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3.

 



「……悪かったって。だってさー、」

 謝る発言とは裏腹に支倉さんの顔は緩みっ放しだ。完全に面白がっている。俺は不機嫌を全面に出し不服を申し立てた。支倉さんは「あー」とか唸って頭を垂れて、すぐに上げた。

「だってさぁ。お前初めて俺に会ったとき覚えてる?」

 出し抜けに出た疑義に俺は先程と違う意味合いで眉間を寄せた。なぜ突拍子も無く、支倉さんがこんな話を持ち出したのか不明だった。支倉さんは俺のこの反応は想定内だったようだ。躊躇いの欠けらも無く話を続けた。

「崎河さんがお前を施設に連れて来たんだよ。覚えてない?」

 まだ小さくて、でももう俺の腰まで在った。そう支倉さんは記憶を手繰りながら諳じるように訥々と淡々と零して語り出した。

「覚えてますよ。確か八歳だった」

「そう。圭ちゃんはまだ産まれてなくて、それどころか、未だに奏己さんが光輪に片想い中で……懐かしいなぁ」

 故人との追憶は葬式をした今日と言う日には合っていた。だけど、現在状況としてはおかしかった。俺は支倉さんの意図が全然汲めず、口を噤んで見守っていた。

「そうだよなぁ、圭ちゃん産まれてなかったよ。びっくりだよなぁ」

「あの、支倉さん?」

「お前八歳だったっけな。凄ぇ醒めた眼ぇしたガキだったのに。十歳未満だったとわな」

 ちらりと俺を見る。全然悟れない俺は、ひたすら一文字に口を引くしかなかった。

「あんなに、世間様を醒めた眼で斜に構えて見てたガキが、自分よりずっと、十年以上あとから生まれた女に必死んなってる。だから、微笑ましくなった」

「……」

「女なんかどうでも良い。男なんかもっとどうでも良い。はっきり言えば、人間、それ自体どうでも良い。……そんな顔してたガキが」

「……別に」

「安心したんだよ。良かったんじゃないのぉ? お前が、そんな顔してまで圭ちゃん好きなの、悪くないよ」

 支倉さんが、背を向けた。俺を置いて部屋を出た。客間で先に寝る、そう背中で告げられた。俺は何も言えなかった。何も返せなかった。


 俺は、圭をこのころはどう、捉えていたかわかっていなかった。うっすら、欲みたいなモノを感じてはいた。『所有欲』とか『庇護欲』とか、そう、『独占欲』とか、こんなモノを。

 だけれども、起因する感情なんて、わからなかった。支倉さんに指摘されて、俺はぼんやり思考に浸かっていた。


「女なんかどうでも良い。男なんかもっとどうでも良い。はっきり言えば、人間、それ自体どうでも良い。……そんな顔してたガキが」


 交流の儚い支倉さんに俺がこう見えていたなら、きっと翅白さんにも見えていたんだろう。八歳のガキがこんな風だったなら、大人は随分と心を痛めたことだろう。……間違っちゃいないさ。俺は煙草を取り出す。害にしかならない嗜好品は、俺にぴったりだと思った。火を点ける。フィルターを通した煙が肺を満たす。隅々まで行き渡ったニコチンやタールが、染みを作る気がした。

「……」

 間違っちゃいないさ。俺は、どうでも良かったんだから。女も男も、自分さえも。




 親父が死んだ。半年と一箇月前。桜が咲いて、散り始めた時期。病に倒れた。だが死因は別だった。

 親父は『ドール』と心中したんだ。────お袋に似た、『ドール』と。


 親父が体調を崩したのは随分前だったが、悪化したのはついここ三年程だった。俺が何か言う前に、子供みたいに我を通す親父は、あっさり現役を退いた。

 発展した現代医学でも治せない病は在った。たとえば遺伝病や細胞の突然変異がそうだ。これだけ進歩した世界だ。当然今後の発症する病を予期したり予防したり排除したりも可能だ。だが突然変異とは読んだ字の如く書いた字の如く“突然の変異”。神懸かりの発病に、予想が外れ予定外が起きるのが人生なんだと思い知る。自らの身体で。親父もその一人だった。

「雅彦」

雪菜(せつな)

 親父が死んで少し経って姉の雪菜が来た。俺と雪菜は、幼いときに両親が離婚したせいで今では立派に他人だったが、正真正銘血の繋がった姉弟だった。

「父さんが、……」

「うん。俺が来たときには、もう」

「そんな……」

 家を出るお袋に連れられ十三で親父の元を離れた姉だったが、まったく疎遠だった訳ではなかった。むしろ、頻繁に姉は俺や親父に会いに来ていた。姉が最初の結婚をするまで。親父と別れてから知らぬ男と再婚を繰り返すお袋に、家に居辛かったのかもしれなかった。けれど俺は姉に問い質したことはない。聴いたことも無かった。

「どうして……」

「わからない。治療は本人の希望だったから大してしてなかったし」

「父さん……どうして」

 親父の病は治そうと思えば幾らだって治せる部類のモノだった。だけど、親父本人がこれを拒否した。ゆえに申し訳程度の治療、痛みを軽減するためだけのそれを、行っていたのだ。

「父さん……」

「まだ詳しく調査してみないとわからないけど、自殺だろうって。でなきゃしないだろうから─────

『ドール』が呼吸器のスイッチを止めるなんて」

『ドール』は人間以上に情操教育を徹底されている。普通に考えて、人命を危険に曝すような真似はしない。事実、俺は件の『ドール』が親父に「生きてほしい」と懇願する場面に何度も遭遇している。だから、今回のことに物凄く驚愕していたくらいだ。

 親父は生きる意志が無かった。何でかは知らない。教えてほしいと考えなかった。いや、怖かったのかもしれない。どんなに興味がないと言え親だ。親が生きる気が無い理由を、確かめることが平気な子供はいないだろう。

「父さん……ねぇ、雅彦」

「何?」

「アレ、は……?」

 姉さんが、雪菜が、指で示した先に在ったのは本来病室の見舞い客が利用出来るように置かれたソファだ。そこに、今は白い布が被さっている。「例の『ドール』だよ」形容し難い気持ちで姉に説明した。たった一言だったが、ひどく重く億劫だった。姉が訊いた。「見ても……良い?」俺は頷いた。

『ドール』が呼吸器を止めたんだとしても、親父が望んでやらせたことだ。親の仇敵と称するには少々違う。どうにか位置付けするなら自殺の道具だし、もっと言えば“被害者”だろう。見たいと姉が希望するなら、身を挺してまで制止する必要は無い。悩みはしたが、雪菜の薬剤師と言う職業や性格上特に問題はない、そう判断したから。

 過誤だと察したのは、姉が布をめくり絶句したあとだった。

「雪菜?」

「───」

 雪菜は瞠視したまま硬直していた。爪先まで、固まったように。まさかそんなにショックだったかと俺は雪菜のそばまで近寄り覗き込んだ。隣に立って、雪菜が、姉が、実は小刻みに震えていることに気付いた。怪訝に思う俺を、雪菜は眼中に無いようで一心に『ドール』を見ていた。現状、活動停止して親父同様眠るように瞼を閉じた『ドール』を。

「嘘…」

「雪菜?」


「何でっ……母さん!」


『ドール』を凝視したまま緊張した筋肉で揺れる唇が、やっとそう紡いでいた。






 

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