから。

“姉さん、わからない。私はどうしたら良いの。どうしたら侑梨菜さんになれるの”」


『侑梨菜』はお袋の名だった。多分、親父が最後まで唯一愛した女の、そして俺と雪菜の母親の。


「私からすれば無意味でしか在りませんでした。私たちは侑梨菜さんではないのだもの。無意味だったんです。

 仁さんはわかっていたから。

 私は、侑梨菜さん以外の、『私』として愛されていたかった」


『ドール』が過ぎたことを考えていたのはわかっていました。ただの機械で在りたかった。初めてそこで荊棘が泣いた。俺は黙って観ているしか無かった。


 掛ける言葉なんか、沈む悲しみに在る訳無かったんだ。


 親父がお袋を見初めたのはお袋が出たコンクールだったそうだ。当時話題の美人演奏家姉妹。姉妹はお互いをパートナーとして幾つも賞を総なめにしていた。バイオリンを弾く凛としたお袋。 十六歳だった。荊棘と薔薇の外見設定年齢も十六歳だった。




 俺は煙草を消した。消し潰しながら脳を回るニコチン、タールに黒く染まる肺を一刹那想像した。わからなかった。まだ、わからなかった。出て行ったお袋、お袋を愛した残酷な程無邪気な親父、誰より世話焼きでやさしいくせにお袋みたいなことを繰り返す雪菜。自分として愛されたかった荊棘、お袋になりたかった薔薇。

 誰かを愛することが理解出来ない、俺。

 ふっと、翅白さんたちを思った。翅白さんと奏己さん。あたたかな、理想の夫婦。家庭。二人の娘、圭。……圭はどうだろうか。一気に両親を失った、圭。

 二人の子なら、愛することもわかるのだろうか。


 見上げた月は膨らもうとする途中で、随分不格好だった。






 

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